社号 | 田川神社 |
読み | たがわ |
通称 | |
旧呼称 | 大歳大明神 等 |
鎮座地 | 兵庫県姫路市香寺町須加院 |
旧国郡 | 播磨国神西郡須加院村 |
御祭神 | 息長足姫命、大年神 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 7月中旬の日曜日 |
式内社
田川神社の概要
兵庫県姫路市香寺町須加院に鎮座する式内社です。
社伝によれば、神功皇后が棚原山で天神地祇を祀ったときにこの地で禊を行ったことにより創建されたのが当社であると伝えられています。
その後、永正三年(1570年)に赤松一族がこの付近を治め、天正六年(1579年)に代官として馬杉五郎衛門が治めていたときに屋根の修理をし、また永禄八年(1565年)に拝殿を立てたと伝えられています。
式内社「田川神社」は江戸時代には所在不明となっており、当時「大歳大明神」と呼ばれていた当社が比定された根拠や経緯ははっきりしません。
『特選神名牒』には「田川神社と稱せしを天明四年大歳大神と改め…」云々とあり、天明四年(1784年)以前は田川神社と呼ばれていたようにも読めるものの、上述のように式内社「田川神社」は所在不明となっていたためこの点は疑問です。
なお当社の北方600mほどにある「毘沙門堂」の岩壁は『播磨国風土記』に見える「石坐神山」であるとされています。当該記事は「この山に石を戴く。また、豊穂命神がいるので石坐神山という」と記しています。
もし当社が式内社であれば、ここに見える「豊穂命神」なる神と関係があったのかもしれません。
その他には拠るべき記録や資料も乏しく、謎の多い神社となっています。
境内の様子
当社の鳥居は境内から800mほど南方の道路沿いの一画に南向きに建っています。
鳥居から谷沿いに進み奥須加院の集落を越えたところに当社は立地しています。
境内入口には鳥居は無く、代わりに注連柱(門柱)が建っています。
案内板によればこの門柱は上述の鳥居と正対していると言われているようです。
注連柱をくぐった様子。境内は広く、社叢は杉などの針葉樹が多く聳えています。
境内を奥へ進み、社殿の手前側に手水舎が建っています。
境内奥に社殿が南向きに並んでいます。境内入口は境内の南東側にあるのに対し社殿はやや西寄りに建っており、参拝客の動線は右側へ回り込むような形となります。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造。壁の無い開放的な建築です。
拝殿後方、中門と瑞垣に囲まれて本殿が建っています。
この本殿は銅板葺の三間社入母屋造に向拝の付いたものですが、平入でなく妻入となっている点が珍しいと言えます。三間社隅木入春日造の背面も入母屋造になったものと言えるかもしれません。
本社本殿の左側(西側)に二社の境内社が一つの覆屋に納められて南向きに並んでいます。
その内訳は次の通り。
- 左側(西側):「大将軍神社」/ 社殿:一間社春日造
- 右側(東側):「日吉神社」/ 社殿:一間社隅木入春日造に軒唐破風の付いたもの
上記二社の右奥(北東側)に二社の境内社が一つの基壇上に南向きに並んでいます。
これらの内、左側(西側)は「山神社」、右側(東側)は「地神社」。
社殿はいずれも銅板葺の流見世棚造。
上記の二社の後方に樹齢推定600年とされるケヤキの大木があり、姫路市指定天然記念物となっています。
案内板
田川神社の大欅
境内北西隅の林を抜けた奥にも境内社が南東向きに鎮座。社名・祭神は不明。案内板に見える「竹生島神社」がこちらであるかもしれません。
社殿は銅板葺の一間社流造。
由緒
案内板
郷社 式内田川神社
案内板
田川神社(式内田川神社)
地図