社号 | 高岳神社 |
読み | たかおか |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県姫路市西今宿8丁目 |
旧国郡 | 播磨国飾西郡西今宿村 |
御祭神 | 応神天皇 他10神 |
社格 | 式内社、播磨国五宮、旧県社 |
例祭 | 10月10日 |
式内社
高岳神社の概要
兵庫県姫路市西今宿8丁目に鎮座する式内社です。中世以降は播磨国五宮だったといい、播磨国でも有数の神社だったようです。
社伝によれば、元々は八丈岩山に鎮座していたのを天長三年(826年)に蛤山と呼ばれている当地に遷座したと伝えられています。
八丈岩山とは当社の東北東約1.8kmほどにある標高172mの山で、現在も山頂には当社の旧地であることを示す石碑が建っています(未訪)。
ただ、辻井に鎮座する「行矢射楯兵主神社」の御祭神「射楯大神」もこの八丈岩山で最初に祀られたといい、複数の異なる神がこの山で祀られていたのかもしれません。
現在の八丈岩山は宅地に囲まれた小さな丘といった風情ですが、かつては飾磨郡内において神体山と言うべき信仰の山だったのでしょう。
上記のようにその後天長三年(826年)に現在地に遷したとされているものの、その理由ははっきりしません。
当社の社殿背後の山上には蛤岩もしくは船形岩と呼ばれる岩石が屹立しており、玉垣で囲われて磐座として信仰されています。
遷座してきたとはいえこの地もまた古くからの信仰の地だったことが窺え、或いは神託や占い等で神地に相応しい好地として選ばれたのかもしれません。
当社の社名「高岳」とは旧地である八丈岩山もしくは現在地である蛤山を指すものと思われる一方、氏族の名によるとする説もあります。
『新撰姓氏録』には関係する可能性のある氏族として次の氏族が登載されています。
- 和泉国神別「高岳首」(同神(=饒速日命)十五世孫物部麁鹿火大連)
- 河内国諸蕃「高丘宿禰」(百済国公族大夫高侯の後、広陵高穆より出る)
このように物部系氏族の1.と百済出身の渡来系氏族の2.がそれぞれタカオカを名乗っています。
当地付近は物部系氏族の痕跡が乏しい一方、『播磨国風土記』によれば旧地の属した「韓室里」は韓室首宝らの祖が韓室(外来風の住居)を作ったため名付けたとあること、現在地に属した「草上村」は韓人山村らの祖である柞巨智賀那がこの地を開拓した際に草むらの臭いが酷かったため名付けたとあることからわかる通り、渡来系氏族の活躍が多く見られます。
従って、当社の社名が氏族に因むのならば2.の氏族だった可能性が高いと言えることでしょう。
現在の当社は非常に御祭神の数が多く、「応神天皇」「仲哀天皇」「崇道天皇」「事代主命」「猿田彦神」「住吉大神」「伊豫親王」「藤原夫人」「宇賀魂命」「市杵島姫命」「水分神」となっています。
江戸時代の地誌『播磨鑑』は「応神天皇」「仲哀天皇」の二神を式内の神としているものの、この二神は八幡神であり、八幡信仰が広まるのはもっと時代が下ることから、本来の神は別に求めるべきでしょう。
当社の社名が氏族に因むのならその氏族の祖を祀ったことが考えられ、単にその地形を指すのなら本来は素朴な自然信仰だったものと思われます。
なお、『播磨鑑』は応神・仲哀の他には崇道天皇・事代主命・猿田彦神の三神を挙げており、住吉大神以下はその後に合祀されたようです。
当社は各時代の武将や領主の崇敬が篤かったといい、江戸時代には姫路藩主からも篤い崇敬を受けたと言われています。
遷座してきたとはいえ岩石信仰の残る当社は古社の趣が残り、姫路有数の神社として現在も信仰されています。
境内の様子
当社の鳥居は境内から100mほど東方に東向きに建っています。
鳥居をくぐって進むと灯籠が並び、道路を横切った先に境内入口となる注連柱が建っているのが見えます。
背後は木々の鬱蒼とした丘となっており、蛤山とよばれています。
注連柱をくぐった様子。参道の先に石段が伸びています。
参道途中の右側(北側)に手水舎が建っています。
先に参道上の境内社を紹介しておきます。
石段下の岩陰に「稲荷神社」が東向きに鎮座。御祭神は「宇迦之御魂神」。
朱鳥居が建ち、奥の岩窟状のところに銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
石段を上るとかなり広い駐車場になっており、社殿は北側の斜面上にあります。
この斜面は石垣と玉垣が設けられており城郭のような立体的な構造となっています。
この石垣の右側(東側)から石段が伸びており、ここを通って斜面上へ向かいます。
この石段途中に境内社が西向きに鎮座。幕に金の字があることから金毘羅系の神社なのでしょう。
銅板葺の妻入切妻造の建物が建っており、これは恐らく覆屋でしょう。
さらに石段を上ると社殿の右脇(東側)へと至ります。
社殿は非常に狭い空間に建ち、南向きに並んでいます。社殿のすぐ前が崖となっているため正面からは撮ることができません。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造に向拝の付いたもので、後部は部屋が左右に拡張されています。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿後方の小高い場所に銅板葺の流造に向拝の伸びた本殿が建っています。
社殿の傍らにも迫力ある岩石が屹立しており目を引きます。
拝殿前を通り抜けた先、拝殿から見て南西側に桟瓦葺の入母屋造の建物があり、休憩所と絵馬殿を兼ねたものとなっています。
休憩所の辺りから斜面上を見た様子。この斜面は登れるように整備されています。
斜面を登っていくと玉垣で囲われた区画があり、そこに岩石が屹立し神明鳥居も設けられています。
この岩石は「蛤岩」もしくは「船形岩」と呼ばれており、磐座として信仰の対象になっています。
伝承ではこの山上で蛤を拾って長者になった者があったといい、当社にはその化石が伝わっているようです。
また岩上のくぼみに水が溜まっていて海の干満と連動するとも言われています。
由緒
石碑
式内 旧県社 高岳神社由緒碑
地図