社号 | 意賀美神社 |
読み | おがみ |
通称 | |
旧呼称 | 雨降大明神 等 |
鎮座地 | 大阪府岸和田市土生滝町 |
旧国郡 | 和泉国南郡土生滝村 |
御祭神 | 闇淤加美神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月5日 |
式内社
意賀美神社の概要
大阪府岸和田市土生滝町に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、社伝によれば天平四年(732年)に大旱魃があった際に祈雨の勅願があり、験があったので社領を寄進されたと伝えられています。
また元慶八年(884年)にも大旱魃があり、菅原道真が祈雨したところ験があったので、これにより「雨降明神」と称えられるようになったと伝えられています。
当地は神於山(コウノヤマ)に差し掛かった津田川が当社境内で滝となって峡谷を作っている地で、ここから川が平地へ抜け出るところでもあります。
この上流側にも集落があるものの、当地は神於山が差し迫ってるために深山幽谷の趣を呈しており、平地から見れば水の源であると見做されたのも納得の地と言えます。
夏場の降雨の乏しい瀬戸内海式気候で、かつ大規模な河川の無い和泉国において、水の確保は極めて重要です。
最初は素朴な水神の信仰に始まったことが考えられますが、水源としての重要性や霊験の高さから名が知られるようになり官社として認められたものと思われます。
泉佐野市上之郷に鎮座する「意賀美神社」と共に、和泉国の水事情を司った神社と言えることでしょう。
境内の様子
境内入口は西側と北側、そして裏参道的な東側があります。集落からの主要な参詣道となるのが恐らく西側で、こちらから紹介していきます。
土生滝町・阿間河滝町の集落の南側を森の中へ入っていくと、津田川を渡る橋の手前側に一の鳥居が西向きに建っています。
当社は津田川の渓谷にあり、西側からの参道は谷を渡ることになります。一の鳥居をくぐると橋からこのような険しい地形が見えます。
津田川の橋を渡ると二の鳥居が西向きに建ち、ここから急な石段が続いています。
二の鳥居の前の左側(北側)には手水舎があります。
石段を上っていくと三の鳥居が西向きに建ち、その先に社殿の建つ空間が広がっています。
鳥居の傍らに狛犬が一対。花崗岩製です。
三の鳥居をくぐって左側(北側)に何故か手水舎が2セットあります。西参道用、北参道用ってことでしょうか。
一本化しても良さそうですし、そもそも両方ともに途中に手水舎があるのでちょっと謎な配置です。
三の鳥居をくぐって正面奥に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に妻入入母屋造の向拝が付いたもの。桁行方向の長い建築で、祭礼などで活用されているのかもしれません。
拝殿後方に建つ本殿は覆屋の中に納められているようです。
境内社等
本殿の側、東側の裏参道の途中に境内社が南向きに鎮座。社名、祭神等は不明。
平入入母屋造の石祠となっています。
境内の南側は川に突き出た断崖となっています。不動明王の石像などもあり、当社は修験道の修行場だったような雰囲気があります。
この断崖の上に「厳島神社」「荒神社」の相殿が西向きに鎮座。
鳥居が建ち、後方の石段上の空間に流見世棚造の社殿が建っています。
この断崖からは津田川の迫力ある滝を眺めることが出来ます。
この滝は「雨降りの滝」と呼ばれ、当社の信仰の根源的なもので、祈雨に霊験のある神聖な滝とされています。
滝と水流の轟音が境内に響き渡り、境内の厳かな雰囲気をさらに盛り立てています。
津田川の渓谷を下から見るとこのような感じ。都市近郊とは思えない深山幽谷の趣です。
当社の境内は樹木が鬱蒼と生い茂っており昼間でも暗い空間です。
この森はいわゆる極相で、暖地性の植物で構成されており貴重な自然の残る一帯となっています。
北参道の様子
さて、今度は視点を変えて北側からの参道を見ていきます。
参道の始点に一の鳥居が西向きに建っており、その右側(南側)は鬱蒼とした森に覆われていることがわかります。
一の鳥居をくぐるとすぐに右側(南側)に曲がり、二の鳥居、三の鳥居が北向きに並んでいます。
ここから参道は森の奥へと続きます。
参道は一旦石段を下り、小さな川を渡ってまた石段を上っていきます。下ったところには手水舎が設置されています。
石段を上ると四の鳥居が北向きに建ち、社殿のある空間の北側に至ります。
四の鳥居の前に建つ灯籠にはかつての呼称である「雨降大明神」と刻まれています。
境内周辺の様子
最初に紹介した西参道から境内を出て少し歩けば、険しい渓谷とはうってかわってこのように開けた田園地帯となっています。
当社の氏子地域である土生滝町・阿間河滝町はこのように古い家屋が残っています。両地区は自然も町並みも貴重なものが残っていると言えましょう。


地図