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久佐々神社 (大阪府豊能郡能勢町宿野)

社号 久佐々神社
読み くささ
通称
旧呼称 草々明神、宿野大明神 等
鎮座地 大阪府豊能郡能勢町宿野
旧国郡 摂津国能勢郡宿野村
御祭神 賀茂別雷神
社格 式内社、旧郷社
例祭 5月16日

 

久佐々神社の概要

大阪府豊能郡能勢町宿野に鎮座する式内社です。

当社の由緒は詳らかでありませんが、和銅六年(712年)に創建されたと伝えられています。

当社の社名「クササ」について『日本書紀』雄略天皇十七年三月二日の条に次のように記されています。

『日本書紀』(大意)

土師連らに朝廷で朝夕の食事に用いる食器を奉献せよとの詔があり、土師連の祖である吾笥という人物が、摂津国の来狭狭村、山城国の内村、俯見村、伊勢国の藤形村、また丹波、但馬、因幡から職人を奉献し、彼らを贄土師部という。

このように、土器の製作の専門家だった土師連に食器を奉るよう命があり、そこで献上された職人らの出身地の一つに「摂津国の来狭狭村」、即ち当地があったことが記されています。当地は土器の産地だったことが窺われます。

となれば当社も「来狭狭村」に居住した土器の職人集団である「贄土師部」が奉斎したことが推測され、元々は土師氏の祖神である「天穂日命」を祀っていたことが考えられます。事実、当社に伝わる文書断簡に天穂日命を祀り大同年間に賀茂別雷神を勧請した旨が記されているようです。

現在は「賀茂別雷神」の方を主祭神としており、これは一説に延暦四年(785年)に能勢郡の大領(郡司の最高責任者)となった神人為奈麻呂が賀茂氏と同祖なので賀茂の神が勧請されたとも言われています。ただし、神人氏は大田田根子命を祖とする地祇系賀茂氏と同祖なのであり、御祭神である賀茂別雷神は天神系賀茂氏の祖神で別系統なので矛盾が生じているとも言えます。

御祭神の変更はあったと思われますが、「クササ」の社名は「草々」などと表記されつつ非常に古くから伝わっており歴史の感じられる神社です。

 

境内の様子

久佐々神社

境内入口。こんもりとした社叢の境内に南西向きの鳥居が建っています。入口から非常に大きな杉の木が聳えており、当社の神域としての古さが外からでも窺えます。

 

鳥居をくぐった様子。鬱蒼とした境内に石畳の参道が伸びています。

 

参道正面の石段上に神門と瑞垣が設けられています。神門は銅板葺の平入切妻造で簡素な構造の高麗門。

 

神門の手前の右側(南東側)に手水鉢が設置されています。

 

神門をくぐって右側(南東側)にも手水舎がありますが、こちらは使われていないようです。

 

久佐々神社

神門をくぐって正面に社殿が南西向きに建ち並んでいます。

拝殿は銅板葺・妻入の分厚い入母屋造で千木の設けられた二間四方の舞殿風拝殿です。丹波地方でよく見られる形式で、当地が丹波と近しい風土であることが窺えます。

 

拝殿の後方には本殿の建つ区画があり、その正面に拝所となる平入切妻造の中門、そして本殿を囲って塀が設けられています。

 

中門前に配置されている狛犬。砂岩製で古めかしいものです。

 

本殿は銅板葺の一間社春日造で軒唐破風の付いたもの。安永九年(1780年)の再建と言われています。どういうわけか千木は内削ぎとなっています。

 

本社社殿の左側(北西側)に五社の境内社が南東向きに鎮座しており、一つの覆屋に納められています。これらの神社は明治四十年(1907年)に合祀された神社のようです。

 

覆屋内の最も左側に鎮座するのは「曽我神社」。御祭神は「曽我時宗」「曽我祐成」。いわゆる曽我兄弟を祀っています。

境内社の中で最も小さな社殿となっています。

 

曽我神社の右側に「宇賀御魂神社」が鎮座。御祭神は「宇賀御魂神」「豊受姫命」。恐らく実態は稲荷社なのでしょう。

 

宇賀御魂神社の右側に「豊受姫命神社」が鎮座。御祭神は「豊受姫命」こちらは伊勢系の神社なのでしょうか。

 

豊受姫命神社の右側に「事代主神社」が鎮座。御祭神は「事代主命」「金山彦命」。

 

事代主神社の右側に「大國主神社」が鎮座。御祭神は「大國主命」「大歳神」「大山祇神」「和多都美神」「天水分神」「応神天皇」「速素盞嗚命」「菅原道真」「猿田彦命」「宇賀御魂神」。

 

境内社の覆屋の右側(北東側)には古そうな神庫が建てられています。

 

拝殿の右側(南東側)に銅板葺平入切妻造の長い建築が建っています。案内板には「長床」とありますが、長床とは一般に修験道において行者が休憩したり術を披露したりするための建物です。しかしこちらの建物は芝居を興行するための建物のようで、実質的には「芝居小屋」かと思われます。

芝居小屋は播磨地方によく見られるもので、この地域では珍しいものです。

 

当社の社叢は巨樹が多くて鬱蒼としており、構成している樹木は杉がよく目立ちます。社叢に杉が多いのは丹波の神社でよく見られるものです。これも丹波との国境に近い風土をよく表すものでしょう。

 

タマヨリ姫
やっぱり能勢町みたいな山の方に来ると平野部の神社とまたちょっと雰囲気が違ってくるね!
そうね。大阪府とはいえ丹波で見られるような特徴が随所に見られるわね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「久佐々神社」

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久佐々神社

当社は、和銅六年(七一二)に創建されたと伝えられる「延喜式」内の神社である。『延喜式神名帳』能勢郡の条に「久佐々神社」と見え、他に「久佐々大明神」、「賀茂久佐々大明神」「宿野大明神」「草々明神」など、多くの呼び名があるが、これは往古より、広い地域まで知られた「大宮」であることに起因するのであろう。

しかし当初の社名について、『日本書記』雄略天皇十七年三月二日の条に、

「詔土師連等使進応盛朝夕御膳者清器者於是土師連祖吾笥仍進摂津國来狭村…中略…私民部名曰贄土師部」とある。

これは、「天皇が朝夕の食事に使われる食器を、献納する詔がくだり、土師連の祖である吾笥が、摂津國来狭狭村などに居住している部民を、贄土師部(土器を作る職人)として朝廷に献上した」というのである。文中の「来狭狭村」は当地に比定ざれ、社名もこれに拠ると考えられる。

祭神は「加茂別雷神」のほか、末社の「大国主命」、「豊受比売命」、「事代主尊」、「宇賀御魂神」、「応神天皇」と、明治四十年合祀の神々となっている。主神の「加茂別雷神」については、大宝元年(七〇一)の能勢郡の設置に伴い、能勢郡郡司となった神人為奈麻呂が、賀茂氏とは同祖であることから、祭祀された可能性が大きいと思われる。また、当社の文書断簡に「祭神天穂日命、御合殿祭神賀茂別雷神、右大同年間(八〇六~九)奉祭ス」とあり、「天穂日命」は、前述の贄土師部の遠祖であることから、当初は「天穂日命」が奉祭されていたように思われる。

このように当社は、悠久の大化前代から土地を開いた祖神や先人を土産神として祀り、当初は社名・村名を同じくし、以後千有余年の星霜を重ねてきた。近世では宮寺として真言宗「寛学寺」があり、当寺の別当が代々寺社の祭事をつとめた。

正面に拝殿、奥には春日造檜皮葺の本殿(安永九年=一七八〇年八月一日再建)左側には末社や合祀社があり、右側には極めて希少な「長床」があり、ありし日の奉納芝居の盛況を今に伝えている。境内には、昔も今も変わりない千戸の老杉老獪がうっそうと茂り、少なくなった鎮守の森をここで見ることができる。春まだ浅いころ、当社境内に花を咲かせる「一華草」(せつぶんそう)は、珍奇な草花として帝に献上され叡覧あって記録せられたと伝えられる。

祭事・祭典

一、歳旦祭 一月一日
一、春祭り(柴あげまつり)神楽・湯たて神事 五月十六日
一、大祓 六月三十日
一、合祀記念祭(盆の市) 八月十一日
一、秋祭り 神輿渡御 十月□日 祭典 十月十六日
一、新嘗祭 十一月二十三日
一、大祓 十二月三十一日
一、除夜祭 十二月三十一日

『摂津名所図会』

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久佐佐神社

中宿野村にあり。延喜式出。この地の生土神とす。土人草々明神と訛る。

(略)

 

地図

大阪府豊能郡能勢町宿野

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