社号 | 辛国神社 |
読み | からくに |
通称 | |
旧呼称 | 春日社 等 |
鎮座地 | 大阪府藤井寺市藤井寺 |
旧国郡 | 河内国丹南郡岡村 |
御祭神 | 饒速日命、天児屋根命、素盞鳴命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 7月17日、10月17日 |
式内社
辛国神社の概要
大阪府藤井寺市藤井寺に鎮座する式内社です。
社伝によれば雄略天皇の御代の創建で、この地を支配した物部氏の一族である「辛国(韓国)氏」が祖神を祀ったと伝えています。
『日本書紀』雄略天皇十三年三月条に「餌香長野邑(エガノナガノムラ)」を「物部目大連」に賜うとあり、餌香長野邑とは藤井寺市~羽曳野市北部にかけての一帯と考えられています。
社伝はこれに関連して物部氏の一族である辛国氏が当地に居住したものとしています。
関連する氏族として『新撰姓氏録』に次の氏族が登載されています。
- 摂津国神別「物部韓国連」(伊香我色雄命の後)
- 和泉国神別「韓国連」(采女臣同祖(=神饒速日命の六世孫、伊香我色雄命の後)/ 武烈天皇の御代に韓国へ派遣されたことによりその姓を賜った)
河内国には見えませんが、前述のように当地付近に物部氏が居住していたことが国史に見えるので、物部氏の一族である「辛国(韓国)氏」も居住していたことは十分考えられます。
現在も御祭神として物部氏の祖である「饒速日命」を祀っています。
一方で辛国(カラクニ)とは文字通り「唐国」「韓国」の意で、渡来系の氏族が当地に居住し祖神を祀ったとする説も有力です。
当地付近は多くの渡来人が居住していたことが知られ、特に当社のすぐ東方に隣接する真言宗御室派の寺院「紫雲山葛井寺」は百済辰孫王の後裔である「白猪氏」(後の「葛井氏」)の氏寺として創建されたもので、当社もこの氏族が奉斎した可能性があります。
このように当社の奉斎氏族としては物部系、渡来系のいずれも十分に考えられるもので、はっきりと決め難いところです。
ただ、今でこそ葛井寺と目と鼻の先ですが、元々は現在地の北西、恵美坂地区にあった「神殿」なる小字に鎮座していたとも伝えられています。
室町時代に河内守護職の畠山基国が現在地に遷座して「春日大社」(奈良県奈良市春日野町に鎮座)から「春日神」を勧請し、以後「春日社」と呼ばれるようになったとされています。
長野神社
辛国神社は明治四十一年(1908年)に式内社「長野神社」を合祀しています。
当社は「葛井寺」の境内の南西隅に鎮座していました。「辛国神社」の祭神の内、「素盞鳴命」は当社の祭神です。
長野神社の創建、由緒は詳らかでありませんが、一説に漢系の渡来系氏族である「長野氏」が祖神を祀ったと考えられています。
関連する氏族として『新撰姓氏録』に次の氏族が登載されています。
- 右京諸蕃「長野連」(山田宿禰同祖 / 忠意の後)
- 河内国諸蕃「長野連」(山田宿禰同祖 / 忠意の後)
この内、河内国に居住した「長野連」が当社を奉斎したことが考えられますが、この「長野」とは当地でなく錦部郡の「長野」、つまり現在の河内長野市であるとする説も有力です。
一方で「葛井寺」の境内にあったことから、葛井寺を創建した「白猪氏(葛井氏)」が奉斎した神社だった可能性も考えられます。
このように「辛国神社」「長野神社」ともに奉斎氏族は決め難いところですが、物部氏の存在がありつつも渡来系氏族の多く活躍した地であり、バラエティ豊かな土地柄であることの表れでもあるように思えます。
境内の様子
境内入口。境内は東西に細長く、長い参道を包み込むように鬱蒼とした森が広がっています。
境内の東端に朱塗りの両部鳥居が一の鳥居として東向きに建っています。
一の鳥居をくぐって参道を進むと途中に二の鳥居が東向きに建っています。
この鳥居は元々は「長野神社」にあったもので、元禄十七年(1704年)に奉納された石鳥居です。
鬱蒼とした参道を進んでいくと、対照的に青空の広がる解放的な空間へと出ます。この空間の奥に社殿が東向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造に千鳥破風と唐破風付きの向拝が設けられたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。
本殿は非常に見えにくいですが銅板葺の流造で、幣殿で拝殿と接続した権現造のような形式となっているようです。
本社拝殿前の参道右手(北側)に「春日天満宮」が南向きに鎮座。御祭神は「菅原道真公」。
銅板葺の平入切妻造の吹き放ちの拝殿、そしてその後方に銅板葺の一間社春日造の本殿が建っています。
春日天満宮の右側(東側)に「春日稲荷社」が南向きに鎮座。春日天満宮と共に、当社が春日社と呼ばれたことの名残となっています。
十数基もの朱鳥居が並び、銅板葺妻入切妻造の吹き放ちの拝殿と、その奥に銅板葺一間社流造の本殿が建っています。
春日天満宮と春日稲荷社の間に池があります。
『河内名所図会』には当社に「辛国の池」があると記されており、これのことを指しているのでしょうか。
葛井寺
当社の東方に隣接して真言宗御室派の寺院「紫雲山葛井寺」があります。百済辰孫王の後裔である「白猪氏(後の葛井氏)」によって氏寺として創建されました。
本尊の「乾漆千手観音坐像」は国宝に指定されています。奈良時代の作であり、合掌する2本の手に加えて1039本もの脇手がある極めて貴重な仏像です。
秘仏ですが毎月18日に公開されており、多くの手が翼のように展開されている様子は見る者を圧倒させます。
葛井寺の境内の南西隅にかつて式内社の「長野神社」が鎮座していたと言われています。
その地は現在は西国三十三所のミニ霊場となっており、大きなクスノキのあることだけが僅かに往時の面影を残しています。
御朱印
由緒
案内板
辛国神社
案内板
辛國神社由緒
『河内名所図会』
地図