1.奈良県 2.大和国

秉田神社 (奈良県桜井市白河)

社号秉田神社
読みひきた
通称
旧呼称白山社 等
鎮座地奈良県桜井市白河
旧国郡大和国式上郡白河村
御祭神大己貴命、高龗神、豊受比売命
社格式内社、旧村社
例祭10月28日

 

秉田神社の概要

奈良県桜井市白河に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。かつては西方の丘の上に鎮座していたとする伝承もありますが具体的な場所は不詳。

当社は物部系の史書『先代旧事本紀』天神本紀のにおいてニギハヤヒの降臨に随伴した二十五部の物部の一つ「疋田物部」の子孫が当地に居住し祖神を祀ったとする説があります。

疋田物部の本拠は添下郡(奈良市疋田町)や葛下郡(葛城市疋田)などが考えられますが、当地でも居住していた可能性が考えられます。

ただ、「疋田物部」でなく「足田物部」が正しいとする解釈もあり、「ヒキタ」を名乗る物部氏の一族がいたのかどうかは検討が必要なところでしょう。

 

「ヒキタ(もしくはヒケタ)」を名乗る人物として、『日本書紀』天武天皇十三年五月二十八日の条に「三輪引田君難波麻呂」を大使として高麗へ派遣したことが見えます。

この人物の出自は不明ながら、『大和志料』に引く『三輪氏系図』によれば三輪君身狭の弟、宇留斯の子、牟良は引田氏の祖であるといい、この人物はこの氏族の出身だった可能性があります。もしそうならば、大田田根子を祖とする大神氏(「大神神社」を奉斎した氏族)と同系であることになります。

少なくともその名に「引田」と共に「三輪」とあることから式上郡にゆかりある人物と思われ、当社の祭祀に関わっていた可能性も十分考えられます。

なお、上記の当社の旧地はこの人物の屋敷の跡とする伝承もあるようです。

また『古事記』の雄略天皇の段には美和川において衣を洗っていた「引田部赤猪子」なる容姿端麗な童女が見え、雄略天皇に見初められ、宮中に迎えようと言われるも、そのまま80歳になるまで放置されてしまうという悲恋の話が見えています。

この人物も「美和川」にいたとあり、三輪引田君難波麻呂と同様、やはり「ヒキタ/ヒケタ」と「ミワ」はセットであることが示されています。

 

当社は江戸時代以前は「白山社」と呼ばれていました。

当地は三輪山の東方、いわば「裏側」にあたる大和川支流の白河川沿いの狭い谷の斜面上であり、いわゆる「ミワ」からはやや離れた地です。

しかしながら旧地が三輪引田君難波麻呂の屋敷跡であるとする伝承があることに加え、上記の「ヒキタ/ヒケタ」と「ミワ」の近接性からも推して、かつての当社はより三輪山に物理的にも信仰的にも近い神社だったと言えるのかもしれません。

 

境内の様子

秉田神社

当社は大和川の支流、白河川沿いの北西の斜面上に鎮座しています。

棚田の奥に当社境内の入口があり、鳥居が北東向きに建っています。

 

鳥居をくぐった様子。神社を構成するものは必要最低限といった印象で、境内は実にこざっぱりとしています。

 

秉田神社

秉田神社

鳥居をくぐって右側(北西側)に社殿が南東向きに建っています。

拝殿は銅板葺の平入切妻造で向拝が長く伸びています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。石材の種類は不明ですが、基壇の花崗岩に比べて黒っぽいため斑糲岩でしょうか?あまり狛犬に用いられる石材でないように思います。

 

拝殿後方の崖の上に銅板葺・一間社春日造の本殿が覆屋に納められています。

本殿は朱が施されており、傍らに小さな狛犬が据えられています。

 

手水舎は境内の最奥部、南西側に建っています。参拝客の動線としてはやや遠回りすることになってしまいます。

 

当社付近の様子。当社は斜面上にあり、周囲は棚田が広がっています。本流の大和川から見ればまさに「奥まった地」で、ヤマト王権の本拠地に近いところでありながら隠れ里のような雰囲気が漂っています。

 

タマヨリ姫
ふええ、なんだか難しい漢字…!これで「ヒキタ」って読むんだね!
そうね。『延喜式』神名帳には「曳田」ってあるけど、江戸時代の地誌「大和志」には「秉田」って記されてるわね。
トヨタマ姫

 

由緒

貼紙

+ 開く

秉田神社の由緒ともなれる

引田部赤猪子のゆかり

古事記下巻 雄略天皇の巻に

雄略天皇遊行ばしつつ美和川に到りませる時に、河の辺に衣洗ふ童女有り。

其れ容姿甚麗かりき、天皇その童女に、汝は誰が子ぞと問はしければ、己が名は引田部の赤猪子と謂すと答白しき、かれ詔らしめたまへらくは、汝嫁夫がずてあれ、今喚してむ、と、のらしめたまひて、宮にかへり坐しきかれ其の赤猪子、天皇の命を仰待ちて、既に八十歳を経たりき、是に赤猪子以為ひけるは、命を待ちつる間に、己に多年を経て、姿体さかみ萎けて、あればさらに所恃無し、然れども、待ちつる情を顯しまをさずしては、悒くて えあらじと おもひて、百取之机代物を持たしめて、参出て貢献りき、然るに天皇、先に命りたまへりしことをば既く忘らして、其の赤猪子に問はしけらく、汝は誰やしき老女ぞ、何由ぞ参来つる、ととはしければ赤猪子白しけらく、其の年の其の月に、天皇の命を被りて、今日まで大命を仰ぎ待ちて、八十歳を経にたり、今は容姿既に耆いて更に所恃無し、然はあれども、己が志を顯し白さむとして、こそ参出つれ、とまをして、是に、天皇大くおどろきまして、曰りたまはく、吾は既く先のことを忘れたり、然るに汝守志に命を待ちて徒に盛年を過ししこと甚愛悲し、とのりたまひて婚さま欲くおもほせども、その極く老いぬるに憚りたまひて、御歌を賜ひき 其の歌

みもろの、いつかしがもと かしがもと、ゆゆしきかも、かしはらおとめ。

又、歌ひたまはく

ひけたの、わかくるすばら わかくに、ゐねてましもの、おいにけるかも。

かれ 赤猪子が泣く涙に 其の服せる丹摺の袖悉ぬれぬ。其大御歌に答へまつれる歌

みもろに、つくやたまかき、つきあまし、たにかもよらむ、かみのみやひと。

又 歌ひけらく

くさかえの、いりえのはちす はなばちす、みのさかりびと、ともしきろかも。

かれ 其の老女に禄多に給ひて、返し遣りたまひき

故れ此の四歌は志都歌なり。

右 古事記下巻より抜粋しましたので参考にして下さい。

昭和四十二年十月二十八日

秉田神社宮司
桑山迪徳

 

地図

奈良県桜井市白河

じゃらんで見る

JTBで見る

日本旅行で見る

 

-1.奈良県, 2.大和国
-,

© 2021 神社巡遊録 Powered by STINGER