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五百立神社 (奈良県奈良市雑司町)

社号 五百立神社
読み いおたち/いおだて
通称
旧呼称 五百余所社、番匠社 等
鎮座地 奈良県奈良市雑司町
旧国郡 大和国添上郡奈良町
御祭神 不詳
社格 式内社、旧村社
例祭 7月5日

 

五百立神社の概要

奈良県奈良市雑司町、東大寺の南方に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。

東大寺に伝わる『東大寺縁起絵図』『東大寺大仏縁起』などの資料によれば、天平年間に東大寺大仏殿を造営した際に五百人の工匠が従事し、彼らは羅漢であり、工事が完成すると南方の空へ飛び立ったなどと描写されています。

これを受けて当社にはかの五百人の工匠(番匠)が祀られているとも言われ、近世には「五百余所社」「番匠社」とも称し、匠らの信仰を集めたと言われています。

ただしこれは「五百立」の社名からの付会と思われ、本来の御祭神は定かでありません。

一説に神武天皇の皇子、神八井耳命の孫にあたる「建五百建(たけいおたつ)命」を祀ったものであるとも、また一説に天太玉命の孫にあたる「天冨命」を祀ったものであるとも言われています。

建五百建命は社名と神名が同じであるから一定の説得力がある一方、天冨命に関しては根拠不明です。天太玉命の孫ならば忌部氏の神となりますが、当社と忌部氏との関係は特に見出せません。

元々は背後の丘の上、鉄道職員殉職者を供養する石造十三重塔の建っている地に鎮座していたものの、昭和五年(1930年)に麓にあたる現在地に遷座されました。

世界的に有名な観光地である東大寺の参道を見下ろす立地であり、多くの観光客で賑わう社前の一帯と対照的に当社はひっそりと鎮座しています。

 

境内の様子

東大寺の中門のすぐ手前、観光客の多く賑わう東大寺参道の途中に当社の参道が西側へ伸びています。鏡池の向かい側にあたります。

当社の参道はアスファルトで舗装されており、ちょっとした丘の坂道となっています。

 

参道は途中で分岐し左へ曲がったところに当社が東向きに鎮座しています。

手水舎、拝殿、灯籠などといった設備はなく、朱鳥居と本殿が建つのみの小さな神社です。

本殿は朱の施された銅板葺・春日見世棚造で、朱塗りの瑞垣で囲われています。

 

先のアスファルト敷きの道をまっすぐ進み丘の上へ登ると「鉄道職員殉職者供養塔」という石造十三重塔が建っています。

昭和五年(1930年)に当社が現在地に遷座するまではこの地に鎮座していたと言われています。

広大な地で、当社ももっと大きな神社だったのかもしれません。

 

当社から東側の東大寺参道を見た様子。多くの観光客が行き交い非常に賑わっているのを眺めながらひっそりと鎮座しています。

 

タマヨリ姫
東大寺のすぐ近くだけどすごくちっちゃい神社だね!
そうね。奈良公園には小さな祠があちこちにあるけど式内社はここくらいよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「五百立神社」

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五百立神社(いおだてじんじゃ)

当社は五百余所社(ごひゃくよしょしゃ)とか五百立神社と称せらる。五百余所社の社名は天喜四年(一〇五六)五月の東大寺文書に二十五所社・気比気多神社などと共にその名が見える。

中世の絵巻物などには、大仏殿創建に従事した五百人の工匠が、工事が完成すると五百羅漢になって天空高く飛び立ち、姿を消したとの説話がみえる。本来の祭神は定かではない。

大仏殿江戸期再建の祭にも、五百余所社は大工・小工の崇敬を集めたようで、番匠社とも呼ばれ、宝永六年(一七〇九)三月の大仏殿落慶を前にした正月六日に、大工棟梁堀内筑前守(若狭)が新建寄進している。

 

地図

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