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天乃石立神社 (奈良県奈良市柳生町)

社号 天乃石立神社
読み あめのいわたて
通称
旧呼称
鎮座地 奈良県奈良市柳生町
旧国郡 大和国添上郡柳生村
御祭神 豊磐門戸命、櫛石門戸命、天磐門別命、天照大御神
社格 式内社、旧村社
例祭 7月28日

 

天乃石立神社の概要

奈良県奈良市柳生町に鎮座する式内社です。

社伝によれば、記紀神話の天岩戸の段においてタヂカラオが天岩戸を開いた時、力余ってその扉石が空を飛来しこの地に落ちたと伝えられています。

当社には本殿が無く、拝殿後方にある複数の花崗岩の巨岩を御神体として信仰しています。上記の伝承からこれらの石は「神戸岩」とも称しています。

典型的な磐座祭祀の神社であり、また本殿を持たないことから古い信仰を伝えていると言われています。

創建年代は不詳ながら、拝殿背後のみならず境内周辺には無数の巨岩が散在しており、これらに神が宿るとしていつからともなく自然発生的に生じた素朴な信仰に端を発していると思われます。

神戸岩は皇室の慶事があった時などに度々鳴動があったとも言われています。

現在の御祭神は「豊磐門戸命」「櫛石門戸命」「天磐門別命」「天照大御神」となっており、拝殿後方の四つの岩石にそれぞれあてられて、独自の神社名が付けられています。

その内訳は手前側から次の通り。

  • 前立磐 / 神社名:「天岩立神社」 / 御祭神:「豊磐門戸命
  • 後立磐 / 神社名:「天岩吸神社」 / 御祭神:「櫛石門戸命
  • 前伏磐 / 神社名:「天立神社」 / 御祭神:「天磐門別命
  • きんちゃく岩 / 神社名:「日向神社」 / 御祭神「天照大御神

この中で「きんちゃく岩」は古くからのものでなく、昭和二十八年(1953年)に崖から落ちて来たものを新たに祀ったものです。

なお『延喜式』神名帳には特に三座とは記されていないので当初は一柱の神を祀っていたと考えられます。

同じ大和国添上郡の式内社に「御前社(原)石立命神社」があり、現在比定されている神社は当地と遠く離れているとはいえ、「石立命」なる神の存在が示唆されます。記紀に登場しない磐座に宿る神だったのかもしれません。

近世以降は柳生藩の歴代藩主から崇敬され、新陰流の剣豪として知られる柳生宗厳は当社で剣術の修行をしたと伝えられています。

現在も多くの巨岩が数多くある当社の景観は神秘に満ちていると評され、柳生地域の主要な観光地として人気を集めています。

 

境内の様子

当社は柳生の集落から東方の山を分け入ったところに立地しています。そのためこのような山道を抜けていくことになります。

 

山道の途中に当社の鳥居が北向きに建っています。

 

鳥居をくぐった様子。山の斜面の等高線上に参道が伸びています。

 

参道右側(西側)の崖下の谷底を見下ろすと夥しい数の巨岩がゴロゴロと転がっており、物々しい雰囲気が漂っています。

 

さらに参道を進むと正面に複数の花崗岩の巨岩が現れます。これらの巨岩が当社の御神体となる磐座となります。

 

これら岩石群の手前側には二枚の板状の岩石が僅かな隙間を隔てて重なるようにして立っています。

手前側(北側)の岩石は「前立磐」で「天岩立神社」と称し、「豊磐門戸命」の御神体です。

後ろ側(南側)の岩石は「後立磐」で「天岩吸神社」と称し、「櫛石門戸命」の御神体です。

 

前立磐・後前立磐の後方にはさらに二つの巨岩が並んでいます。

手前側(北側)の背の低い板型の巨岩は「前伏磐」で「天立神社」と称し、「天磐門別命」の御神体です。

後ろ側(南側)の丸い巨岩は「きんちゃく岩」で「日向神社」と称し、「天照大御神」の御神体です。きんちゃく岩は昭和二十八年(1953年)に崖から落ちて来たものです。

 

これら巨岩群から参道の先を見た様子。

巨岩群は参道の右側(西側)に並んでおり注連縄で神聖な空間として隔てられています。

 

さらに参道を進み180度振り返ると当社の拝殿が南向きに建っています。

拝殿は桟瓦葺・妻入入母屋造で正面と背後に壁が無く、土間となっている非常に簡素な建物。

このように参道を進んでいくと先に御神体である巨岩群が現れ、その背後に拝殿が建っている配置となっています。

当社に本殿は無く、背後の岩石群をそのまま直接拝む形になります。

 

拝殿の手前左側(西側)に桟瓦葺・平入切妻造の土間の建物が建っています。

用途不明ですが神事の際に用いられるのでしょうか。

 

これら両建物を引きで見た様子。崖に挟まれた狭い空間に並んでいるのがわかります。

かつて能舞台もあったと言われ、現在は柳生八坂神社の拝殿となっていますがどこにあったのでしょうか。

 

拝殿から先へはさらに道が続いています。

 

この道を南方へ100mほど進んでいくと「一刀石」と呼ばれる変わった岩石があります。

巨大な花崗岩の岩石で、中央で縦に真っ二つに割れています。

剣豪・柳生宗厳がこの地で三年もの間天狗を相手に剣術の修行をし、ある晩天狗と思って切ったのがこの岩だったと言われ、この修行で無刀の極意を悟ったと伝えられています。

なお、一刀石は特に祭祀の対象となっているわけではなさそうです。

案内板「一刀石」

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一刀石

この大きな岩は花崗岩ですが中央でみごとに割れています。

一説によると柳生新陰流の始祖柳生宗厳(石舟斎)が天狗を相手に剣の修行をしていて、天狗と思って切ったのがこの岩だったと伝えられている。

 

タマヨリ姫
すごい!岩がいっぱい!神秘的だね!一刀石も真っ二つに割れてて不思議!
こうした岩石を磐座として祀ったのが当社の始めだったんじゃないかしら。今でも本殿を建てないで岩石をそのまま祀ってるわ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「式内天乃石立神社」

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式内天乃石立神社

柳生戸岩谷の天乃石立神社は、延喜式神名帳に記載されている式内社である。延喜式は一千年前延長年間に撰せられたもので、その神名帳には、全国の官国弊社二一三二座を記載しているが、戸岩谷の天乃石立神社も、小社としてその中に加わっている。

天乃石立神社の祭神は、天照大御神、豊盤門戸命、櫛盤門戸命、天盤戸別命となっているが、神体は扉の形をした巨岩(花崗岩)、前伏盤、前立盤、後立盤の三つに割れている。

前立盤は高さ六メートル 幅七・三メートル 厚さ一・二メートルあつて、全体が扉の形をしている。

伝説によると、神代の昔、高天原で手力雄命が天岩戸を引き開けたとき、力余ってその扉石が、虚空を飛来し、この地に落ちたのだという。

虚岩崇拝の好適例で、古来土地の人達の信仰は深く強いものがあった。

正保二年(一六四五)但馬守宗矩は、参道を修理して並木を植えているし、宝永二年(一七〇五)柳生宗弘(のち藩主俊方)は、、能舞台を建て石燈龍を寄進し、寛保二年(一七四二)藩主俊平も、石燈寵を寄進している。

 

地図

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