社号 | 丹生神社 |
読み | にゅう |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県宇陀市菟田野入谷 |
旧国郡 | 大和国宇陀郡入谷村 |
御祭神 | 罔象女神 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 10月20日 |
丹生神社の概要
奈良県宇陀市菟田野入谷に鎮座する神社です。有力ではありませんが、大和国宇陀郡の式内社「丹生神社」を当社に比定する説があります。(一般には雨師地区に鎮座する「丹生神社」に比定)
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
当地の地名「入谷(にゅうだに)」は「丹生谷」の意であり、古くから「丹生」の地であった、或いは丹生の神が祀られていたことが考えられます。
「丹生」とは丹、つまり水銀を産する地の意味です。「丹生神社」を名乗る神社は紀ノ川水系に多く分布し、中央構造線沿いに多く水銀を産したことが指摘されています。
当地は中央構造線から離れていますが、旧・宇陀郡内でも古くから水銀を産したことが知られており、『万葉集』には次のような歌が載っています。
『万葉集』(巻7-1376)
大和の 宇陀の真赤土の さ丹つかば そこもか人の 我を言なさむ
(意訳:大和の宇陀の真赤土(まはに:辰砂)の赤い色を付ければ(化粧すれば)、人々が私のことを噂することでしょう)
このように宇陀において辰砂、つまり丹(水銀)が採れたことを示しており、それが化粧に用いられていたことがわかります。
現に旧・菟田野町付近には大澤地区にあった「大和水銀鉱山」をはじめ近代以降に採掘された非常に多くの水銀鉱山があり、古くはその近隣の当地こそが『万葉集』に「宇陀の真赤土」と詠まれた水銀の産地だったとも考えられます。
とすると当地で産した水銀の神として祀られたのが当社だった可能性も十分考えられるでしょう。
一方、広く「丹生神社」を名乗る神社は水神として信仰されており、当社でも雨乞いの神として信仰されていました。
当社でも御祭神は水神である「罔象女神」を祀っています。
また当社の下方、村の中央の藪に自然石を置いた土壇があるといい、そこを「権現」と称し、当社の旧地であるとする説があるようです。ただ、その地の具体的な場所は不明。
現在は集落の背後、山の中腹に立地しており、いつの頃か集落の外へ遷して祀ったことが窺われます。
境内の様子
当社は入谷地区の背後、杉林に覆われた山の中腹に立地しています。
杉林の中へ伸びる道を進んでいきます。鳥居や灯籠、社号標など神社の目印になるようなものがなく、一目には神社への参道とはわかりづらい道です。
杉林の道を進んでいくと鳥居が南西向きに建っています。
鳥居の傍らに配置されている狛犬。花崗岩製の比較的新しいもので、若干の彩色が施されています。
鳥居をくぐって右側(南東側)に手水舎が配置されています。
鳥居をくぐって坂道を上るとちょっとした広場になっており、石垣上に社殿が南向きに並び、石垣下の奥側(東側)に簡素な社務所が建っています。
石垣の前に形状の異なる三基の灯籠が配置され、石垣上には銅板葺・平入切妻造の朱塗りの拝所(中門)と瑞垣が配されています。
当社に拝殿はありません。或いは右側の社務所が拝殿を兼ねているのかもしれません。
拝所の後方には銅板葺・一間社春日造の本殿が建っており、朱などの極彩色が施されています。
本殿の右側(東側)には銅板葺・春日見世棚造の境内社が建っています。社名・祭神は不明ですが、案内板によれば安産の神として信仰されているようです。
当社周辺、入谷地区の様子。古くはこの辺りで水銀が採れたのでしょうか。
集落のどこかに旧地があるらしいですが、一通り探してみてもよくわかりませんでした。
由緒
案内板
案内書
地図
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