社号 | 山邊御縣坐神社 |
読み | やまべみあがたにます |
通称 | |
旧呼称 | 玉垣宮 等 |
鎮座地 | 奈良県天理市別所町 |
旧国郡 | 大和国山辺郡別所村 |
御祭神 | 建麻利尼命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月1日 |
山邊御縣坐神社の概要
奈良県天理市別所町に鎮座する神社です。西井戸堂町に鎮座する同名の「山邊御縣坐神社」と共に式内社「山邊御縣坐神社」の論社となっています。
式内社「山邊御縣坐神社」は『延喜式』神名帳に大社に列せられており、古くは有力な神社だったようです。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、かつて大和国にあった六ヶ所の朝廷の直轄地「倭の六県」(高市県、葛木県、十市県、志貴県、山辺県、曽布県)の一つ「山辺県」の守護神として祀られたものと考えられます。
これら「倭の六県」は『延喜式』祝詞に見え、蔬菜類を栽培し献上するための農園のような地だったことがわかります。
式内社「山邊御縣坐神社」について、天平二年(730年)の『大和国正税帳』や大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にも記載されており、八世紀には存在していたことが確かめられます。
その後『三代実録』貞観元年(859年)正月二十七日の条に従五位上を授かったことが見えますが、これ以降は記録に現れず所在も不明となったようです。
江戸時代中期の地誌『大和志』は式内社「山邊御縣坐神社」を現在の西井戸堂町の「山邊御縣坐神社」に比定する一方、大正三年(1914年)刊行の地誌『大和志料』は当社に比定しています。
いずれも根拠は全く不明で、いずれが式内社であるか、また或いはどちらでもない他の神社がそうであるのかを決めることは極めて困難なのが現状です。
現在の当社の御祭神は「建麻利尼(タケマリネ)命」です。この神は物部系の史書『先代旧事本紀』にニギハヤヒの六世孫として登場し、「石作連」「桑田連」「山辺県主」らの祖であると記されています。この内、「山辺県主」を当社の奉斎氏族としてその祖を祀ったと見たものでしょう。
御県の多くはそれらを管理したと思しき「県主」が知られており、この「山辺県主」も恐らくそうした氏族だったのでしょう。ただ、この氏族は記紀や『新撰姓氏録』などの資料に登場せず、実態は詳らかでありません。
多くの「○○御県坐神社」は当該の「県主」の祖神を御祭神としていますが、一方で御県が蔬菜類を栽培した農園のような地であったことから、食物神であるトヨウケヒメを祀るとする説もあります。
当社はかつて背後の尾崎山を御神体とし、社殿が無く玉垣を設けて祀っていたといい、明治十三年(1880年)頃に玉垣内を発掘したところ刀剣や金環などが出土したためその上に本殿を造営したと言われています。
古くからの祭祀場として神宝を埋めたことも考えられますが、当地周辺は物部氏や和珥氏に関すると思しき古墳が多く所在しており、或いは当地もそうだったのかもしれません。
ただ「○○御県坐神社」で神体山を祀る例は他に知られておらず、当地が古くからの信仰の場だったにしても、式内社「山邊御縣坐神社」の論社としてはこの点やや疑問があると言えるかもしれません。
境内の様子
当社は大国見山を中心とする山塊から西方へいくつか伸びた尾根の一つ「尾崎山」の先端近くの麓に立地しています。
別所町の集落から東方へ進んでいくと森の中に当社の一の鳥居が西向きに建っています。
一の鳥居をくぐった様子。境内は鬱蒼とした森となっています。
参道を進んでいくと正面に手水鉢が配置されています。
さらに参道を進むと奥に二の鳥居が西向きに建っており、横向きに建ち並んでいる社殿群も見えてきます。
鳥居をくぐって左側(北側)へ曲がると社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入切妻造。
拝殿後方に玉垣に囲まれて銅板葺の一間社春日造の本殿が建っています。
さらに本殿の背後には石組があり、これは「斎宮」と称しているようです。
かつて当社には社殿が無く玉垣を設けて背後の尾崎山を御神体として祭祀していたといい、明治十三年(1880年)頃に玉垣内を発掘したところ刀剣や金環などが出土したためその上に本殿を造営したと言われています。
「斎宮」はかつて社殿が無かった頃の磐座跡であるとも言われているものの詳細不明。ここを祭祀場とし尾崎山を遥拝していたのかもしれません。
本社本殿の左側(西側)にも隣接して玉垣で囲われた区画があり、この中に三社の境内社が南向きに鎮座しています。
これらの境内社は明治年間の神社整理の際に近隣から遷座された神社とされています。
この三社の内、左側(西側)に鎮座するのは「春日社」。
社殿は銅板葺の一間社春日造。
中央に鎮座するのは「菅原神社」。
社殿は銅板葺の一間社春日造。
右側(東側)、本社本殿のすぐ左側(西側)に隣接して鎮座するのは「熊野神社」。
この神社のみ銅板葺の春日見世棚造と小規模かつ簡素な社殿となっています。
当社の鎮座する「尾崎山」。大国見山から西側に伸びるいくつかの尾根の一つで、そう高い丘ではありません。
当社はかつてこの丘を神体山として祭祀していたとされています。


地図
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山辺御県坐神社 (奈良県天理市西井戸堂町)
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