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都祁水分神社 (奈良県奈良市都祁友田町)

社号都祁水分神社
読みつげみくまり
通称
旧呼称竹谿水分、下山宮 等
鎮座地奈良県奈良市都祁友田町
旧国郡大和国山辺郡友田村
御祭神速秋津彦神、天水分神、国水分神
社格式内社、旧県社
例祭10月26日

 

都祁水分神社の概要

奈良県奈良市都祁友田町に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。

当社の創建・由緒は不明ですが、『延喜式』神名帳では「葛木水分神社」(論社は御所市関屋に鎮座)、「吉野水分神社」(論社は吉野町吉野山に鎮座)、「宇太水分神社」(論社は宇陀市菟田野古市場同市榛原下井足同市菟田野上芳野に鎮座)と共に大和国の四社ある水分神社の一つとなっています。

 

当社の御祭神は「速秋津彦神」「天水分神」「国水分神」の三柱。記紀の国生みの段ではハヤアキツヒコの御子としてアメノミクマリ・クニノミクマリが登場しており、またハヤアキツヒコは『古事記』では別名を「水戸神」と呼ぶとしています。

「水分(みくまり)」とは「水配り」の意で、河川や水路の流水を分配して土地を潤し、豊かな土壌を維持する灌漑の神として信仰されています。

特に大和国の水分四社は山口神社十四社と共に朝廷により国家的に祭祀されたものと思われ、大和国内の水流の安寧、そして豊かな実りを祈願したものと考えられます。

『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座にも大和国の水分四社が含まれ、水分神は降雨を司る神としても信仰されたようです。

 

当社には応永三十一年(1424年)に成立した『水分大明神垂迹記』『老翁傳』なる文書が伝わっており、当社の由緒が記されています。以下、その概略を紹介します。

『水分大明神垂迹記』『老翁傳』(大意)

水分大明神は御裳洗川(※伊勢の五十鈴川を指す)の「餘洗」であり、天照大神の分身である。

元慶三年(879年)のこと、伊勢国度会郡に「村丸」なる人物がいた。彼は代々の土地を離れることとなり、その際に御裳洗川の霊水を木壺に入れておいた。途中、童男と童女を連れた老人と会い、共に歩くことになった。大和国との境に至り、暑い中険しい道を歩いて疲れたので持っていた霊水の木壺を開けて喉を潤そうとした。そのとき、霊水はたちまち二体の白龍となって青空に飛翔し、重々しく雲が湧き雷も鳴った。老人は「この白龍の名は水分であり、我は三大神である」と教え、西へ飛び去った。二体の龍の内、一体は大和国宇陀郡(古市場に上水分が、井足に下水分がある)に降り、もう一体は同国山辺郡都介(ツゲ)郷の小山戸に降りたのでこれを神と崇め奉った。

その後天禄二年(971年)、鞆田庄坂窪山に社殿を遷し下宮と名付けた。この理由は、小山戸庄の社への道が狭く、馬に蹴落とされる者が後を絶たないからである。それ以来、毎年九月二十五日に上山宮に入り、二十六日に下山宮に入る祭礼が行われている。

このように、五十鈴川の水の入った壺を大和国境で開けたところ二体の龍となり、一体は宇陀郡の「宇太水分神社」(宇陀市菟田野古市場宇陀市榛原下井足にそれぞれ鎮座)、もう一体は当社の神として祀られたとあります。

そして当社は元は小山戸に祀られた後に現在地に遷座したといい、旧地は都祁小山戸町に鎮座する「都祁山口神社」とされています。このため同社は「上山宮」と呼ばれ、当社は「下山宮」と呼ばれたようです。

そして実際に当社(下山宮)から「都祁山口神社」(上山宮)への神輿の渡御が行われていたようで(現在は行われていない)、その際に用いた康正三年(1457年)に造立の神輿が伝わっており、奈良県指定有形文化財となっています。

 

一方、当社は天平二年(730年)の『大倭国大税帳』に既に見えており、879年の創建とする『水分大明神垂迹記』『老翁傳』よりも遥かに古くから鎮座していたことは明らかです。

大正三年(1914年)刊行の地誌『大和志料』は『水分大明神垂迹記』『老翁傳』の内容を鋭く批判し、都祁小山戸町の「都祁山口神社」もまた当社とは個別の式内社であり、また天禄年間に当社が遷ったとするのは社殿を造替して神輿渡御を定めたことを誤って伝えたものであろうとしています。

確かに『水分大明神垂迹記』『老翁傳』は神仏習合的要素が強く、当社の創建を伝えるものとするよりは後世に伝承を再編成した所謂中世神話として捉えるべきでしょう。

しかし全てを付会であると切り捨てるのも尚早であり、「都祁山口神社」(上山宮)との間で神輿渡御があったのは恐らく古くから同社との強い関係があったからと思われ、『水分大明神垂迹記』『老翁傳』にその関係性が反映された可能性については考慮すべきでしょう。

『延喜式』神名帳に見える「○○水分神社」と「○○山口(坐)神社」はいずれも朝廷が国家的に山を水源の地として祭祀したものと考えられ、都祁地域において水源を司る両社が結びついたことも考えられるかもしれません。

或いは年代こそ違えど実際に小山戸が旧地であり、式内社「都祁山口神社」を他に求めるべきとする考えも排除できないでしょう。

 

当地は興福寺の塔頭である喜多院二階堂の、その後は同じく興福寺の塔頭である大乗院の荘園となり、当社の鎮座する友田を中心に盛んに開発が行われたようです。

現在の当社は大和高原にある都祁地域において最も重要な神社であり、都祁地域における信仰の中心的な場となっています。

当社の本殿は明和八年(1499年)に建立された貴重な一間社春日造の建築で、国指定重要文化財となっており、上記の神輿と共にまさに当社の繁栄を如実に示すものでしょう。

 

境内の様子

当社は都祁地域のほぼ中央にあたる都祁友田町に鎮座しています。同町の南部に大きな森があり、そこが当社の境内となっています。

入口は西側にあり、石段の先に鳥居が西向きに建っています。

 

鳥居をくぐった様子。当社の社叢は針葉樹が多く、参道の左右に鬱蒼と木々が生い茂っています。

 

参道途中には勧請縄らしきものが掛けられています。

 

さらに奥へ進むと玉垣で仕切られた広い空間があり、この入口には注連柱が両脇に建っています。この空間が社殿の建ち並ぶ主要な空間となります。

 

注連柱の手前右側(南側)には手水舎が建っています。

 

注連柱をくぐって正面に銅板葺・妻入入母屋造の一間四方の建物があります。

当社でこれを何と称しているかは不明ですが、壁が無く、京都に多い舞殿風拝殿とほぼ同一のものとなっています。

一方で後述のようにこの建物の左右に座小屋が、さらに後方にこれとは別に拝殿があります。このように社殿群の中心的な位置に舞殿風拝殿が建つ配置は南山城地域(京都府南部)でよく見かけるものであり、そちらでは「能舞台」と称するところもあります。

恐らく当社も南山城地域の影響を受けたものと思われ、後方に拝殿があることからも、この建物は専ら舞殿・舞台といった機能に特化したものと思われます。

ここでは仮に「舞殿」としておきます。

 

舞殿の後方に銅板葺・平入入母屋造の拝殿が西向きに建っています。

舞楽を供するための施設と思われる舞殿に対し、こちらは賽銭箱が設置してあり名目ともに拝殿となっています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。

 

拝殿後方のやや土地の高くなった空間に、透塀・瑞垣に囲まれて檜皮葺・一間社春日造で朱塗りの施された本殿が西向きに建っています。

この本殿は明和八年(1499年)の建立された貴重な建築で国指定重要文化財となっています。

また本殿左右に配置されている狛犬は鎌倉時代末期の作のようです。

 

本社本殿の左右に境内社が並んでおり、その中で最も右側(南側)にある境内社が最も大きなものとなっています。

その他、この境内社と本社本殿の間に二社、本社本殿の左側(北側)に二社の境内社があり、いずれも銅板葺の春日見世棚造です。

いずれも社名・祭神は不明です。

 

本社拝殿の左側(北側)に建つ銅板葺・切妻造の建物。

このように拝殿に隣接して建つ建物は一般に神饌所が多く、恐らく当社でもそうなのでしょう。神饌所とは神に供える神饌を調理・準備するための施設です。

 

神饌所(?)の左手前側(北西側)に桟瓦葺の切妻造の建物があり、「直会殿」と書かれた札が掲げられています。

「直会」とは一般に神事の最後に神饌や神酒を皆で食べること。この建物は恐らく神事で用いるものでしょう。

 

直会殿の左側(西側)、舞殿の北側に桟瓦葺・切妻造の長細い建物が建っています。

当サイトでは神事の際に詰所として用いる建物を「座小屋」と分類しており、これはその一例と思われます。

「座小屋」は神社によって呼び方が違っており、「仮舎」「詰所」などなど様々な呼び方があります。当社での呼称は不明。

上述のように南山城地域に顕著に見られるもので、当社はその影響を受けていることが推測されます。

 

舞殿の南側にも同様の建物が向かい合わせになるように建っています。

「座小屋」が境内の左右両側に向かい合って建っているのも南山城地域に多い配置です。

こちらの「座小屋」の左側(東側)に隣接する建物はよくわかりません。こちらも神事のための建物でしょうか。

 

道を戻り、注連柱の手前左側(北側)、手水舎と向かい合うようにして社務所が建っています。

神社の規模の割にはやや小ぢんまりとした印象。神事関係の施設が充実しているのでその分社務所は小さくても問題無いのでしょう。

 

社務所から北西側へ進んでいくと頑丈なRC造の神輿庫があります。ここに康正三年(1457年)に造られたとされる「金堂装神輿」が納められており、貴重なものとして奈良県指定有形文化財となっています。

古くはこの神輿が都祁小山戸町に鎮座する「都祁山口神社」へ渡御したとされています。

案内板「奈良県指定文化財 金堂装神輿 一基」

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奈良県指定文化財 金堂装神輿 一基

床板に康正三年丁丑九月廿五日造立之などの墨書がある
附祭礼板絵 一面
祭礼絵巻 一巻

都祁水分神社に伝わる神輿は、床板の墨書銘より、康正三年(一四五七年)に造られたことがわかる室町時代中期の作です。明治の初期までは、毎年九月に行われる水分祭礼に実際用いられていたと伝えられていますが、そのわりに保存状態は良好で、内部には製作当時の彩色も残っています。長押の飾り金具や、屋根に吊る風鐸などは失われていますが、神輿の四面にとりつけられた十二面の銅製鏡が今日別に保存されていて、当初の装飾豊かな姿がしのばれます。

当神社には、この神輿の描かれた祭礼板絵一面と祭礼絵巻一巻が伝わり、実際に祭礼に用いられた様子がうかがわれます。祭礼板絵一面と祭礼絵巻一巻は、本神輿を知る上で貴重な資料となっています。

昭和五十年三月三十一日指定
都祁村教育委員会

 

さらに当社の社叢を北側へ進んでいくとわけありげな泉があります。

この泉は「山辺の御井」と呼ばれ、『万葉集』巻一-81の長田王が詠んだ歌「山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢娘子(おとめ)ども 相見つるかも」の舞台であるとも言われています。

ただし「山辺の御井」と称する泉や井戸は旧・山辺郡内に複数所在しており、いずれがそうであると特定することは出来ず、伝承に過ぎないと見るべきでしょう。

 

タマヨリ姫
結構大きな神社だね!建物の配置とか奈良県ではあまり見ない感じな気がする。
京都府南部の神社に多い社殿配置ね。その辺りからの影響を受けてるんじゃないかしら。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「水の神 都祁水分神社 / 都祁山の道堀越頓宮跡」

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水の神 都祁水分神社

都祁水分神社は、大和の国水分四社(都祁・宇陀・吉野・葛城)のひとつで、速秋津彦命、天之水分神、国之水分神が祭られています。水分は、”水配:山から流れる水がわかれる所”を言い、当地では大和川と木津川の分配を司る神として古くより崇敬されてきました。

すでに天平2年(730年)の大倭国正税帳に「都祁神戸」と記せられ、延喜式にもある由緒ある神社です。

はじめは、友田の南方大字小山戸で祭られていましたが、天禄2年(971年)に、現在の場所に移されています。

本殿は、室町時代中期、明応8年(1499年)に造営され一間社春日造、桧皮葺の中世社殿として国の重要文化財に指定されています。又本殿の前には、鎌倉末期の作と推定される一対の狛犬があり、早期狛犬の秀作として注目されています。

ほかに、国指定重要文化財の棟札、県指定文化財の御輿、板絵、絵巻が収められています。

都祁山の道堀越頓宮跡

都祁の里では大和と東国、伊賀・伊勢を結ぶ“都祁山の道”が開かれて要地として栄えていました。ここは、天平12年(740年)に、聖武天皇が東国行幸のおりに、400人におよぶ供を連れ、一泊された頓宮(仮の宮)と伝えられていますが、その場所をはっきりと定めることは難しく、水分神社より北西約500mの山に「堀越し」と称ずる伊賀や伊勢の頓宮址と同様の地形があり、都祁の里の中でも古代史における史料学的検討のまたれる所でもあります。

400m 小治田朝臣安万侶墓
800m 来迎寺

案内板「式内大社 都祁水分神社 都祁村友田」

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式内大社 都祁水分神社 都祁村友田

祭神 速秋津彦命 天水分神 国水分神

古来大和国水分神四社の一で飛鳥時代に創祀されたと伝える。初め小山戸、かもえ谷、山口神社の地に祀られた自然神で、また農耕神として、大和川、木津川の水源の神として、天平二年「神戸」を寄せられ、仁寿二年官社に列せられ、貞観元年正五位下に進められている。延喜式では大社に列し月次新嘗の官幣を受けている。平安時代の中期、興福寺喜多院の荘園が当地方(都介郷)に成立し、水分神は荘園の鎮守として、天禄二年九月二十五日現在地に遷し祀られた。 鎌倉初期喜多院は大乗院領となり、領内に成長した、武士は氏人となり、当社は都介郷の水の神として崇敬せられた。

本殿 重要文化財 一間社春日造桧皮葺 室町中期の造立
御霊舎 本殿内に安置 康生三年の墨書銘あり
石造狛犬一対 高さ〇.七米 鎌倉末期の作

 

地図

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