社号 | 國常立神社 |
読み | くにとこたち |
通称 | 雨の竜王 等 |
旧呼称 | 竜王社 等 |
鎮座地 | 奈良県橿原市南浦町 |
旧国郡 | 大和国十市郡南浦村 |
御祭神 | 國常立命、高龗神 |
社格 | 式内社 |
例祭 |
國常立神社の概要
奈良県橿原市南浦町、天香久山の山頂に鎮座する神社です。同じく南浦町、天香久山の北西麓に鎮座する「天香山神社」と共に式内社「天香山坐櫛真命神社」の論社となっています。
式内社「天香山坐櫛真命神社」は『延喜式』神名帳に大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
式内社「天香山坐櫛真命神社」について、その社名から天香久山に「櫛真命」なる神を祀ったことは明らかです。
また『延喜式』神名帳の京中坐神に左京二條坐神社に祀られる二座の内の一座として「久慈真智命神」が記されており、その註に「本社は大和国十市郡に坐す天香山坐櫛真命神」とする旨が記されています。
また天平二年(730年)の『大倭国大税帳』に「久志麻知 神田一町 種稲20束」、また大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にも「櫛麻知乃命神 一戸」と見えます。
これらのことから「櫛真命」の神名はクシマチとするのが正しいと考えられます。
ただしこの神は記紀に登場せず、京中に勧請されていることから重要な神であることは窺えるものの、いかなる神であるかは不明です。
また『延喜式』神名帳の式内社「天香山坐櫛真命神社」の註には「元名大麻等乃知神」とあり、元はオオマラノチもしくはオオマトノチと称していたようです。
この神にしても記紀に登場せずいかなる神であるかははっきりしませんが、クシマチおよびオオマラノチ/オオマトノチは占いの神であると古くから解釈されています。
クシマチにおけるマチとは亀卜・鹿卜(亀の甲羅・鹿の肩胛骨を焼いてその割れ目で結果を判断する占い)において予め縦横に掘っておく溝を指す、もしくは焼いて生じた割れ目のことを指すとも言われています。
さらに踏み込んでマチとは「兆し」「前兆」を意味したのであろうとも考えられ(『大和志料』など)、いずれにしても将来を予兆する占いに関する語であると考えられています。
クシとは「霊妙」「神妙」などといった意で、マチの語頭に付くことで霊妙なる力を以て占いを司る神を表したものであると考えられます。
天香久山が特に占いに関する山であることは記紀の天岩戸の段にも描写されています。『古事記』には次のように記しています。
『古事記』(大意)
(天照大神が天岩屋戸に籠ったとき)八百万の神々が天の安河原に集まり、…(略)…アメノコヤネ命とフトダマ命を呼んで天香久山の真男鹿の肩骨を抜き取り、天香久山の天のハハカ(=ウワミズザクラ)の樹皮を取って占いを行い、天香久山の五百津真賢木(いほつまさかき)を根ごと掘り起こして上の枝に玉を付け、中の枝に八咫鏡を付け、下の枝に白和幣(しろにぎて)・青和幣(あをにぎて)を付け、…(略)…アメノウズメ命が天香久山の天の日陰蔓を襷にかけ、天の真折蔓を鬘として、天香久山の笹の葉を束ねて手に持ち、…(略)
『日本書紀』においても凡そ同じ内容が記されています。
このように天照大神が天岩戸に籠った際に行った祭儀において、天香久山にある種々のものが神具として用いられています。
特にアメノコヤネとフトダマが鹿卜を行う際に天香久山のウワミズザクラの樹皮で以て(これを焼いて)行ったことは、クシマチの神名との関連性からも注目されるものです。
その他、『日本書紀』の神武東征においては天香久山の土で以て祭祀用の土器を造り神を祀った結果、賊軍の平定を成し遂げたと記されており、やはり天香久山が古くから特別な霊力を持った山として認識されていたことが窺えます。(詳しくは「畝尾坐健土安神社」の記事を参照)
また天香久山の南麓に鎮座する「天岩戸神社」では古く亀卜が行われたことを示唆しており、やはり天香久山が特に占いに関して神威を発揮する山であるとされていたようです。
このようなまさに「占いの山」たる天香久山において、占いを司る神を祀ったのが式内社「天香山坐櫛真命神社」だったと考えられます。
この式内社「天香山坐櫛真命神社」は上述のように当社とする説、「天香山神社」とする説があります。
江戸時代中期の地誌『大和志』は「北浦神」と呼ばれていた現在の「天香山神社」に比定しています。
一方、室町時代の文書である『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)は式内社「天香山坐櫛真命神社」について、「神戸郷香山村山頂にあり」としています。式内社「天香山坐櫛真命神社」を当社に比定する説はこれを受けたものとなります。
当社はかつて「竜王社」と称し、雨乞いの神社として信仰されてきました。当社の社前に壺が埋められており、旱の際には壺の中の水を替え、それでもまだ降雨が無い場合は当社の燈明で松明を作り村中を練り歩いたと言われています。
当社が雨乞いの龍神を祀ることから当社は占いの神を祀る式内社でないとする説もあるものの、時代を経て祭神や神格が変わることは大いにあり得るところでしょう。
当社が式内社ならば本来の御祭神は「櫛真命」のはずですが、現在はどういうわけか神世七代の最初の神である「國常立命」が主祭神となっています。この神を祭神とする神社はやや珍しいと言えます。
いずれにせよ、天香久山の山頂に鎮座する当社、北西麓に鎮座する「天香山神社」、いずれが式内社「天香山坐櫛真命神社」であってもおかしくなく、神秘の山「天香久山」の信仰を担う一社であることは間違いないでしょう。
境内の様子
当社は大和三山の一つ、標高152mの天香久山の山頂に鎮座しています。
山頂は平らな空間になっており、この奥側(北側)に当社の社殿が南向きに並んでいます。
なお当社に鳥居はありません。
拝殿は桟瓦葺の平入切妻造。壁も床も無く、小さな基壇上に建つ極めて簡素な建築となっています。
柱は細く、斜めに歪んでおりやや心配になる構造。
拝殿後方、玉垣に囲われた空間内に本殿が建っています。
この玉垣の右(東側)の外側に手水鉢が配置されています。導水設備はありません。
玉垣内の正面奥に左右二つの部屋に分かれた桟瓦葺・平入切妻造の覆屋があり、それぞれの部屋に一棟づつ、計二棟の本殿が納められています。
本殿はいずれも板葺の春日見世棚造。
向かって左側(西側)に建つ本殿は「國常立神社」。御祭神は「國常立命」。厳密にはこちらが本社ということになります。
向かって右側(東側)に建つ本殿は「高龗神社」。御祭神は「高龗神」。國常立神社と同規模ですが厳密には境内社という扱いのようです。
当社がかつて「竜王社」と呼ばれていたことから本来の信仰の中心はこちらだったものと思われます。
本殿前に配置されている小さな狛犬。砂岩製です。
高龗神社の手前側には壺が埋められています。旱の際はこの壺の水を変えると雨が降ると伝えられています。
また、この壺の水は北西麓の「天香山神社」に通じているとも言われています。
天香久山の山頂は西方の展望が開けており、近くには畝傍山、背後には二上山や葛城山などの山々を見渡すことができます。
山頂から南へ下り、途中の分かれ道で東側へ進んでいくと当社の末社である「伊弉諾神社」が東向きに鎮座しています。「上の御前」とも。御祭神は「伊弉諾命」。
玉垣と塀に囲われた基壇上に建ち、社殿は鉄板葺の春日見世棚造。
さらに山道を南へ下っていくと同じく当社の末社である「伊弉冊神社」が東向きに鎮座。「下の御前」とも。御祭神は「伊弉冊命」。
同様に玉垣と塀に囲われた基壇上に建ち、社殿は鉄板葺の春日見世棚造。
案内板
伊弉冊神社(下の御前)
山頂に当社が鎮座する天香久山を南から見た様子と西から見た様子。
同じく大和三山である畝傍山や耳成山と比べれば山容は地味ですが、記紀に特別な霊力のある山として幾度も描写されており、古くから極めて重要な信仰の山だったことは間違いありません。
由緒
案内板
國常立神社
地図
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