社号 | 佐紀神社 |
読み | さき |
通称 | |
旧呼称 | 大宮、二條宮 等 |
鎮座地 | 奈良県奈良市佐紀町亀畑 |
旧国郡 | 大和国添下郡超昇寺村 |
御祭神 | 経津主命、天児屋根命、六御縣神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月10日 |
式内社
佐紀神社の概要
奈良県奈良市佐紀町の小字亀畑に鎮座する式内社です。同町の小字西畑に鎮座する同名の神社「佐紀神社」と共に式内社「佐紀神社」の論社となっています。
社伝によれば白鳳三年(674年)の創建と伝えられ、平安時代に平城天皇の皇子・高岳親王が創建した寺院「超昇寺」が別当寺になったと言われています。
治承四年(1180年)の平重衡による焼討、および天正六年(1579年)の兵火を受けたと言われ、社地も狭くなったと伝えられています。
平城京のすぐ北方にあたる佐紀町(旧・超昇寺村)には先述の通り二社の「佐紀神社」が鎮座しており、御前池を挟み南東側の小字亀畑に当社が、西側の小字西畑に「佐紀神社」が鎮座しています。
詳細は不明ながら、古い資料に西畑の佐紀神社の記録が見えないことから近世後期に当社から西畑へ勧請されたことが考えられるようです。
当社の御祭神は「経津主命」「天児屋根命」「六御縣神」の三柱です。この内「経津主命」「天児屋根命」はいわゆる春日神を構成する神で中臣氏・藤原氏の氏神ですが、「六御縣神」は記紀にも登場せず全く聞き慣れない神です。
「六御縣神」とはその神名から推測して「倭の六県」、即ち古代に大和国にあった六ヶ所の朝廷の直轄地「高市県」「葛木県」「十市県」「志貴県」「山辺県」「曽布県」を守護する神であると考えられます。
しかし当社にその「倭の六県」の神が祀られる理由は全く不明です。当社の北方約1kmの歌姫町に「添御縣坐神社」が鎮座していることと関係があるのかもしれません。
境内の様子
平安京の北方、御前池の南東の畔に当社は鎮座しています。
社地は縮小されたと伝えられていますが境内は鬱蒼とした社叢となっています。
境内の西端で南向きに鎮座している社殿は境内社の「弁財天」。外からでもよく目立ちます。
社殿は桟瓦葺の一間社流造でベンガラか何かで塗色された形跡があります。
弁財天の右側(東側)に当社の鳥居が西向きに建っています。
鳥居をくぐった様子。数段ほどの石段があり、平野部にありながらもちょっとした高台になっていることがわかります。
参道を進むと突き当りになっており、左(北側)へ曲がると正面に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は瓦葺の平入入母屋造を基本としつつ、正面に大きな妻入切妻造の屋根が向拝のように設けられています。
奥の入母屋造の部分は京都府に多い一間四方で壁の無い舞殿風拝殿のような構造。
拝殿前の狛犬。砂岩製のものです。
拝殿後方へは立ち入ることができないのでよく見えませんが、基壇の上に朱鳥居が建ち、その奥の空間に本殿が建っています。
本殿は銅板葺の一間社流造のようで、鳥居と本殿の間に幣殿も設けられています。
拝殿の左右には何故か岩石が並べられています。
社殿の前の左右に社務所のような建物がそれぞれ建っています。神社の規模にしてはやや過剰な設備であり、もしかしたら神事の際の詰所などに使われているのかもしれません。
一方で当社には超昇寺関係の宝物が多数伝わっており、現在は奈良国立博物館に寄託されていますが、かつてこれらを保管する神庫でもあったのかもしれません。
本社社殿の森の中にひっそりと境内社が南向きに鎮座しています。社名・祭神は不明。
社殿は桟瓦葺の春日見世棚造で、ベンガラか何かで全体が塗色されています。
当社に隣接する「御前池」。
この池の東西の畔にそれぞれ「佐紀神社」が鎮座していることになります。
由緒
案内板
旧大和國添下郡超曻寺村二条小字亀畑鎮座
式内村社 佐紀神社
案内板
當社宝物目録
地図
関係する寺社等
佐紀神社 (奈良県奈良市佐紀町西畑)
社号 佐紀神社 読み さき 通称 旧呼称 鎮座地 奈良県奈良市佐紀町西畑 旧国郡 大和国添下郡超昇寺村 御祭神 経津主命、天児屋根命、六御縣神 社格 式内社、旧村社 例祭 10月10日 式内社 大和國 ...
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