社号 | 穂雷神社 |
読み | ほのいかづち |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県北葛城郡広陵町安部 |
旧国郡 | 大和国広瀬郡安部村 |
御祭神 | 天照皇大神、手力男命、栲幡千々姫命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 9月15日 |
式内社
穂雷神社の概要
奈良県北葛城郡広陵町安部に鎮座する式内社です。
当社は式内社「穗雷命神社」とされていますが、明治年間まで式内社「穗雷命神社」の所在は不明とされていました。
社伝によれば、当社は天文三年(1534年)に河合町川合に鎮座する「廣瀬大社」から「水穂雷神」の分霊を勧請して細井戸荘五ヶ村の氏神として奉斎したと伝えられています。
この社伝に従う限りでは、当社は式内社「穗雷命神社」として創建されたわけでなく、式内社「穗雷命神社」は廣瀬大社に鎮座していたことになります。
実際に廣瀬大社の古記録に白鳳十年(681年)に相殿の右座として「水穂雷命」を祀ったことが見え、現在も相殿として「穂雷命」を祀っており、こちらの方を本来の式内社「穗雷命神社」と見る説も有力です。
この「水穂雷命」を勧請したのが当社と伝えられていますが、どういうわけか現在の御祭神は「天照皇大神」「手力男命」「栲幡千々姫命」と全く関係のない神々となっています。
なお、廣瀬大社の古記録には水穂雷命は「天明玉の分霊」「坎火(あなひ)神」であるとも記されています。これらの意味するところは不明ですが、火の神であり明るく照らす神格であったことが窺えます。
であるならば「穗雷」も本来は「火雷」であったと推測されます。大和国の式内社には当社の他に忍海郡に「葛木坐火雷神社」(奈良県葛城市笛吹に鎮座)が、宇智郡に「火雷神社」(奈良県五條市御山町に鎮座)が鎮座しています。
古来より雷、特に夏場の夕立に伴い激しく鳴り響く雷は稲の実りを促すものと考えられており、豊穣を司る神としても信仰されました。雷と稲穂の実りが結びついて「穗雷」と記された可能性も考えられます。
さらに廣瀬大社は水神であり、また稲の実りに水が重要であることから廣瀬大社では「水穂雷命」として信仰されたのでしょう。
奈良盆地や京都盆地ではその地形により特に積乱雲が発達しやすく、雷が発生することも頻りにあります。奈良盆地や京都盆地で火雷神がしばしば祀られているのはこうした気象条件に起因しているのかもしれません。
当社が式内社「穗雷命神社」であるかはやや微妙と言えますが、この意味では当地らしい信仰とも言えることでしょう。
穂雷神社の概要
当社の一の鳥居は境内の50mほど東方に東向きに建っています。
一の鳥居から道なりに進んでいくとちょっとした高台になっているところがあり、ここが当社の境内となります。
入口となる石段を上ると二の鳥居が東向きに建っています。
二の鳥居をくぐってすぐ左側(南側)に手水舎があります。
正面に社殿が東向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造に妻入入母屋造の破風が設けられたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製で、そう古いものではなさそうです。
拝殿後方に幣殿および銅板葺・流造の本殿が建っています。有刺鉄線付きのブロック塀で囲まれており、無骨な印象が感じられます。
本社本殿の左側(南側)に「金刀比羅宮」が東向きに鎮座。
専用の小さな平入切妻造の拝殿が設けられ、その奥に流見世棚造の本殿が覆屋に納められています。
本社拝殿の左側(南側)に「愛宕宮」が東向きに鎮座。
こちらは拝殿はありませんが鳥居が建っており、本殿が覆屋に納められています。
当社境内を引きで見た様子。
樹木が疎らなためか開放的でかなり広く感じられる空間となっています。
境内から南側の道を挟んで向かい側に石造の地蔵菩薩像が安置されており、その傍らには用途不明の謎の石造物もありました。
由緒
案内板
穂雷神社々誌
地図
関係する寺社等
広瀬大社 (奈良県北葛城郡河合町川合)
0 社号 廣瀬大社 読み ひろせ 通称 旧呼称 鎮座地 奈良県北葛城郡河合町川合 旧国郡 大和国広瀬郡川合村 御祭神 若宇加能売命 社格 式内社、二十二社、旧官幣大社 例祭 2月11日、4月4日 式内 ...
続きを見る