社号 | 櫟本神社 |
読み | いちのもと / いちいもと |
通称 | |
旧呼称 | 八幡 等 |
鎮座地 | 大阪府堺市美原区真福寺 |
旧国郡 | 河内国丹南郡真福寺村 |
御祭神 | 瑞歯別命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 |
櫟本神社の概要
大阪府堺市美原区真福寺に鎮座する式内社です。
社伝によれば、瑞歯別皇子(反正天皇)がこの地の櫟の大樹を賞して「丹比の櫟本」と名付けたことに因むと伝えられています。
その他当社の創建・由緒については詳らかでなく、六国史等の史料にも当社は見えません。
並河誠所の著した江戸時代の地誌『河内志』によれば当時の当社は八幡と呼ばれていたといい、社の傍らに「櫟本」の地名があることを記しています。
地名から当社が式内社である可能性は高いと言えるものの、恐らく江戸時代には本来の御祭神が忘れられていたものと思われます。
現在の御祭神は「瑞歯別命」。当社周辺に反正天皇に因む伝承・伝説が多いことによる付会の可能性があり、本来はまた別の神が祀られていたのかもしれません。
また真福寺の地名はかつてこの地に存在した寺院の名で、当社の神宮寺だったものの中世の兵乱で焼失したと言われています。
当社は明治四十年(1907年)に多治井地区に鎮座する「丹比神社」に合祀されたといい、現在地はその跡地であると言えます。
しかし現在は社殿が建てられており、神社としての体裁が設えられています。
合祀された当初から社殿が残り続けたのか、それとも後に復興したのかは不明。いずれにしても現在も神社として信仰が存続しており人々の崇敬を集めているようです。
令和三年(2021年)には改修工事も行われていることから現在も土地の人々にとって大事な地と認識されていることが窺えます。
境内の様子
当社境内の南方100mほどの地に当社の鳥居が南向きに建っています。
この参道にかつてあったという桜の木は現存しないものの、鳥居と社号標は丹比神社への合祀後もそのまま残されていたようです。
鳥居からまっすぐ北へ進むと突き当りに玉垣に囲まれた境内があります。
ほんの小さな一画であるといえ、合祀以降に境内が縮小された可能性があります。
当社に隣接する「真福寺ちびっこ公園」が不自然に当社境内を取り囲んでいることから、本来はこの公園も社域だったのかもしれません。
入口には鳥居が無いものの、入ってすぐの両脇に小さなクスノキが生えており、丹比神社の境内北側にある二本の木のようにこれが神域の入口を示すもののようにも見えます。
入口を入ってすぐのところに社殿が南向きに鎮座。
拝殿は無く、小さな銅板葺の一間社流造の本殿のみが建っています。
境内に配置されている灯籠。これも恐らく合祀後もここに残されたものなのでしょう。
当社周辺の真福寺地区の様子。古い町並みが今でも残っています。
由緒
案内板
式内櫟本神社縁起
地図
関係する寺社等
丹比神社 (大阪府堺市美原区多治井)
社号 丹比神社 読み たんぴ 通称 旧呼称 若松天神 等 鎮座地 大阪府堺市美原区多治井 旧国郡 河内国丹南郡多治井村 御祭神 火明命、瑞歯別命 社格 式内社、旧村社 例祭 10月9日 式内社 河内国 ...
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