タマ姫
トヨ姫
タマ姫
ニュース見てたら大阪の古墳が世界遺産に登録されるんだって!すごいね!
そうね。全国第一位の規模の仁徳天皇陵を含む百舌鳥(モズ)古墳群や、全国第二位の規模の応神天皇陵を含む古市古墳群が世界遺産の登録を勧告されたのよ。
トヨ姫
タマ姫
それ、仁徳天皇陵!教科書で見たことある!
何かめちゃくちゃデカい鍵穴みたいなやつだよね?
その通りよ。長さ525mにもなる超巨大古墳なの。
一説にはクフ王ピラミッドや秦の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓とも言われてるみたいね。
トヨ姫
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ほえー。すごいね!それが大昔に造られたんでしょ?
昔の人は何でこんなものを造ったんだろう?
古墳が作られた時代は文字の記録がほんの僅かしか無いから古墳の実態はよくわからないところも多いわ。
でも発掘調査の成果もあってわかってきたことも多いのよ。
これからちょっと解説していきましょう。
トヨ姫
古墳の歴史
古墳=墓、でもそれだけじゃない!
タマ姫
その通りよ。でもこれが意外と難しいの。
昔の人のお墓って言っても古墳じゃないお墓もあるのよ。
例えば弥生時代のお墓は基本的に古墳じゃないし、古墳が造られなくなってからのお墓も古墳じゃないわ。
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じゃあつまり古墳時代に造られたお墓が古墳ってこと?
一般にはそのように解釈されてるけれど、それだと不十分ね。
「古墳時代に造られたお墓を古墳」とすると、じゃあ「古墳時代」って何ってなるじゃない?
そこで「古墳が造られた時代を古墳時代」とすると、じゃあ古墳って…と、このように循環論法になってしまうのよ。
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それに古墳時代がいつから始まるかってのは厳密に決まってるわけじゃないの。
さらには最近はこれまで弥生時代のお墓とされてきたものを古墳と見なそうという例も出てきてるのよ。
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だから他の時代とは違うお墓としての「古墳」をしっかりと定義していくことが重要になるわね。
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「古墳」以前の墓
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そうね、まず縄文時代は「
土壙墓(どこうぼ)」が主流だったのよ。
土を掘ってそこに遺体を埋葬するという形。いわゆる「土葬」ね。
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弥生時代に入っても相変わらず土壙墓は続いたけれど、北九州で甕に遺体を納める「甕棺墓(かめかんぼ)」や、支石に天井石を載せた「支石墓(しせきぼ)」が見られるようになって、他の地域では「石棺墓(せっかんぼ)」や「木棺墓(もっかんぼ)」も見られるようになったの。
トヨ姫
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よくわからないけど弥生時代からお墓の様子が変わってくるんだね!
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古墳のように埋葬施設の上に土を盛って墳丘を築いたお墓のことよ。
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古墳との違いは、古墳の被葬者が基本的に一つの古墳に一人なのに対して、弥生時代の墳丘墓は被葬者が複数なのよ。
家族が一緒に葬られてるとも言われてるわ。例外もあるけどね。
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もう一つ重要な違いとして、弥生時代の墳丘墓は地域ごとのばらつきが大きいのよ。
四角に区切って溝を掘るという「方形周溝墓」は広い範囲に広まったけれど、強大な政権があって規格を統一したとか、そういった政治的な意図はまだ発生してなかったみたいよ。
トヨ姫
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その通りよ。弥生時代の墳丘墓と古墳時代の古墳の違いは、それぞれの形状の違いというより、むしろそれが築かれた当時の社会構造の違いが重要なの。
稲作の導入に伴って小さな地域ごとに首長が現れ始めたのが弥生時代よ。
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「墳丘墓」の変遷と社会構造の変化
弥生時代の中期にもなると格差が大きくなって、首長の力も大きくなっていったの。
それに伴って権力を示すためにお墓も大きく立派なものになっていくのよ。
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中国地方の山間部や山陰で、四角形の墳丘墓の四隅に突出部を設けた「
四隅突出型(よすみとっしゅつがた)墳丘墓」というのが見られるようになるの。
突出部が登場したことは画期的で、後の前方後円墳の前方部に連なるものと考えられるのよ。
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さらに弥生時代の後期になると、吉備地方、今の岡山県にとても重要な墳丘墓が登場するの。それが「楯築(タテヅキ)墳丘墓」よ。
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楯築墳丘墓
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楯築墳丘墓は円墳状の主墳に二つの突出部が付いてるのよ。上から見たら、紙で捻って包んだキャンディみたいな形をしているわ。
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しかもとても大きいのよ。主墳だけでも50m、二つの突出部を合わせたら72mにもなるのよ。
これまでの墳丘墓が大きくても30m四方だったことを考えれば、これがいかに破格かわかると思うわ。
トヨ姫
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すごい!そんな急激に大きなお墓が登場したってことは、やっぱり社会が変わったからなのかな?
そうね。吉備の平野部一帯を支配して絶大な富と権力を持った勢力が登場して、その首長の墓だったと考えられてるわ。
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それだけのお墓が造れるってことは、やっぱりそれだけの人手や物資も必要だったもんね!
さらに楯築墳丘墓の大きな特徴として、壺状の土器や器台状の土器が出土していることよ。それぞれ「
特殊壺」「
特殊器台」と言われているわ。
これらは後の埴輪へと発展していったのよ。
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これでもまだ弥生墳丘墓って分類よ。とはいえ、もう古墳の一歩手前と言っても過言ではないわ。
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「古墳」の登場
さて、奈良盆地の南東の奈良県桜井市に「纒向(マキムク)遺跡」という弥生時代末期から古墳時代前期にかけての有名な遺跡があるんだけど、この周辺に「纒向古墳群」と呼ばれるいくつかのお墓があるのよ。
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纒向遺跡ってニュースなんかでもよく聞くね!桃の種が出てきたとか。
纒向古墳群は恐らくその纒向遺跡で暮らしてた人々のお墓と考えられているわ。
その中でも三世紀半ば頃に築かれた「纒向石塚古墳」や「ホケノ山古墳」など五基の古墳は「纒向型前方後円墳」と分類されているの。
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ホケノ山古墳
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実はこれらは古墳とするか弥生墳丘墓とするか微妙なところだったのよ。そこでこれらを「古墳」として再評価しようっていうのが纒向型前方後円墳って分類なの。
見た目は前方後円墳に似た形で、前方部と後円部が1:2の大きさであることも特徴よ。
トヨ姫
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一般的には古墳と見なされてるけど、学説ではまだ疑問も残ってるみたいね。
トヨ姫
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ところが、纒向古墳群の最後にとんでもないのが造られたのよ。それがかの有名な「
箸墓(ハシハカ)古墳」。
これはさっきの纒向型前方後円墳とは比べ物にならないほど巨大な、278mにも及ぶ前方後円墳よ。
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箸墓古墳
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…そうは言われてるけど、根拠は無いわ。
それよりも、このお墓は「古墳」と呼ぶことに誰も異論が無いというのが重要よ。確実に「古墳」と呼べる最古のお墓とも言えるわ。
トヨ姫
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三世紀後半頃に造られたこの箸墓古墳で円墳と方墳を組み合わせた「
前方後円墳」という古墳の規格が完成して、これ以降この定型化した「古墳」が各地で見られるようになるの。
「古墳時代」という区分が始まるのはだいたいこの辺りからと考えるのが一般的ね。
トヨ姫
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箸墓古墳はそれだけ重要なお墓なんだね!これもやっぱり社会が変わったからなのかな?
そうね。奈良盆地を拠点とする勢力が力を付けて、「大王(おおきみ)」と呼ばれる首長を盟主に、日本の広い範囲の国々の首長を従えて政治的な連合体を形成したと考えられるのよ。
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この政治連合体の盟主的な存在となった奈良盆地の勢力は「
ヤマト王権」と呼ばれているわ。
その後、彼らの規格化した前方後円墳が全国各地に造られるようになったことから、墳墓の定型化を通してヤマト王権を中心とする政治的な秩序を確立したと考えられているわ。
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前方後円墳を通してヤマト王権を中心に全国各地の結びつきが強まっていったってこと?
その通りよ。ただ、この時代は中国の歴史書に日本の記録が見えない「空白の四世紀」と呼ばれていて、この時代の日本に具体的にどのような社会があってどのような事蹟があったかってのはわからない部分が多いのが残念ね。
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「古墳」の展開、そして巨大古墳の時代へ
箸墓古墳の登場以来、全国各地に前方後円墳がどんどん造られていくようになっていくのよ。
そしてやはりヤマト王権の本拠地である奈良盆地では引き続き大規模な古墳が一貫して造られていったわ。
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そうね。詳しくは割愛するけど、箸墓古墳の次には「
大和古墳群」「
柳本古墳群」といった古墳群が築かれていってるわ。
これらは纒向からそう遠くないのだけど、その次にはちょっと離れて奈良盆地の北部に「佐紀盾列(サキタテナミ)古墳群」が築かれるようになるのよ。
ヤマト王権の拠点が移動したことが考えられるみたいね。
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佐紀盾列古墳群のウワナベ古墳
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そうね。こういった展開が五世紀頃まで続くのよ。
同じ時期には奈良盆地の西部に「馬見古墳群」があって、こちらも200mを超える大規模な古墳が築かれてるわ。こちらはヤマト王権に従属した葛城氏の墓だという説があるみたいよ。
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ふむふむ。…あれ、ちょっと待って。今回世界遺産に登録される古墳って大阪だよね!?奈良の古墳じゃないの?
ふふふ。実は佐紀盾列古墳群の次の時代には、今度は奈良盆地から大阪平野に移って古墳が築かれるようになるのよ。
それも今までと比較にならないくらい物凄く大きな古墳がね。
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そう。それが今回世界遺産に登録される、大阪府堺市の「
百舌鳥古墳群」や大阪府羽曳野市・藤井寺市の「
古市古墳群」よ。
時期としてはだいたい五世紀から六世紀にかけての頃ね。
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この時期にあの教科書に出てくる仁徳天皇陵が造られるんだ!
五世紀の初めには古市古墳群で全国二番目の大きさの「誉田御廟山古墳(応神天皇陵)」が、五世紀の前半か中頃に百舌鳥古墳群で全国一位の大きさの「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」が築かれたのよ。大仙陵古墳はその長さが525mにもなるの。
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百舌鳥古墳群の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
古市古墳群の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)。南方には応神天皇を祀る誉田八幡宮が鎮座し、古墳と神社の信仰が密接に結びついている
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誉田八幡宮 (大阪府羽曳野市誉田)
社号 誉田八幡宮 読み こんだはちまんぐう 通称 旧呼称 鎮座地 大阪府羽曳野市誉田 旧国郡 河内国古市郡誉田村 御祭神 応神天皇 社格 旧府社 例祭 9月15日 誉田八幡宮の概要 大阪 ...
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すごい!デカい!でも何で奈良じゃなくて大阪にそんなデカい古墳を造ったんだろう?
それについては謎なのよ。
奈良盆地を拠点とする王朝から大阪平野を拠点とする王朝へ交替したという「王朝交替説」というのが戦後多くの学者から唱えられているわ。
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一方で当時は中国や朝鮮半島も激動の時代だったのよ。
こうした東アジアの国際情勢に対峙すべく海に近い場所で巨大古墳によって権力を誇示したという面もあったかもしれないわね。
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他の地域を見てみると、同じ時代に吉備地方の岡山県岡山市で全国第四位の大きさの「造山古墳」が築かれているのよ。
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造山古墳
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その通りよ。その集大成が百舌鳥・古市古墳群だったと言えるわね。
こうした背景があって今回世界遺産に認められたことと思うわ。
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横穴式石室の登場と「古墳」の衰退
でもこれ以降の古墳はどんどん規模を縮小していってしまうのよ。
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でもこの頃から古墳に新しい設備が導入されたりもしたの。それが「横穴式石室」よ。
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愛宕塚古墳(大阪府八尾市)の横穴式石室
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これまでの古墳の埋葬施設は「竪穴式石室」といって、遺体を納めた棺を墳丘の穴に安置して、その外側に石を詰め込んでいって最後に蓋をするというものだったの。
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それに対して横穴式石室は、石を積んで棺を安置する広い石室やそれに通じる羨道などを作ったもの。
古墳に穴が開いてて中に広い空間がある、というのを見たことあると思うけど、あれが横穴式石室よ。
トヨ姫
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九州では四世紀頃と早い時期に横穴式石室が築かれ始めたけれど、畿内など各地で広まっていくのはだいたい六世紀以降ね。
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当時の最新のお墓のスタイルを取り入れていったわけだね!
中にはとても巨大な横穴式石室も築かれることもあって、そういうのは権力者の墓と考えられるわ。
有名な奈良県明日香村の「石舞台古墳」なんかが代表的ね。あれは本来あった墳丘が風化で無くなって横穴式石室の部分だけが残ったというものよ。
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石舞台古墳
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え、あれって普通の古墳みたいに墳丘があったんだ!最初からあの形だと思ってた!
一方でさっきも言ったように古墳の規模はどんどん小さくなっていって、遂には前方後円墳自体が造られなくなるの。
奈良県橿原市にある、六世紀後半に築かれた全国第六位の大きさの「見瀬丸山古墳」が最後の大王墓とも言われてるわ。
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見瀬丸山古墳
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300年続いた前方後円墳の文化もここで終わりなんだ。
その後しばらくは横穴式石室や、巨大な石をくり抜いて棺を納める「
横口式石槨」の古墳が築かれる時代が続くのよ。
だいたいは円墳という形ね。
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でもその間に大陸からの新しい政治体制を導入したり、政変によって政治が大きく揺れ動いたりもしたのよ。
そして大化の改新に伴う「薄葬令」、つまりお墓は簡単なものにしましょうっていう勅令が646年に発布されて、ここに古墳の時代は終わりを迎えるのよ。
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でもその後もしばらくは古墳が築かれ続けたのよ。
薄葬令の後に築かれた奈良県明日香村の「高松塚古墳」や「キトラ古墳」は石室内に美しい壁画が描かれていて、高く評価されているわ。
これが古墳文化の最後の華という感じね。
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高松塚古墳
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あ、それも教科書で見たことある!そっか、あれが古墳の最後なんだ!そう思うとまた見方が変わってくるなぁ。
まとめ
こんな感じで古墳の歴史から古墳というのがどういうものかを探ってみたけど、どうだったかしら?
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これでも古墳についてのほんのちょっとしか伝えられてないのよ。
今回は前方後円墳を中心に見てきたけど他にも様々な形の古墳があったりもするわ。
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よく知らないけど変わった形の古墳もあるって聞いたことある!
「石のカラト古墳」のような「上円下方墳」は有名かしら。方墳の上に円墳が載ってるという珍しい形の古墳よ。
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石のカラト古墳
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あと、今回は畿内を中心に見てきたけれど、他の地方ではまた違った古墳の歴史があったりするのよ。
例えば畿内で前方後円墳が築かれなくなっても関東地方では前方後円墳が築かれ続けたり、東北地方や北海道では「末期古墳」って言って、十世紀にまで古墳が築かれたりね。
トヨ姫
タマ姫
仁徳天皇陵のような有名な古墳は勿論のこと、そこらへんで放置されてるような古墳にも、千年以上も昔の人々の思いが込められてるはずよ。
今回のことでちょっとでも古墳に興味を持ったら、近くの古墳を散策して見るのも良いと思うわ。
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古墳を巡るときは蛇や虫といった生物に気を付けること、立入禁止のところには入らないこと、そして何よりも安全第一を心がけることを守ってね。
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