社号 | 堅田神社 |
読み | かただ |
通称 | |
旧呼称 | 大梵天王宮 |
鎮座地 | 兵庫県神戸市西区平野町堅田 |
旧国郡 | 播磨国明石郡鴨谷村 |
御祭神 | 大己貴命、猿田彦命、倉稲魂命、皇太神、素盞嗚尊 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 10月スポーツの日の前日 |
堅田神社の概要
兵庫県神戸市西区平野町堅田に鎮座する神社です。式内社「彌賀多多神社」の論社の一つとなっています。
社伝によれば、当社は天元二年(979年)正月十五日の創建と伝えられています。
『延喜式』の完成した延長五年(927年)より後の創建となり、もし当社が式内社とすれば矛盾が生じることになります。
当社は江戸時代以前は「大梵天王宮」と称する神社で、その名の通りインドの神ブラフマーが仏教に取り入れられた梵天を祀っていたものと思われます。
一方で当社の境内社に「弥賀多多神社」が鎮座するといい、そちらこそが式内社であるとも言われています。
或いはその「弥賀多多神社」が元々鎮座していたところに後に梵天が勧請されて主祭神になり、本来の神が境内社となったのかもしれません。
少なくとも式内社「彌賀多多神社」が当初から梵天を祀っていたとは考えられず、本来どのような神を祀っていたかは不明です。
当社の鎮座する丘陵の上は高度経済成長期に西神ニュータウンとして大規模に開発されたのに対し、丘陵下の明石川沿いは長閑な光景が広がっています。
本来の当社は明石川沿いの集落(旧・鴨谷村および金屋村 / 現在の堅田地区)を氏子としていた一方で、現在は西神ニュータウンの住民からの参拝も増えているようです。
境内の様子
当社は堅田地区の東側にある丘陵が突き出たところの端に鎮座しています。
堅田の地名は明治年間の村の合併により成立した村名を継承した大字で、それ以前は当地は鴨谷村と称していました。
突き出た丘陵の南側に境内入口があり、鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐるとRC造の社務所兼参集所が西向きに建っており非常に目立ちます。
社務所の向かい、境内の西側に手水舎が建っています。
手水鉢は元文六年(1741年)に奉納されたもの。(なお兵庫県神社庁HPは天文六年(1537年)としているがこれは誤り)
社務所の奥側(北側)に社殿が南向きに建っています。
拝殿は銅板葺の平入切妻造に軒唐破風の付いたもの。
拝殿左右の部屋に賽銭箱が設けられており、或いはここに随身が祀られているのかもしれません。
拝殿前に配置されている狛犬。
左側は風化が激しいものの、極めてユーモラスな顔つきです。
拝殿後方は銅板葺の妻入切妻造の本殿覆屋が建っており拝殿と一体化しています。
内部に建っていると思しき本殿は全く見えません。
兵庫県神社庁HPには「本殿は、桧皮葺き入母屋造で、幣殿は萓葺き切妻造で、拝殿は瓦葺き入母屋造である」との記述があるものの現在の社殿と全く合っておらず、近年に全く異なる形式で建て替えられたのかもしれません。
本社社殿の左奥(北西側)の森に道が伸びており、その先に境内社が南向きに鎮座しています。
社名等を示すものはありませんが、消去法で恐らくこちらが「弥賀多多神社」なのでしょう。こちらこそが式内社であったとも言われています。
社殿は銅板葺の妻入切妻造。
本社社殿の左側(西側)にちょっとした高まりがあり、ここに「堅田稲荷大明神」が南向きに鎮座。
斜面上に設けられた石段に朱鳥居が並び、奥に銅板葺の妻入切妻造の社殿が建っています。
堅田稲荷大明神の社殿右側(東側)の傍らに一基の瓦製の祠と二基の石祠が配置されています。石祠の片方には内部に丸石が安置されています。
社名・祭神はいずれも不明。
当社境内から眺めた景色。明石川沿いに長閑な光景が広がっています。
これに対して丘陵上には大規模に開発された西神ニュータウンが広がっており、実に対照的な光景でもあると言えます。


地図
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