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淡嶋神社 (和歌山県和歌山市加太)

社号淡嶋神社
読みあわしま
通称
旧呼称
鎮座地和歌山県和歌山市加太
旧国郡紀伊国海部郡加太浦
御祭神少彦名命、大己貴命、息長足姫命
社格式内社、旧郷社
例祭4月3日

 

淡嶋神社の概要

和歌山県和歌山市加太に鎮座する神社です。同じ加太地区に鎮座する「加太春日神社」と共に式内社「加太神社」の論社の一つとなています。

当社の創建・由緒について、社伝によれば次のように伝えています。

  • 紀淡海峡にある友ヶ島(地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の四島の総称)の内、神島(カミジマ)が当社の旧地である。神島は元は淡島と称し、ここに「少彦名命」と「大己貴命」が鎮まっていた。
  • 神功皇后の三韓征伐の帰途、嵐に遭ったので海上に苫を投げ入れ、神に祈願して流れに従って船を進めたところ淡島に漂着した。神功皇后はこれに感謝して三韓の宝物を神殿に奉納した。
  • 仁徳天皇が淡路島に遊猟した際、社を対岸の加太の地に遷し、ゆかりある「神功皇后」を祭神に加えた。

『日本書紀』神代記の第八段一書⑥で、オオクニヌシとスクナヒコナが国造りをした後にスクナヒコナが常世郷へ渡った際、スクナヒコナは淡嶋に至って粟茎に弾かれて渡ったとあり、この「淡嶋」を神島に比定する説があります。

ただ神社という形で神を常設の社殿で祀るようになったのは早くとも七世紀以降と見られ、社伝の伝えるように仁徳天皇以前に神社があったとは到底考えられません。

仮にある程度の史実が含まれているとすれば、恐らくそれは神社の前身として神籬等の神を祀る場だったものか、或いは遥かにもっと時代の下った時期の話でしょう。

当社の旧地とされる「神島」の名は神が祀られていたことに因むものと考えられ、現在は非常に小さな無人島ですが、当社と深い関わりのある島だった可能性は十分考えられます。

 

一方、当地は古くから海部郡に属していましたが、『延喜式』神名帳では「加太神社」は何故か名草郡に記されています。

これについて、海部郡は名草郡を分割して成立したもので、海部郡がまだ成立していなかった頃に作成された神名帳が『延喜式』にそのまま援用されているとする説があります。

ただ、海部郡の初見は『続日本紀』神亀元年(724年)十月八日条とそれなりに古く、それから200年を経て成立した『延喜式』でもそのまま修正されなかったとすれば不自然です。

また紀伊国の国内神名帳である『紀伊国神名帳』には海部郡に「従四位上 粟島大神」が記載される一方で、名草郡の天神に「従四位上 加七七神」が記載されています。「七七」は縦書きで「多」を誤ったものと見られ、そうすると海部郡の「粟島大神」とは別に名草郡に「加多神」が鎮座していたことになります。

こうしたことから式内社「加太神社」は当社でも「加太春日神社」でもない名草郡内の別の神社だったとする説もあります。

しかし他にそれらしい神社は存在せず、また「加太」はやはり当地(或いは海南市下津町方 / こちらも海部郡に属し「粟嶋神社」が鎮座する)と見るのが自然な解釈でしょう。

 

当社は時代が下ると「女性の守護神」として篤く崇敬を集めることとなっていきます。

江戸時代中期頃には「淡嶋願人(がんにん)」と称する人々が各地を遍歴して淡嶋神の縁起功徳を説き、これによって全国から多くの信仰を得ると共に各地に当社の神が勧請されました。

彼らの祭文によると、当社の神について概ね次のように語られていました。

  • 淡嶋神は天照大神の六番目の娘であり、十六歳で住吉神の后になった。
  • しかし下の病に罹ったために堺の浜から虚ろ船に流された。
  • 翌年の三月三日に当地に漂着し、死後はこの地で祀られ女性の病を平癒すると誓った。

これは後世の付会と見られるものの、こうした説話が当時の女性の切なる願いを叶えてくださる神として更なる信仰を集めたことは想像に難くありません。

当社は女性の病気平癒、安産、子授け等女性に関わる様々な願いに霊験があるとされ、珍しいものでは男性の浮気封じにも験があるとして信仰されているようです。

 

また当社では3月3日に行われる「雛流し」が有名で、これは不要になって当社に奉納された人形を舟に乗せて海へと流し供養するものです。

社伝では神功皇后が少彦名命の人形を作って奉納したことに始まるといい、ヒナとはスクナヒコナが約まったものとも伝えています。

これは勿論付会と見られるものの、「雛流し」はかなり古くから行われていたものと思われ、本来は形代としての人形に穢れを移して海に流すことで清める信仰に基づくものです。

このような「雛流し」「流し雛」は現在でも全国各地で行われている一方、当社では女性の守護神としての信仰の高まりに伴いいつしか人形供養としての側面が強まり現在の形になったものでしょう。

当然ながらかつては旧暦で行われていました。旧暦の三月三日は一年でも最も大きく潮が引く大潮とされ、この日の海は特別であり、この日に「雛流し」を行うことは海彼の神との交流を図る一面もあったと考えられます。

また旧暦三月三日は大きく潮が引くことから各地で潮干狩りを行う風習が全国で見られ、当社社前の海でも古くはこの日に多数の人々が挙って潮干狩りが行われたようです。海の幸を頂く点ではこれもまた海彼の神との交流であったのでしょう。

こうした風習は薄れた一方で、女性の守護神としての信仰は今も非常に根強く、特に供養のために奉納された人形や様々な置物が社殿や境内に夥しく配置されている様子は異様と言えるほどです。

奇異な神社として取り上げられることもしばしば見受けられるものの、これも江戸時代から淡嶋願人らの活躍により広まった信仰が進化したものと言え、現在も続く当社の歴史として尊重されるべきものでしょう。

 

境内の様子

当社は加太地区の西端、加太港の南西の丘の麓に鎮座しています。

境内入口には朱塗りの鮮やかな一の鳥居が北東向きに建っています。

観光地ともなっているため、一の鳥居の先の参道上には観光客向けの料理店が並んでいます。

 

参道を進んでいくと二の鳥居が北東向きに建っています。こちらも朱塗りの鮮やかなもの。

 

淡嶋神社

淡嶋神社

二の鳥居をくぐって右へ曲がり、若干の石段を上った先に社殿が東向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺の平入入母屋造に軒唐破風付きの向拝と千鳥破風の付いたもので、これもまた朱が鮮やかなものとなっています。

 

当社拝殿には供養のために奉納された雛人形が多数飾られており、当社の名物となっています。

訪問時は雛流し後の4月下旬だったため普段より少なかったらしいものの、それでも十分な迫力を感じられます。

 

拝殿後方には銅板葺の妻入切妻造の覆屋が建っており、恐らくここに本殿が納められているのでしょう。

 

当社の手水舎は本社拝殿の手前側(東側)に建っています。

 

本社拝殿の左側(南側)にある本瓦葺の平入切妻造の白い建物は「雛倉」と呼ばれています。

かつては徳川家より奉納された雛人形が納められていたといい、現在は古い雛人形を納めているようです。

 

本社拝殿をさらに回り込むと「大国主社」が北向きに鎮座。御祭神は「大己貴命」。

石室状に組まれた岩石の下側に賽銭箱が、その上に覆屋が建つという珍しい祭祀方法となっています。

覆屋内に納められている社殿は春日見世棚造で、周囲には大黒天をはじめとする七福神の人形が配置されています。

本社本殿にも大己貴命が祀られているはずですが、それとは別に境内社で祀られている理由は不明。

 

大国主社の奥に隠れるように「御神水」があります。

こちらも石室状に石が組まれ、そこに手水鉢が配置されているものの、訪問時は水が流れていませんでした。

 

大国主社の右側(西側)へ。石段を上り、本社本殿の左側(南側)にあたるところに境内社が東向きに鎮座。複数の神社が祀られているようですが具体的な社名・祭神は不明。

銅板葺の流造状の覆屋が建ち、中に社殿が納められています。

なお、覆屋の中には多数の男根像が配置されています。また、女性の病気平癒や安産を祈願して多数の女性用下着も袋に入れて投入されています。

 

上記境内社の左側(南側)に石段があり、これを上って右側(西側)に「遷使殿」と呼ばれる銅板葺の平入切妻造の建物があります。

当社では御祭神の「少彦名命」の神使はカエルであるとされており、これに因み遷使殿に多数のカエルの置物が納められています。

 

石段を挟んで反対側(東側)に「紀文稲荷社」が西向きに鎮座。

朱鳥居が建ち、春日造状の覆屋に社殿が納められています。

江戸時代の伝説的商人である紀国屋文左衛門が江戸へ移り住む前に勧請したとされています。

 

道を戻り、本社社殿の右側(北側)に建つ社務所の傍らに「紀文の帆柱」と呼ばれるものがあります。

これは紀国屋文左衛門の使用した船の帆柱であるといい、柱に穿たれた穴をくぐると願いが叶うとされています。

 

当社は拝殿に配置されている夥しい雛人形で有名ですが、他にも境内のあちこちに人形や招き猫、その他色とりどりの置物が配置されています。

その光景は異様ですが、これら一つ一つは人々に大切にされてきたものであり、これらを供養する場である当社は信仰心の薄れた現代人にとっても精神的な拠所となっているのでしょう。

 

当社社前の海岸の様子。

海の向こうに友ヶ島が見えます。ただし当社の旧地であるという神島は沖ノ島の向こうにあるためここからは見えません。

ここから「雛流し」が行われると共に、かつては旧暦三月三日に多くの人が集まり潮干狩りが行われました。

 

当社参道にある料理店では当地で獲れる貝類をふんだんに使った料理を味わうことができます。

特に「満幸商店」さんの「あわしま丼」は名物で、サザエ、おく貝、アサリなどを煮込んで丼にした豪快な料理で、ここでしか味わえないものとなっています。

 

タマヨリ姫
うわー、お人形がたくさん!神社自体が雛壇みたいでむっちゃすごい!
ここは江戸時代から女性の守護神として信仰されているのよ。今では雛流しの風習と合わさって人形供養の神社として有名になってるわ。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

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和歌山県和歌山市加太

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