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丹生官省符神社 (和歌山県伊都郡九度山町慈尊院)

社号丹生官省符神社
読みにうかんしょうぶ
通称
旧呼称丹生高野明神社、丹生七社大明神、神通寺七社明神 等
鎮座地和歌山県伊都郡九度山町慈尊院
旧国郡紀伊国伊都郡慈尊院村
御祭神丹生都比売大神、高野御子大神、大食都比売大神、市杵島比売大神、天照大御神、誉田別大神、天児屋根大神
社格旧郷社
例祭10月第4日曜日

 

丹生官省符神社の概要

和歌山県伊都郡九度山町慈尊院に鎮座する神社です。

社伝によれば、空海が弘仁七年(816年)に高野山を開基した際、高野山の入口にあたる北麓に高野山の地主神である「狩場明神(高野御子大神)」と、その母神であり高野山の地を譲った神である「丹生都比売大神」を祀ったのが当社であると伝えられています。

当初は「丹生高野明神社」と称したようですが、後には「丹生七社大明神」「神通寺七社明神」等とも称しました。後者は文字通り神に通ずる寺院の意で、古くから神仏混淆の霊場だったことを示しています。

現在の社名にある「官省符」とは広域地名、より厳密には荘園名で、平安時代から高野山の荘園であり、また高野山と一体的な領域でもありました。

「官省符荘」の名の由来は、律令制下の最高行政機関である太政官が発令した公文書「太政官符」および律令制下の八省の内で財政や租税を司る民部省が発令した公文書「民部省符」で、この両者によって不輸不入の権(不輸:朝廷へ納める租税の免除 / 不入:国司による介入の免除)が認められたことを指し、これがそのまま荘園名となったものです。

ただ、古くは「官省符荘」よりも「高野本荘」「高野政所」等と称することが多かったようです。

「官省符荘」が朝廷により不輸不入の権を認められた高野山の領域であり、また「高野本荘」「高野政所」の称にも示される通り、当地はまさに高野山の直接の支配下にあった地であり、当然ながら当社もまた高野山と深い関わりを持っています。

当社と境内を共有する寺院「万年山慈尊院」は後述のように高野山の政所が置かれた要所で、両社寺は一体的な信仰空間を形成してきました。

また当社は高野山へ通じる道「高野山町石道」の起点であり、一の鳥居脇には最初の町石(目的地(ここでは高野山)までの距離を示す道標)である百八十町石が建てられています。

このように当社は高野山の信仰において極めて重要な地であり、境内は「高野山町石道」の一部として国の史跡に指定されていることに加え、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産としても登録されています。

 

ただ、当地は当初からの鎮座地でなく、天文年間(1532年~1555年)にあった洪水により現在地に遷したといい、それまでは北方の「宮の橋」なる地にあったことが江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』に記されています。

旧地の具体的な場所は不明ながら、後述の慈尊院の旧地に隣接していたようです。

『紀伊続風土記』によれば、遷座前は「丹生明神(丹生都比売大神)」「高野明神(高野御子大神)」に加えて、文明年間(1469年~1487年)に「氣比明神」「厳島明神」を勧請したとしています。

丹生都比売大神の本宮である「丹生都比売神社」(かつらぎ町上天野に鎮座)でも承元二年(1208年)に「氣比神宮」(福井県敦賀市曙町に鎮座)および「厳島神社」(広島県廿日市市宮島町に鎮座)から神を勧請したといい、当社もこれに倣ったのかもしれません。

さらに『紀伊続風土記』によれば、当時の御祭神は次の通りだったと記しています。

  • 一宮(丹生明神)
  • 二宮(高野明神)
  • 三宮(氣比明神)
  • 四宮(厳島明神)
  • 三社宮(大神宮・八幡宮・春日明神)
  • 十二王子社
  • 百二十番社

この内、三社宮は元々は官省符荘の鎮守だったといい、現在の北西の神楽尾山なる地に鎮座していたものの、当社が現在地に遷ったときに三社宮も遷座したようです。

十二王子社・百二十番社も恐らく同時期の遷座もしくは勧請なのでしょう。そして当地への遷座により官省符荘の鎮守も三社宮から当社へと交替したものと思われます。

江戸時代後期の地誌『紀伊国名所図会』の挿絵には広大な瑞垣内に七棟の本殿が東西に並んでいる様子が描かれています。

しかし明治年間の神仏分離によって十二王子社と百二十番社が廃されたといい、さらにどういうわけか本殿も削減されて現在は三棟で構成されています。

現在の社殿と御祭神は次のように祀られています。

  • 第一殿「丹生都比売大神」「高野御子大神」「天照大御神(旧・三社宮)」
  • 第二殿「大食都比売大神(旧・氣比明神)」「誉田別大神(旧・三社宮)」「天児屋根大神(旧・三社宮)」
  • 第三殿「市杵島比売大神(旧・厳島明神)」

このように江戸時代後期とは全くバラバラに祭神が割り振られており、このような構成になった理由ははっきりしません。

ただ、残っている本殿三棟の内、第一殿・第二殿は永生十四年(1517年)の、第三殿は天文十年(1541年)の再建であるといい、特に前者は遷座前のものを移築したものとされています。これらは貴重な建築として国指定重要文化財となっています。

 

万年山慈尊院

丹生官省符神社と境内を共有して高野山真言宗の寺院「万年山慈尊院」があります。

境内の北側の低地に慈尊院が、南側の丘の上に丹生官省符神社があり、入口は北側にあるため手前側に慈尊院の境内が、奥側に丹生官省符神社の境内がある形になります。

寺伝によれば、空海が弘仁七年(816年)に高野山を開基した際、高野山の入口の要所に伽藍を建てて政所を置いたのが当寺の始めであるとされています。

当初の高野山は気候の厳しさ故に冬季は皆山を下りていたといい、代わりに冬季における修行・法要の場としたのが当寺でもありました。

さらに当寺については次のようにも伝えられています。

  • 空海の母である玉依御前は高齢であったが、子が開いた高野山を一目見ようと讃岐からはるばるやってきた。
  • しかし高野山は女人禁制だったため麓にある政所(当寺)に滞在し、本尊の弥勒菩薩を熱心に信仰した。
  • その後玉依御前は承和二年(835年)に亡くなるが、このとき空海は母が弥勒菩薩になったとの霊夢により廟堂を建て、自ら刻んだ弥勒仏と母の霊を祀った。

当寺の寺号にある「慈尊」とは弥勒菩薩の別名であり、当寺は弥勒菩薩の信仰の場となっています。

本尊の「木造弥勒仏坐像」は寛平四年(892年)の作と考えられ、上記の伝承とは符合しないものの、平安時代前期の数少ない作例であると共に、長らく秘仏であったため状態も良好で、極めて貴重なものとして国宝に指定されています。

現在は21年に一度開扉されており、次回は2036年の開扉となる見込みです。

また本尊を安置する弥勒堂(本堂)は鎌倉時代後期の建築で、こちらも貴重なものとして国指定重要文化財となっています。

 

当寺も丹生官省符神社と同様、元々は現在地の北方にあったと伝えられています。

ただ寺伝では天文年間の洪水より前、文明六年(1474年)に現在地に遷したといい、その後も旧伽藍は残っていたものの、天文年間の二度の洪水で悉く流され紀ノ川の川底になってしまったようです。

現存する弥勒堂は恐らく旧地にあったものを移築したものなのでしょう。或いは低地だった故に氾濫の危険が予想されたため、前もって安全な高所である当地に遷したのかもしれません。

 

高野山は長らく女人禁制の地だったため、玉依御前の伝承にも表れているように女性でも参詣可能な当寺は「女人高野」として女性からの崇敬を集めました。

高野山の女人禁制は解除されたものの、当寺は丹生官省符神社と共に世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録され、高野山の信仰を構成する霊場の一つとして近年殊に注目を集めています。

明治の神仏分離により丹生官省符神社は慈尊院から独立し、形式的には別の宗教法人となりましたが、現在も境内を共有しており真言密教における神仏混淆の様子を窺える寺社となっています。

 

境内の様子

当社と「万年山慈尊院」は境内を共有しており、境内の手前側は慈尊院の領域となっているため、当社へ参拝するには慈尊院の入口をくぐることになります。

慈尊院入口は石段上に本瓦葺の平入切妻造の四脚門が北向きに建っており「北門」と呼ばれています。

また北門の左右両側に築地塀が続き境内を囲っています。

北門および築地塀は16世紀の建立と推定され、いずれも和歌山県指定文化財となっています。

案内板

和歌山県指定文化財

築地塀・北門

 

北門をくぐった様子。手前側は慈尊院の伽藍が並び、中央奥の斜面に伸びる石段の上が当社の領域となります。

 

先に当社へ参拝します。

当社へ続く長い石段は119段もあるといい、下の12段は延享五年(1748年)、そこから上は宝暦三年(1753年)に奉納されたもので、九度山町指定文化財となっています。

案内板

九度山町指定文化財

丹生官省符神社 石段

 

石段途中に一の鳥居が北向きに建っています。

この鳥居は宝永二年(1705年)に槙尾山明神社の参道に建立されたものを明治四十三年(1910年)の合祀を経て大正十年(1921年)に移されたもので、九度山町指定文化財となっています。

また、鳥居の右側(西側)の傍らに、高野山の参詣道「高野山町石道」の起点であることを示す「百八十町石」が建っています。

五輪塔型の町石(目的地(ここでは高野山)への距離を示す道標)となっており、高野山の根本大塔まで180基、そこから奥の院まで36基の計216基もの町石が置かれています。

これらの内、実に179基が建立当初の鎌倉時代のものとされています。

案内板

九度山町指定文化財

丹生官省符神社 石造大鳥居

 

丹生官省符神社

さらに石段をのぼりきると朱塗りの両部鳥居である二の鳥居が北向きに建っています。

この先は平らな空間が広がっています。

 

二の鳥居をくぐって右側(西側)に手水舎が建っています。手水鉢は池に柱を設けてその上に据え置かれています。

 

丹生官省符神社

丹生官省符神社

二の鳥居をくぐって正面奥に社殿が北向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造の割拝殿。ただし柵が設けられており通路を通り抜けることはできません。

また拝殿の奥側左右に平入入母屋造の部屋が接続しています。

 

丹生官省符神社 本殿

拝殿の後方に桟瓦葺の妻入入母屋造の幣殿が、その背後の石垣上に三棟の本殿が建っています。

本殿はいずれも檜皮葺の一間社春日造で朱などの極彩色が施されたもので、向かって右側(西側)から第一殿、第二殿、第三殿となっています。

これらの内、第一殿・第二殿は永生十四年(1517年)の、第三殿は天文十年(1541年)の建立であるといい、特に前者は遷座前のものを移築したものとされています。これらは貴重な建築として国指定重要文化財となっています。

なお、これら本殿に祀られている御祭神はそれぞれ次の通り。

  • 第一殿「丹生都比売大神」「高野御子大神」「天照大御神(旧・三社宮)」
  • 第二殿「大食都比売大神(旧・氣比明神)」「誉田別大神(旧・三社宮)」「天児屋根大神(旧・三社宮)」
  • 第三殿「市杵島比売大神(旧・厳島明神)」

 

本社拝殿の手前左側(東側)には「招魂社」が東向きに鎮座。

鳥居が建ち、奥に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。

 

本社拝殿の左側(東側)には空海が霊地を求めていた際に犬を連れた狩人と出会った局面の絵が掲げられています。

この狩人の正体は「狩場明神」「高野明神」「高野御子神」などと呼ばれる神で、高野山の地主神です。この神の案内で空海は高野山の地を訪れ、ここに霊地として高野山を開基することになります。

 

万年山慈尊院

道を戻ります。上述のように境内の手前側(北側)の低地は高野山真言宗の寺院「万年山慈尊院」の領域となっており、伽藍が並んでいます。

 

北門をくぐったところから見て左側(東側)に本堂にあたる「弥勒堂」が南向きに建っています。

檜皮葺の宝形造で、鎌倉時代後期の建築と推定され旧地から移築されたものと考えられます。優美かつ貴重な建築として国指定重要文化財となっています。

本尊の「木造弥勒仏坐像」は寛平四年(892年)の作と考えられ、平安時代前期の数少ない作例であると共に、長らく秘仏であったため状態も良好で、極めて貴重なものとして国宝に指定されています。

現在は21年に一度開扉されており、直近では2015年に開扉されたので次回は2036年の開扉となる見込みです。

 

当寺は高野山が女人禁制だった時代でも参詣可能な「女人高野」として崇敬を集め、現在も女性から信仰されています。

乳癌平癒や安産、母乳の出ることなどを願って弥勒堂前には乳房を模した絵馬が数多く奉納されており、女性からの信仰の厚さが窺えます。

 

弥勒堂の南側に隣接して銅板葺の入母屋造の「拝堂」が建っています。

神社における拝殿に相当する建物となっています。恐らく法要等はこちらで行われるのでしょう。

 

拝堂の右側(西側)に銅板葺の朱塗りの多宝塔が建っています。本尊は「胎蔵界大日如来」で、脇侍を「胎蔵界四仏(「阿閦如来」「宝生如来」「不空成就如来」「阿弥陀如来」)」としています。

室町時代後期に三重塔として建立される予定だったものの、初重が組み上がった状態で中断し、後に多宝塔として改造され寛永元年(1624年)に完成したという稀有な経歴を持つ建築で、和歌山県指定文化財となっています。

案内板

和歌山県指定文化財

慈尊院多宝塔 一基

 

多宝塔の右側(北側)に「訶梨帝母堂」が東向きに鎮座。「鬼子母神」を祀っています。

社殿は檜皮葺の一間社春日造に朱塗りを施したもの。

 

訶梨帝母堂の右側(北側)に「大師堂(四国堂)」が東向きに建っています。本尊は「弘法大師」で脇仏は四国八十八箇所霊場の本尊八十八躯。

お堂は桟瓦葺の宝形造。

 

また弥勒堂の東側に覆屋が西向きに建ち、中に二社の社殿が納められています。

左側(北側)には「稲荷明神」が、右側(南側)には「辨財天」が祀られています。

 

北門をくぐってすぐ左側(東側)の玉垣内には二基の五輪塔が建っています。

紀年銘は無いものの二基ともに鎌倉時代の建立と推定され、旧地の頃からあったもの考えられています。

 

北門の手前傍らには下乗石が配置されています。

これは旧地の南門に建立されていたものの上部で、これも旧地の当寺を偲ぶものの一つとなっています。

こちらも紀年銘は無いものの、記録によれば保延二年(1136年)の建立であるといい、もしそうであるならば和歌山県下最古の下乗石となります。九度山町指定文化財

案内板

九度山町指定文化財

卒塔婆形 下乗石(歴史資料)

 

タマ姫
手前側にお寺が、奥側に神社があるんだ!珍しいね!
16世紀に洪水があって神社もお寺も今の地に遷ったみたいね。高野山の入口にあたるところで、高野山と深い関係があるのよ。
トヨ姫

 

御朱印

 

地図

和歌山県伊都郡九度山町慈尊院

 

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