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津秦天満宮 (和歌山県和歌山市津秦)

社号津秦天満宮
読みつはたてんまんぐう
通称
旧呼称
鎮座地和歌山県和歌山市津秦
旧国郡紀伊国名草郡津秦村
御祭神菅原道真公
社格
例祭7月25日

 

津秦天満宮の概要

和歌山県和歌山市津秦に鎮座する神社です。

社伝によれば、菅原道真公が左遷により大宰府へ向かう際に和歌吹上の浦に船を泊め、「千早の杜」と呼ばれた当地を訪れて「わがたよる千早の宮のます鏡 くもらぬすがたうつしてぞゆく」「ふりかえりかへり行くかも別れにし 千早の杜の見ゆるかぎりは」と歌を詠み、子の好寛を隣の神前村の中務家に預けたと伝えています。

しかし菅原道真公の左遷の経路は概ね山陽道沿いに船を進めたものと推測され、当地を訪れたとは到底考えられにくく付会と思われます。

ただ、神前地区には中務家の屋敷跡があるといい(その住所は現在はアパートと駐車場になっている)、屋根瓦には梅鉢紋が用いられていたらしく菅原氏と何らかの関係があったのは事実だったのかもしれません。

また社伝によれば、筑紫の安楽寺(現在の「太宰府天満宮」/ 福岡県太宰府市宰府に鎮座)より菅原道真公の画像を勧請したとも、また当地の農民が「北野天満宮」(京都府京都市上京区に鎮座)に参詣した時の霊夢によって社殿を建てたとも伝えられています。

その後御神体が一時行方不明になったものの、社頭の梅の木にかかっているのが発見され、寛文年間の1672年に御神体を社殿に納めて盛大に神事を行ったと言われています。

なお、当地の地名「津秦」は「ツワダ」と読みますが、当社の社名は「ツハタ」と読むようです。

 

麻為比賣(マイヒメ)神社

津秦天満宮の境内にある(或いは合祀されている)式内社で、石碑として祀られています。

この石碑は元は津秦天満宮の南方100mほどの地にあったといい、大正七年(1918年)に津秦天満宮に合祀し、石碑を現在地へ移転しました。

江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』によれば、享保年間(1716年~1736年)に命があって石を建て、「麻為比賣神享保甲辰」の九字を刻んだとあります。

その事情ははっきりしませんが、同記が引く『国造家正平二十年(1365年)検田取帳』に「知和夜二段知和姫敷地」と、また『康永二年(1343年)段別帳』に「有家郷千和夜免坪」「有家郷知和夜の森」とあるといい、この地で「知和夜姫神」なる神が祀られていたらしく、同記は式内社「麻爲比賣神社」は所在不明となっていたところをこの神に比定されたのではと推測しています。

ただ「知和夜姫神」なる神は記紀などの記録に登場せず詳細不明です。同記は備後国の式内社に「知波夜比古神社」(広島県三次市高杉町および三良坂町に論社あり)および「知波夜比賣神社」(広島県三次市布野町下布野に鎮座)があることを参考として挙げており、何らかの関係があるのかもしれません。

ただそうだとしても、式内社「麻爲比賣神社」がこの「知和夜姫神」とされた理由はやはり全く不明です。

和歌山県神社庁HPによれば、津秦天満宮には配祀神として「知波夜比賣神」が祀られているといい、恐らくこの神が当社の神だったのでしょう。

 

境内の様子

当社の一の鳥居は和歌山電鐵貴志川線の踏切を越えたところに東向きに建っています。

 

津秦天満宮

一の鳥居から少し進んだところの右側(北側)に境内入口があり、注連柱が建っています。

注連柱をくぐってすぐ正面奥に二の鳥居、そして社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造の割拝殿。

 

二の鳥居の両脇に配置されている狛犬。

 

拝殿手前右側(東側)に手水舎が建っています。

 

津秦天満宮

津秦天満宮

割拝殿の通路をくぐって正面奥に拝所および瑞垣、本殿を覆う覆屋などが建っています。

これらは一体的な構造となっておりかなり複雑な建物となっています。

まず銅板葺の妻入切妻造の覆屋を基本とし、その周囲に裳階が付き、その下に設けられている瑞垣と接続しています。

正面中央には妻入切妻造の中門(拝所)、そして一段低いところに妻入切妻造の庇が伸びたものとなっています。

覆屋に納められている本殿は全く見えないものの、和歌山県神社庁HPによれば檜皮葺の春日造であるようです。

 

拝所の手前には風化しているものの花崗岩製の狛牛が配置されています。

 

境内社

本社本殿の左側(西側)の空間に複数の境内社が鎮座しています。

これらは全くばらばらに位置しており、あたかも庭園の構造物であるかのような趣すら感じられます。

 

まず、本社本殿のすぐ左側(西側)に隣接して「稲荷神社」が南向きに鎮座しています。

三基の朱鳥居が並び、覆屋の中に銅板葺の神明造状の平入切妻造の社殿が納められています。

 

稲荷神社の手前左側(南西側)に「野槌神社」が南向きに鎮座。「牛神さん」とも呼ばれています。御祭神は「草野比賣神」。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

農耕の神として信仰されると共に、「クサ」つまり出来物の平癒にも霊験があるとして信仰されているようです。

社殿前に牛の石像が配されているのに加え、社殿には瓦製の牛の置物が置かれています。恐らくかつては農耕に使役する牛の守護神として信仰されたのでしょう。

そもそも本社が天満宮である故に狛牛などを配置しており、当社はまさに牛とゆかりの深い神社であると言えます。

 

野槌神社の左側(西側)に「弁財天社」が南東向きに鎮座。御祭神は「弁財天女王」。

社殿は鉄板葺の春日見世棚造で全体が朱に塗られています。

 

弁財天社の左側(南側)に「行者神変大菩薩」「大日聖不動明王」「八代龍王」を祀ったお堂が南東向きに建っています。

春日造状の覆屋の中に銅板葺の宝形造のお堂が納められており、当社境内において仏教的な場となっています。

なおこのお堂を祀るようになったのは昭和五十二年(1977年)からのことのようで、特に神仏混淆の名残というわけではなさそうです。

元々は大峰山の分身を勧請して各家庭で持ち回りで祀っていたもののようです。

案内板

御由緒

 

境内の西端に「恵比須社」が東向きに鎮座。御祭神は「津秦七恵比須」。

平入切妻造の覆屋の中に銅板葺の一間社流造の社殿が納められています。

案内板の文字が掠れて読みにくいですが、かつては隣村との境界の七カ所に恵比須神を祀っていたといい、近年の土地開発により当社境内で祀ることになったようです。

 

所変わって本社本殿の右奥(北東)に「麻為比賣神社」が鎮座しており、石碑という形で祀られています。

概要に記した通り式内社であり、この石碑は当社南方100mほどにあったものを大正七年(1918年)に現在地に移転したものです。

石碑は紀ノ川の南岸一帯で産する結晶片岩製。結晶片岩は層状に割くことは容易でも複雑な形状に加工するのは難しいため、石垣等にはよく用いられるものの石碑として使用されるのはやや珍しい例です。

 

タマヨリ姫
天満宮に牛神さんと牛さんだらけの神社だね!瓦製の牛の置物もかわいい!
牛は農耕機械が普及するまでは田圃を耕したりするのに用いられていたから、昔は農民にとってとても大切な動物だったのよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板

津秦天満宮御由緒

 

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