社号 | 田中神社 |
読み | たなか |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王社 等 |
鎮座地 | 京都府京都市伏見区横大路天王後 |
旧国郡 | 山城国紀伊郡横大路村 |
御祭神 | 素盞嗚尊、櫛稲田姫命、八柱皇子神 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 4月10日、10月第2日曜日 |
田中神社の概要
京都府京都市伏見区横大路天王後に鎮座する神社です。
社伝によれば、平安時代後期の治暦年間に祇園感神院(現在の八坂神社)から「牛頭天王」を勧請し、下鳥羽田中里(現在地は不明)というところに鎮座していましたが、戦国時代の天正年間に社殿が洪水で流され、当地に本殿が無傷で流れ着いたので改めてこの地に社殿を造営し祀ったと伝えられています。
一説に式内社「飛鳥田神社」は当社だとも言われていますが根拠は不明。社伝も延喜年間より後の治暦年間を創建としており、当社も式内社を主張していないようです。
現在は下鳥羽地区と横大路地区の産土神として崇敬を集めており、どういうわけか馬の神としても信仰されています。近隣に京都競馬場があることもあり、競馬ファンからも勝ち馬祈願の神として崇敬を集めているようです。
境内の様子
一の鳥居は交通量の多い幹線道路に面して南向きに建っており、その脇に掲げられている看板には馬の神であることが前面に推されています。また、後述の境内社の北向虫八幡宮は虫封じの神として信仰されており、こちらも推されています。
一の鳥居から続く参道は、右側(東側)はホームセンターの駐車場になっています。
参道を進んでいくと二の鳥居が建っており、ここが境内入口となります。境内は樹木が乏しいので開放感のある空間になっています。
二の鳥居手前の右側(東側)に手水舎があります。
二の鳥居をくぐると正面に南向きの社殿が並んでいます。
拝殿は銅板葺・平入入母屋造で、大きな切妻屋根の向拝の付いた新しい建築です。
拝殿前の狛犬。砂岩製でやや古めかしさが感じられます。
当社は馬の神として信仰されているため、拝殿の拝所の左右に木造の馬の像が奉納されています。躍動感溢れる造形で個性的な像です。
拝殿後方の本殿は銅板葺の一間社流造。一間社流造としてはかなり大規模な建築で、文化十三年(1816年)に造営されたものです。
後方につっかえ棒が設けられてるのが気になるところ。
拝殿前の左側(西側)の境内社。二社の相殿で、左側は「出雲社」(御祭神「大国主命」)ですが、右側は札がなく社名と御祭神はわかりませんでした。
拝殿前の右側(東側)の境内社。こちらも二社の相殿で、左側は「道祖社」(御祭神「猿田彦命」)、右側は「天満宮社」(御祭神「菅原道真公」)。
拝殿右側(東側)に鎮座する境内社。こちらは東向きに鎮座しています。二社の相殿のようですが札は一つしかなく、「草薙社」(御祭神「草薙剣」「八俣遠呂智霊」)とあります。左右に一柱ずつ祀られているのでしょうか。
いずれも本社御祭神の素盞嗚尊と関連の深い神です。
草薙社の右側(北側)に「雲水社」が鎮座。御祭神は「市杵島姫命」。
本社御祭神の素盞嗚尊が天照大神との誓約の際に生まれた神です。
境内の南東に「北向虫八幡宮」が鎮座しています。御祭神は「応神天皇」。社名の通り北向きに鎮座しています。
古くから幼児の夜泣き、癇癪といった異常行動は疳の虫と呼ばれて虫が引き起こしているものと信じられており、当社はこの疳の虫を封じることに霊験があると言われています。
社伝によれば、冷泉天皇の幼少の頃に疳の虫がひどく、母の藤原安子が当社に祈願したところ平癒したと言われています。これに因み安子の父の藤原師輔が御所を守護するようにと北方にある御所の方へ向けて祀ったと伝えられています。
全国各地で神の視線により祟りがある(神社の向く方角の先で船が転覆する等)ために社殿の向きを変えたとする例がありますが(淡路島の大和大国魂神社など)、当社の場合は全く逆の発想で、神の視線により御所を災厄から防ぐことを企図しています。これら民俗を考える上で重要な例となるかもしれません。
案内板
北向虫八幡宮
由緒
案内板
田中神社由緒
地図
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