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岡田国神社 (京都府木津川市木津大谷)

社号 岡田國神社
読み おかだくに
通称
旧呼称 天神社、天神宮 等
鎮座地 京都府木津川市木津大谷
旧国郡 山城国相楽郡木津村(?)
御祭神 生国魂尊、菅原道真、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
社格 式内社、旧郷社
例祭 10月21日

 

岡田國神社の概要

京都府木津川市木津大谷に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社とあり、古くは有力な神社だったようです。

社伝によれば、斉明天皇五年九月に「生国魂尊」を当地に祀ったのが創建と伝えられています。

江戸時代には「天神社」「天神宮」と呼ばれており、「菅原道真公」を祀る木津郷五ヶ村(大路村、千童子村、枝村、小寺村、南川村)の氏神として信仰されていました。菅原道真公は平安時代に合祀されたと伝えられており、また相殿に祀られている「八幡宮」は元慶元年(938年)に創設されたと伝えられています。

当社は式内社「岡田國神社」の論社となっており、現在も社名として名乗っていますが、江戸時代までは大野地区の「勝手神社」を式内社「岡田國神社」とする説が有力で、現在でも説が分かれています。

岡田國神社の「國(国)」とは「恭仁」と同じで、聖武天皇の天平十二年(740年)に勅により遷都された「恭仁京」で有名な地名です。恭仁京は木津川市加茂町例幣地区にある山城国分寺跡にあったと考えられ、この付近一帯を「クニ」と呼んだものと思われます。

明治初め頃に編纂された『特選神名牒』によれば、「勝手神社」は賀茂郷にあったと考えられるので式内社「岡田國神社」とは考えられず、一方で久仁(クニ)郷は鹿背山の北から西南にあり、確証は無いものの久仁郷にあたる当社が式内社「岡田國神社」であろうとする旨の記述があります。

ただ、この「久仁郷」の範囲については根拠が無く、当社の鎮座地付近を「クニ」と呼んだ記録は管見では見当たりません。恭仁京からも川と山を隔てた地であり、当地が「クニ」であったと考えるのは難しいかもしれません。

一方で当社は先述のように木津郷五ヶ村の氏神であり、古くから当地の中心的な神社として様々な神事の行われる場でした。当社は社殿をはじめ舞台や座小屋(詰所)など、神事のために使われる施設が良好に残っており、これらは南山城における神社の配置の典型的な例として京都府登録有形文化財となっています。

1974年に住宅地造成のために社地の一部を売却したことで多額の資金が入り、これをもとに1983年に新たに社殿を南方に造営しています。旧社殿をそのままの状態で残しつつ、隣接して新たな社殿を建てて本社としたことになり、全国的にも極めて異例の境内となっています。

 

境内の様子

鳥居は境内の200mほど西方に建っています。西向きの朱鳥居で、扁額には当社の旧称である「天神宮」との揮毫があります。

 

本来は参道は鳥居から真っすぐに伸びていましたが、旧社殿の南方に新しい社殿を建ててそちらを本社としたため、参道は新社殿の方へ向けて右側へカーブしています。JRの関西本線の線路をオーバーパスするため高架になっているのも特徴。

 

この参道を進んでいくと新社殿の建つ広々とした空間へと至ります。

新社殿は社地の一部を住宅開発のために売却した資金で1983年に建てたもの。

 

この空間の南側に手水舎があります。この手水鉢は旧社殿のものを持ってきたようで、慶安五年(1652年)のもの。

手水舎の柱石は井関川堤にあった鐘楼の柱石を転用したもので、これも数百年前のものとされています。

案内板「舌代」

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舌代

この手水舎の手水鉢石は舌にあった手水舎のものを再用しました。この石には慶安五年(西暦一六五二年)の銘があり今日迄約三百三十余年使はれて居った事になります。今後も数百年使はれる事になりませう。

又この建物の柱石は井関川堤に建てられて居りました鐘楼の柱石で転用致しました。これも又数百年前のものであります。

この背後の天神山は慶長九年(西暦一六〇四年)九月徳川家康公より寄進を受けましたもので今日尚四万坪御座います。昭和四十八年頃より松喰虫の被害を受け、松と云ふ松は枯れて行きました。実はこの板はその松から作りました。松が枯れてそのあとに桧杉苗約六万五千本を植て居ります。この直後の山の上の松は実生の松で苗松採取の神聖松です。

 

この空間の奥の基壇上に社殿が西向きに建っています。

拝殿は銅板葺・平入入母屋造に軒唐破風の付いたもの。正面五間の大規模な建築です。

 

拝殿後方には銅板葺・一間社春日造の本殿が建っています。こちらも春日造としては大規模な建築です。

 

本殿の左側に一間社春日見世棚造の小さな祠が建っています。社名・御祭神は不明。

 

社殿前の左右(北南)にはそれぞれ「座小屋」が建っています。これは神事の際に氏子が集う詰所で、南山城から大和にかけてよく見かける施設です。

当サイトでは便宜的に「座小屋」と呼んで分類していますが、神社によって呼び方が違っており、当社では「詰所」もしくは「仮屋」と呼ばれているようです。

この地方特有の施設が、新社殿が造営されてもなお設けられることは、この施設が神社において必須のものであると見做されていることを示すものでしょう。当地方は中世以来の祭祀形態を今に継承しているところが多く、社殿が新しくなっても可能な限り伝統を受け継ごうとする地元の意向が窺えます。

 

旧社殿

さて新社殿の空間の北西隅に下りの階段があり、ここを下りていくと両部鳥居が南向きに建っています。新社殿に隣接して旧社殿がかつての状態のまま残されており、その入口がこの両部鳥居となっています。

 

両部鳥居をくぐると西向きの旧社殿の建物群が建ち並んでおり、まるで遺跡のように以前の様子をそのまま保存しています。南山城特有の神社の配置をよく残しており、貴重な例です。

 

旧社殿の空間の中央には「舞台」が建っています。瓦葺・妻入切妻造の方一間の建築で、正面に庇と後座のような空間があり、能舞台に近い建築と言えます。江戸時代の建立、明治四十三年(1910年)に改築されたもので京都府登録有形文化財

南山城でも座小屋のある神社はそこそこある一方、舞台のある神社はそこまで多くありません。大半は失われたものと思われ、このように現在も残っているのは特に貴重です。

 

舞台の後方には瓦葺・平入切妻造の拝殿が建っています。正面五間・奥行二間で、正面と背部は壁の無い開放的な建築。上部には一面に絵馬が掲げられています。

元和六年(1620年)の建立で京都府登録有形文化財となっています。

 

拝殿の後方に石垣があり、その上には二基の鳥居が建っています。

 

二基の鳥居それぞれの後方に本殿が一棟づつ、計二棟建っています。いずれも檜皮葺の一間社春日造で、安永三年(1774年)に建立されたもの。同時期・同規模の春日造の本殿が並ぶのは春日大社の影響が考えられます。いずれも京都府登録有形文化財

なお、この社殿に今も神が祀られているのかは不明。また、江戸時代以前にどちらにどのような神が祀られていたのかも不明です。推測するならば、片方が菅原道真公、もう片方が八幡神だったのではと思いますがどうでしょうか。

 

本殿左側(北側)に鎮座する境内社。右側の春日見世棚造の祠は「水谷神社」で御祭神は「速秋津姫命」です。左側の二間社流造は社名・御祭神ともに不明。

 

二間社流造の社殿の前方に南向きの春日見世棚造の祠が鎮座。こちらは「厳島神社」で御祭神は「市杵島姫命」です。

 

本殿の右側(南側)には三棟の春日見世棚造の境内社が鎮座しています。左側から順に次の神社となっています。

  • 八王子神社」(御祭神「熊野久須日命」)
  • 天王神社」(御祭神「須佐之男命」)
  • 日出神社」(御祭神「天之忍穂耳命」)

 

舞台の左右(北南)それぞれに「座小屋」が建っています。先述の通り神事に用いられる氏子らの詰所で、当社では「詰所」もしくは「仮屋」と呼ばれています。

上に紹介した通り新社殿に座小屋が新設されているため、こちらはもう永遠に使われることは無いのでしょう。役目を終えた建築であると言え、このまま朽ち果てないことを祈るばかりです。

いずれも明治四十年(1907年)に改築されたもので京都府登録有形文化財です。

 

舞台から東方を見るとJR関西本線の線路が横切っています。かつてはこの先に参道が伸び鳥居まで続いていましたが、現在は完全に寸断されてしまっています。

 

高架となっている現参道から旧社殿を眺めた様子。

旧社殿が破壊されず保存されているのは喜ばしい一方で、もはや祭祀の場・信仰の場としては忘れられてしまった雰囲気もあり、もの悲しさも漂っています。

 

タマヨリ姫
元々あった社殿の隣にまた新しく社殿を建てたんだ!珍しいね!
そうね。旧社殿はこの地方特有の神社の様子を良好に残していて、こちらも貴重なものよ。旧社殿の方も未来に残していきたいわね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「岡田国神社」

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岡田国神社

木津川市木津大谷

岡田国神社は、近世まで「天神社」と称し、木津郷五か村の氏神として祀られてきました。創立については明らかでありませんが、明治十一年(一八七八)に延喜式内岡田国神社に比定されました。

西面する境内の社殿配置は、石垣の上に透塀を構えた一段高い所を神域として、本殿・摂社・小社などが建ち並び、その下の広場には、舞台を中心にしてそれを囲むように拝殿・南北の氏子詰所を配しています。現在の諸建物は、拝殿が元和六年(一六二〇)に建立、両本殿が安永三年(一七七四)に再建、南北両氏子詰所が明治四十年(一九〇七)に改築、舞台が同四十三年(一九一○)に改築されたものです。

本殿は、左右両殿より成り、同一形式の同一規模の一間社春日造の社が並んでいます。このような本殿のあり方は、春日大社の影響を示すもので、奈良県下を中心に見られますが、府下において同時期に同一規模で社殿が建立されているのは希な例となっています。

拝殿は、切妻造で本瓦葺の桁行五間、梁行二間の大型の建物で、柱太く力強い梁組を見せる、希少な建物です。

舞台は、方一間の切妻造で桟瓦葺の質素な建物です。

この舞台を挟んで南北に相対する両氏子詰所は、「仮屋」とも呼ばれる、桁行六間、梁行二間の切妻造で桟瓦葺の建物で、舞台を意識して、床面全体に緩やかな傾斜を付けた造りとなっています。

当神社にみられる、舞台を中心に拝殿・南北氏子詰所が配された構成は、府南部の相楽郡地域に伝わる配置形態ですが、現在この形式を保存している神社は少なく。山城地方の室町時代の惣の社の姿を伝えるものとして重要な遺構となっています。

このように、貴重な遺構の多い岡田国神社は、昭和六十三年三月、社殿が府登録文化財、北面の森を含む境内一帯は、文化財環境保全地区に決定されました。

また、当神社では、毎年十月二十一日に木津の秋祭り「蒲団太鼓台祭」が盛大に行われます。

昭和六十三年三月

木津川市教育委員会

 

地図

京都府木津川市木津大谷

 

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