1.京都府 2.山城国

水度神社 (京都府城陽市寺田水度坂)

社号 水度神社
読み みと
通称
旧呼称
鎮座地 京都府城陽市寺田水度坂
旧国郡 山城国久世郡寺田村
御祭神 天照皇大御神、高御産霊神、和多都美豊玉姫命
社格 式内社、旧府社
例祭 9月30日

 

水度神社の概要

京都府城陽市寺田水度坂に鎮座する式内社です。

当社の創建の様子は詳らかでありませんが、社伝によれば、元は当社東方の鴻ノ巣山から峰続きにあたる大神宮山(水度芝山とも)なる地に鎮座しており、文永五年(1268年)に現在地に遷座したと伝えられています。

『山城国風土記』逸文には「久世郡水渡の社(祇社)。名は天照高彌牟須比命・和多都彌豊玉比売命。」とあります。『延喜式』神名帳には三座とあるため、『風土記』逸文の「天照高彌牟須比命」とは「天照大神と高彌牟須比命」もしくは「天照国照彦火明命と高彌牟須比命」の二神を指すとする説があります。現在の御祭神は「天照皇大御神」「高御産霊神」「和多都美豊玉姫命」であるため、前者の説を採用しているようです。

当社の社名「水度(みと)」は水主神社を奉斎した水主氏と同系の「三富部(みとべ)氏」に関係するとの説があり、この氏族が当社を奉斎していた可能性があるかもしれません。上記の「天照高彌牟須比命」を「天照国照彦火明命と高彌牟須比命」と解する説は、当社を三富部氏の祖神である火明命を祀ったものとする考えに基づくものです。

一方で、当社は『風土記』逸文にもある通り海神である和多都彌豊玉比売命を祀っていたことがわかります。「水度」とは「水処」の意であり、麓の田畑を潤す水の源たる山に鎮座する神として、或いは西方を流れる木津川の流水の安寧を守護する神として、海神であり龍神でもある豊玉姫命が祀られたのでしょう。

水主氏は木津川の水運や治水に携わっていたことが考えられ、同系の三富部氏も同じ役割を持っていたとしてもおかしくありません。当社を奉斎した氏族が三富部氏であると断言できるものではありませんが、海神を奉祀し水に関する職掌を請け負っていた人々が奉斎していたことは間違いなさそうです。

当社には文安五年(1448年)に造営された本殿(国指定重要文化財)をはじめ、湯立て神事に用いられた応永三十二年(1425年)の銘のある「鉄湯釜」(城陽市指定文化財)、鎌倉時代前期の写経である「大般若経」(城陽市指定文化財)、文政十三年(1830年)に奉納されたおかげ踊りの様子を描いた絵馬である「おかげ踊り図絵馬」(京都府登録文化財)など非常に多数の貴重な文化財が伝わっています。古くから人々に厚い崇敬を受けた神社だったことが偲ばれます。

 

境内の様子

境内の西方、JR奈良線の踏切の西側に一の鳥居が西向きに建っています。そこから長い参道が伸びており、社殿までおよそ700mほどあります。

 

当社の参道。中央に車道が、右側(南側)に歩道があります。今でこそ公道になっていますがかつては当社の長い馬場でした。周囲が宅地化した今でも参道には木々が生い茂っており貴重な自然が残っています。

 

参道を600mほど進んだところに二の鳥居が建っており、ここが境内入口となります。鳥居の前に欄干が設けられているように小川が流れており、ここから先が神域であり聖俗を分ける役割を果たしています。

 

二の鳥居をくぐった様子。ここからは深い森に覆われ、勾配も急になります。

 

二の鳥居をくぐって左側(北側)に手水舎があります。

 

参道を上っていくと途中に踊り場のような平らな空間があり、ここに稲荷神社(後述)が鎮座しています。

2018年の台風21号の影響か、2018年10月参拝時の境内にはロープが張られており立入禁止である旨の貼紙がありました。

 

さらに参道を上っていくと社殿の建つ広い空間に出ます。社殿は参道と直角に南向きに並んでいます。

拝殿は檜皮葺・妻入入母屋造の舞殿風拝殿。内部には酒樽が積まれています。

 

拝殿の後方、石段上の空間に向唐破風の中門と透塀に囲まれて本殿が建っています。本殿は檜皮葺の一間社流造で、屋根の勾配が大きいこと、大きな千鳥破風が付いていることが特徴。文安五年(1448年)に建立された貴重な建築で国指定重要文化財です。

 

本殿前の狛犬。砂岩製のものです。

 

本殿の左側(西側)に境内社の「松尾神社」が鎮座しています。

 

境内の右側(東側)に木々に埋もれるように三社の境内社がそれぞれ鎮座しており、左から「天満宮社」「太神宮社」「八幡神社」となっています。

なお、当社の境内社は上の写真のように社殿の前に小さな盛砂が設けられています。ページのレイアウトの都合上見切れている写真もありますが、全ての境内社に盛砂があります。

 

八幡神社の右側(南側)に神明鳥居があり、その奥に「天神地祇」と刻まれた石碑があります。詳細は不明ですがあらゆる神々に向けてここで祭祀を行っているのでしょうか。或いは方角から推して当社の旧地(大神宮山/水度芝山:鴻ノ巣山から峰続きにあたる地)への遥拝所かもしれません。

 

拝殿の左側(西側)には境内社の「春日神社」が鎮座しています。

 

春日神社の右側(北側)には絵馬殿兼休憩所があります。京都府登録文化財の「おかげ踊り図絵馬」は神庫にでも収納されているのか流石にここにはありませんが、天保年間の絵馬や算額など古いものが掲げられています。

 

来た道を戻ります。社殿のある空間から参道を少し下りた北側に三社の境内社が並んで鎮座しています。左から「嚴島神社」「加茂神社」「日吉神社」です。

 

上述の参道途中の踊り場の北側には「稲荷大明神」が鎮座しています。しかし2018年の台風21号の被害が著しかったようで、2018年10月の参拝時は社殿や鳥居が倒壊しており、立入禁止になっていました。

こちらは以前(2011年)に訪れた時の稲荷大明神の様子。簡易の拝殿があり、本殿は神明造に似た平入切妻造でした。

また稲荷大明神の本殿の左側(西側)にもう一つの祠が、また拝殿の左側(西側)に「お塚」がありました。

 

さらに二の鳥居の方まで参道を下ります。手水舎の右側(東側)にちょっとした参道が伸びており、その先には「龍王神社」が鎮座しています。

本社に祀られている豊玉姫命と同様の神格と言えますが、このような境内の端で祀られているのは気になります。豊玉姫命として名の与えられる前から当地で祀られていた素朴な水神だったのかもしれません。

 

タマヨリ姫
参道がとっても長い!700mもあるんだって!
街中にありながらこれほどの参道が宅地化されずに残ってるのは奇跡的ね。それだけじゃなく、国重文の本殿など貴重な文化財も多い神社なのよ。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板「水度神社」

+ 開く

水度神社

鴻ノ巣山のふもとにある水度神社は、旧寺田村の産土神で、祭神は天照皇大御神・高御産霊神・少童豊玉姫命です。「山城国風土記」逸文に、「久世の郡水渡の社祇社」とあることから、風土記が編さんされた奈良時代には存在したと考えられます。平安時代前期に成立した『延喜式』には、「水度神社三座」と記されています。

重要文化財の本殿は一間社流造で、文安五年(一四四八年)に造営された市内に現存する最古の建物です。屋根は檜皮葺で、正面に大きな千鳥破風があります。また、庇の正面中央には、透彫の唐草と笹りんどうをあしらった欄間がつけられ、意匠を凝らした優美な建築です。

水度神社には京都府登録文化財の「おかげ踊り図絵馬」と、城陽市指定文化財の「鉄湯釜」、「大般若経」があります。「おかげ踊り図絵馬」は、文政十三年(一八三〇年)十一月一日に寺田村北東町の人々が水度神社に奉納したおかげ踊りの様子を描いたものです。「鉄湯釜」は、湯立て神事に使われていたと考えられ、銘文から応永三十二年(一四二五年)に作られたことがわかります。「大般若経」は、鎌倉時代前期にさかのぼる書写経で、村落における信仰の歴史を知る貴重な資料です。

城陽市教育委員会

案内板「水度神社」

+ 開く

水度神社

城陽市寺田水度坂 鎮座

ご祭神

天照皇大神
高皇産霊神
和多都美豊玉姫命

神社の由来記

創祀の年代は平安時代初期と伝う。史実によれば清和天皇の貞観元年正月(八五九)従五位下の神位を授かり、延喜の制には小社に列せられる。明治六年村社、同十五年郷社、同四十年府社に昇格、現在は社格廃止され、神社本庁に属する宗教法人水度神社と称す。

旧社地は境内領東に往古鴻が巣を結んだ鴻の巣山の峰つづきにあたる大神宮山であったと伝う。現在の地へは鎌倉時代の文永五年(一二六八)に旧地より遷し奉り今日に及ぶ。由来、寺田郷の産土神として氏子の信奉篤く近年近郷よりの参詣者もその数を増す。

本殿は正面一間、側面二間の変化に富んだ流造破風様式(千鳥正面破風)で簡素にして優美な建築である。社殿棟札によれば室町時代の文安五年(一四四八)の建立になる。その後桧皮葺替えの修理を重ねて今日に至る。現在は重要文化財に指定されている。

神社の大祭

九月三十日 例祭 十月二日 大祭

小宮十社

天満宮社 日吉神社
太神宮社 加茂神社
八幡神社 厳島神社
松尾神社 稲荷神社
春日神社 竜王神社

 

地図

京都府城陽市寺田水度坂

 

-1.京都府, 2.山城国
-, ,

Copyright© 神社巡遊録 , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.