社号 | 金村神社 |
読み | かなむら |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県葛城市大屋 |
旧国郡 | 大和国葛下郡大屋村 |
御祭神 | 大伴金村 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月12日 |
金村神社の概要
奈良県葛城市大屋に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられており、古くは有力な神社だったようです。
社伝によれば、「大伴金村」の霊を安閑天皇二年に勧請したとされています。
軍事氏族だった大伴氏は物部氏と共に、古代において大王を補佐する重要な役職である大連に就いた極めて有力な氏族でした。
特に五世紀以降は外交政策において重要な役割を果たし、大伴金村の頃には権勢を振るい全盛期を築いたと言われています。
しかし大伴金村は任那が新羅に併合されるなど朝鮮半島の経営に失敗し、物部氏による糾弾を受けて失脚、晩年は摂津国住吉郡に住みその地で亡くなったとされています。
その大伴金村を祀るとされる当社ですが、当地に大伴氏が居住していた痕跡は無く、また特に大伴金村ゆかりの地であるとも言えないので、大伴金村を祀る神社が当地にある理由は全くの不明です。
さらに社伝では安閑天皇の御代に創建としていますが、その時代には大伴金村は存命であり、彼の霊を祀る神社がその時代に創建されたとするのは不可解です。
こうしたことから、当社は大伴金村とは無関係で、偶々「金村」の社名が被ったに過ぎないとする可能性も十分考えられます。
ただ、その場合は当社の祭神・神格・祭祀氏族など全くの不明であり、他に当社の様子を知る資料も特に無いため、当社について明らかにするのは極めて困難と言えるでしょう。
往時は数十ヶ村をも氏神としていたとされる広大な神社だったとも伝えられていますが、現在は森の中に祠が建つのみの極めて小さな神社となっています。
境内の様子
大屋地区の南端に狭い範囲ながら非常に鬱蒼とした森があり、そこが当社の境内となっています。
この一画の石段上に鳥居が南向きに建っています。鳥居は比較的最近に建て替えられたようです。
鳥居をくぐった様子。左側(西側)に境内社が並び(後述)、正面の石段上のブロック塀に囲まれた空間に本社社殿が南向きに建っています。
当社に拝殿などの施設は無く、銅板葺・一間社春日造の小さな本殿があるのみです。
鳥居をくぐって左側の境内社。二棟が東向きに並んでいます。
左側(南側)が「厳島神社」で右側(北側)が「稲荷神社」です。
由緒
案内板
金村神社
地図