社号 | 長尾神社 |
読み | ながお |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県奈良市阪原町 |
旧国郡 | 大和国添上郡坂原村 |
御祭神 | 熯速日命 |
社格 | |
例祭 | 10月17日 |
長尾神社の概要
奈良県奈良市阪原町に鎮座する神社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
案内板には「悪病退散の守り神として人々が恐れる「ウルシ」の生木を箸にして食べられたことから今も「ウルシ」の箸でお供えをしている」とあり、供饌の際に漆が用いられるようです。
その他、当社についての記録や伝承は乏しく、当社の由緒を明らかにするのは難しくなっています。
御祭神として「熯速日(ヒノハヤヒ)命」を祀る理由もはっきりしません。
一方、当社の本殿は「春日大社」(春日野町に鎮座)の本殿を譲り受けて移築したもの、即ち「春日移し」の一例です。
この本殿は桃山時代の建立であるといい、貴重な建築として国指定重要文化財となっています。
また当社境内には当地域には珍しく能舞台があり、明治年間の建立で奈良市指定文化財となっています。
社宝として室町時代の能面四面(尉、白色尉、延命冠者、悪相)が伝えられ、こちらも奈良市指定文化財です。
古くは宮座があったといい、当社に伝えられる能面や能舞台は宮座の間で能が舞われたことを示すものです。
現在は能は行われていないようですが、秋祭りにおいて「ジンパイ」「スモウ」と呼ばれる芸能がこの舞台で行われているといい、中世以来の農村における祭祀が窺われる神社となっています。
境内の様子
当社は阪原地区の集落西側に鎮座しており、境内入口に朱塗りの一の鳥居が東向きに建っています。
なお、当社境内へ入ると何故か警報機が作動するので注意が必要です。
手水舎は一の鳥居の手前右側(北側)に立っています。
一の鳥居両脇に配置されている狛犬。
鳥居をくぐった様子。広い空間となっており、奥の一段高くなった区画に社殿や境内社等が並んでいます。
この空間の左奥(南西側)に朱塗りの二の鳥居が東向きに建っています。
二の鳥居をくぐり石段を上ると正面奥に社殿が東向きに並んでいます。
拝殿は檜皮葺の妻入入母屋造。一間四方で床が張られておらず、四阿のような建築です。
拝殿両脇に配置されている狛犬。
拝殿後方、瑞垣の奥に建つ本殿は檜皮葺の一間社春日造に朱塗りの施されたもの。
この本殿は「春日大社」(春日野町に鎮座)の本殿を譲り受けて移築したもので、「春日移し」の一例です。
建立年代ははっきりしないものの桃山時代の建立であると推定され、貴重な建築として国指定重要文化財となっています。
本社拝殿の左側(南側)に「恵比須神社」が東向きに鎮座。
社殿はトタン屋根の春日見世棚造に朱塗りの施されたもの。
本社拝殿の右側に二社の境内社が東向きに鎮座しています。これらの境内社は以下の通り。
- 左側(南側):「八幡神社」/ 社殿:トタン屋根の春日見世棚造に朱塗りを施したもの
- 右側(北側):「愛宕神社」「天照皇大神宮社」の相殿 / 社殿:トタン屋根の二間社流見世棚造に朱塗りを施したもの
本社社殿の右側に朱鳥居が建ち、その奥はL字形の区画となっており多くの境内社が鎮座しています。
この朱鳥居をくぐってすぐ正面奥、本社本殿の右側(北側)に「御霊神社」が東向きに鎮座。
社殿は銅板葺の春日見世棚造に朱塗りを施したもの。他の境内社よりも規模が大きく、当社境内の中でも特に重要な地位にあるのでしょう。
御霊神社の右側(北側)から時計回りに次の神社が鎮座しています。
- 「戸隠神社」
- 「嚴島神社」
- 「五穀神社」
- 「白山比咩神社」
- 「金刀比羅神社」
- 「稲荷神社」
これらの内、戸隠神社と嚴島神社は東向きで、五穀神社以下は南向きとなっています。
社殿はいずれもトタン屋根の春日見世棚造に朱塗りを施したもの。
そして稲荷神社に相対するように「八王子神社」が北向きに鎮座しています。
社殿は同じくトタン屋根の春日見世棚造に朱塗りを施したもの。
また八王子神社の左側(東側)に「愛宕月参講中」、右側(西側)に「天照皇太神宮」と刻まれた石碑が建っています。
道を戻り、境内を入ってすぐ左側(南側)、境内の南東隅に能舞台が建っています。
茅葺の平入入母屋造の建築で、楽屋と橋掛も設けられた本格的なもの。
舞台は明治年間、楽屋と橋掛は昭和前期の建立であるといい、奈良市指定文化財となっています。
当社には社宝として室町時代の能面四面(尉、白色尉、延命冠者、悪相)も伝えられており、こちらも奈良市指定文化財です。
現在は能は行われていないようですが、秋祭りにおいて「ジンパイ」「スモウ」と呼ばれる芸能がこの舞台で行われているようです。
由緒
案内板
長尾神社
地図