社号 | 許世都比古命神社 |
読み | こせつひこのみこと |
通称 | |
旧呼称 | 五老神、五郎宮 等 |
鎮座地 | 奈良県高市郡明日香村越 |
旧国郡 | 大和国高市郡越村 |
御祭神 | 許世都比古命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月9日 |
許世都比古命神社の概要
奈良県高市郡明日香村越に鎮座する式内社です。
式内社「許世都比古命神社」は、武内宿禰の子「許勢小柄宿禰」を祖とする「巨勢氏」が奉斎した神社であると考えられます。
社名から「許世都比古命」を祀ることが明らかですが、この神は巨勢氏の祖である「許勢小柄宿禰」を神格化したものでしょう。
『新撰姓氏録』には右京皇別に石川同祖、巨勢雄柄宿祢の後裔であるという「巨勢朝臣」が登載される他、多くの「巨勢」を名乗る関連氏族が登載されています。
この式内社「許世都比古命神社」を当社に比定したのは江戸時代中期の地誌『大和志』で、恐らく地名「越(コシ)」がコセに通じることを根拠にしたものでしょう。
当時は「五老神」「五郎宮」などと呼ばれていました。これは許勢小柄宿禰が武内宿禰の第五子であることに因むとも言われています。
『三代実録』貞観三年(861年)九月二十六日の条には確かに「武内宿禰の第五男の巨勢男韓宿禰は巨勢朝臣の祖」云々とありますが、一方で『古事記』孝元天皇の段では武内宿禰の第二子として「許勢小柄宿禰」が登場しており、錯綜があります。
実際のところは恐らく宇智郡(現在の五條市北部)に多い御霊神社の神が勧請され、ゴリョウがゴロウと転訛したものであると推測されます。
ただ、式内社「許世都比古命神社」の当社への比定は大きな疑問があると言わざるを得ません。
何故なら『延喜式』神名帳に許世都比古命神社の記載されている高市郡は、かつては現在の御所市東部、JR・近鉄の吉野口駅周辺も含まれていたと考えられるからです。
吉野口駅付近は「古瀬(コセ)」の地名が残り、西方の山は巨勢山と呼ばれています。『倭名類聚抄』大和国高市郡の「巨勢郷」はこの一帯と推測され、巨勢氏の本貫もこの辺りであると考えられます。
とすると巨勢氏の氏神たる式内社「許世都比古命神社」もそちらに求めるべきと考えるのが妥当でしょう。同じく高市郡の式内社「巨勢山坐石椋孫神社」も同様です。
『大和志』の編纂された当時は古瀬付近は葛上郡となっており、ここがかつて高市郡だったとは考えられなかったようで、式内社「許世都比古命神社」「巨勢山坐石椋孫神社」などは当時の高市郡内の別の場所に比定されてしまったものと思われます。
これを傍証するように、室町時代の文書『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)は式内社「許世都比古命神社」について、現在の吉野口駅周辺のかつて高市郡だった地に鎮座するとしています。
それによれば、式内社「許世都比古命神社」「巨勢山坐石椋孫神社」「天高市神社」の三社は巨勢山にあり、合わせて「巨勢山坐三處神社」と総称し、巨勢山の山中にあったことが記されています。
つまり「許世都比古命神社」「巨勢山坐石椋孫神社」のみならず「天高市神社」も巨勢山にあったらしく、この三社は現在とは全く異なる地にあったことになります。(さらに「稻代坐神社」も近隣の奉膳にあったとする)
『五郡神社記』はこれらの神社が具体的に巨勢山のどの辺りにあったのか記していないため比定は難しいですが、巨勢山の中腹に鎮座する御所市古瀬の「巨勢山口神社」は葛上郡の式内社のそれでなく、この三社のいずれかだった可能性が考えられそうです。
いずれにしても『大和志』は現在の御所市古瀬付近がかつて高市郡だったことを考慮しておらず、当社への比定は大いに疑問です。
やはり巨勢氏が氏神として奉斎した神社であるならば、巨勢氏の本貫たる御所市古瀬付近に鎮座していたと考えるべきでしょう。
境内の様子
当社は近鉄明日香駅のすぐ西方にある小さな丘に鎮座しています。
入口は丘の西麓にあり、石段上に西向きの鳥居が建っています。
傍らに建つ灯籠にはかつての社号である「五郎社」と刻まれています。
なお、当社に属するものであるかは不明ながら、境内入口の石段下の右側(南側)にこのような石が立っています。
これが何であるのか、何かが刻まれているのか等は全く不明。
参道を進みます。鳥居をくぐった様子。奥にちょっとした石段があり、その辺りから木々の生い茂る森となっています。
石段を上ると森のトンネルの先に社殿が建っています。
この奥の空間の左側(北側)に本殿が、右側(南側)に拝殿が建つ配置となっています。
境内奥部(東側)の左側(北側)に石垣があり、その上に鳥居と玉垣、塀で囲われて本殿が南向きに建っています。
石段上の正面に建つ本殿はトタン葺の一間社流造で中折れ式の屋根となっています。
本殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。
本殿の左右には多くの灯籠が配置されています。
こちらの灯籠にも当社の旧称である「五郎宮」などと刻まれているのが確認できます。
本殿と向かい合うように、境内の南側に桟瓦葺・平入切妻造の拝殿が建っています。
この拝殿は最近になって建て替えられたようです。写真は2021年のもの。
2014年参拝時の拝殿はこのようなものでした。
桁行五間ながら中央の一間はかなり広く取られ、壁がなく出入り可能となっており、長床に近い構造となっています。
奈良県の神社では崖沿いに拝殿が設けられ普段の参拝に寄与しない例がしばしば見られ、当社はその典型例です。こうした拝殿は主に神事等に用いられるのでしょう。
当社境内は本社社殿からさらに東側へ続いており、石段を下りたところにやや広い空間があります。
この空間を奥(北側)へ進むと左側(西側)に境内社の「厳島神社」が南向きに鎮座。
社殿はトタン葺の春日見世棚造で塀に囲まれて建っており、手前に配置されている灯籠には「辨才天」と刻まれています。
参道を戻ります。
参道途中の左側(北側)の斜面上に石段があり、その上に灯籠が建っています。この灯籠には「富士大権現」と刻まれており、畿内では珍しく浅間信仰に基づくもののようです。
また、参道途中にある木を囲むように注連縄が掛けられていました。とりわけ目立つ樹木というわけでもなく、これが何であるかは不明。


地図
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