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呉津彦神社 (奈良県高市郡明日香村栗原)

社号呉津彦神社
読みくれつひこ
通称
旧呼称下宮 等
鎮座地奈良県高市郡明日香村栗原
旧国郡大和国高市郡栗原村
御祭神木花咲耶姫命、呉津孫神(?)
社格式内社、旧村社
例祭10月8日

 

呉津彦神社の概要

奈良県高市郡明日香村栗原に鎮座する神社で、式内社「吳津孫神社」は当社に比定されています。

『日本書紀』の雄略天皇の記事に「身狭村主青(ムサノスグリアオ)」なる人物が呉国に派遣され、機織や裁縫の技術を持った漢織、呉織、兄媛、弟媛らを連れて来たことが記されています。これを受けて雄略天皇十四年三月の条に呉の大使を迎え、呉人を檜隈野に置き、その地を「呉原」と名付けたと記しています。(『古事記』にも同様の記事あり)

この呉の人を置いたという「呉原」は当地の地名「栗原」と推定され、この地に鎮座する当社は呉の人々が祖を祀った、或いは身狭氏が祖を祀ったものだったことが考えられます。

『新撰姓氏録』左京諸蕃に呉孫権の子、高を出自とする漢系の渡来系氏族「牟佐村主」が登載されており、身狭(牟佐)氏も呉国の皇帝の子孫であることが示されています。

また『新撰姓氏録』右京諸蕃に呉国の人、太利須須を出自とする「工造」が登載され、この氏族は身狭村主青が連れて来た工人の子孫であるとも考えられます。

身狭村主青が呉国に派遣されたのは呉国の皇帝の子孫としてのコネクションを利用したものであったことが窺え、呉原の置かれた呉の人々を管理・統括する立場であった可能性も考えられます。

当社の創建はこうしたことを背景にし。彼ら呉国の人らの祖をクレツヒコとして祭祀したものだったのでしょう。

ただし、雄略天皇の御代は呉国はとうの昔に滅んでおり、倭王武が雄略天皇であるとする説に従えば、この時代に中国南部を治め、かつ倭国の朝貢先だったのは宋、南斉、梁です。

或いはこうした国々を「呉」と総称した可能性がある一方、記紀や『新撰姓氏録』に登場する「呉」は中国南部でなく朝鮮半島であるとする説もあります。

 

一方、室町時代の文書である『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)によれば、式内社「吳津孫神社」は檜隈郷子島村にある「子島神社」である、としています。

この神社は現在の高取町下子島に鎮座する「子嶋神社」で、『三代実録』元慶五年(881年)十一月十四日の条に登場する国史現在社です。

国史現在社たる「子嶋神社」を式内社「吳津孫神社」とするのは不審です。室町時代には子嶋神社を式内社「吳津孫神社」とする伝承があったのでしょうか。

ただ高取町下子島は当地からそう離れておらず、「呉原」が高取町下子島を含む広い範囲を指していた可能性は考えられるかもしれません。

 

当社は江戸時代には「下宮」と呼ばれていました。

当社の御祭神は資料によって異なっており、「木花開耶姫命」を主祭神とし境内社に「天児屋根命」を祀るとするものが基本ですが、本来の御祭神である「呉津孫神」を主祭神に加えている資料もあります。

また『式内社調査報告』は当社境内社の「鎮守神社」に本来の御祭神が祀られているともしていますが、2014年参拝時は当該の境内社はなくなっており、現在どのように祭祀されているのかはっきりしません。

 

境内の様子

当社は栗原地区の集落の中にあるちょっとした小高い丘の上に鎮座しています。

丘の上に続く石段があり、その途中に鳥居が北東向きに建っています。

 

石段下の左側(東側)に手水鉢らしきものが配置されています。

 

鳥居をくぐった様子。

 

石段を上って右側(北西側)に、上述の手水鉢とはまた別に手水舎が建っています。

 

石段の上は平らな空間になっており、右側(北西側)奥の石垣上に玉垣に囲まれて社殿が南東向きに建っています。

社殿は二宇の本殿で構成されており、いずれも銅板葺の春日見世棚造。

右側(北東側)に主祭神として「木花咲耶姫」が、左側(南西側)に境内社として「天児屋根命」が祀られているようですが、資料によって当社の御祭神はバラバラで、現在どのように祀られているのかはっきりしません。

 

本殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。

 

本社本殿の右側(北東側)にブロックで造られた覆屋らしきものが二つ設けられています。

かつてはここに境内社「鎮守神社」の社殿があり、或いはこの境内社に当社の本来の御祭神を祀るとする説もありますが、2014年参拝時はどういうわけか社殿がありませんでした。

 

本社本殿前の左側(南西側)に六臂の観音菩薩と思しき石仏が安置されています。

 

本社本殿と向かい合うように、境内の南東側に桟瓦葺・平入切妻造の建物が建っています。

当社の拝殿と社務所を兼ねたものでしょうか。奈良県には動線から外れた崖沿いに拝殿が建つ例がしばしば見られ、当社もその一例であるかもしれません。

 

当社境内からは西方に景色が開けており、檜前地域ののどかな景色が眺められます。

とはいえこの地域はキトラ古墳や檜前寺跡などがあり、古代は呉の工人が住んだとするのも納得の文化や技術の集積地だったことが窺えます。

 

タマヨリ姫
日本に来た呉の人がここに住んで祀ったのがこの神社ってこと?
そのように考えられるわね。でもその当時呉という国は無かったから、別の国のことを指していたと考えられるわ。
トヨタマ姫

 

地図

奈良県高市郡明日香村栗原

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