社号 | 小杜神社 |
読み | こもり |
通称 | |
旧呼称 | 樹森神社、木下社 等 |
鎮座地 | 奈良県磯城郡田原本町多 |
旧国郡 | 大和国十市郡多村 |
御祭神 | 太安万侶 |
社格 | 式内社、旧村社、「多坐彌志理都比古神社」境外摂社 |
例祭 | 3月12日 |
小杜神社の概要
奈良県磯城郡田原本町多に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は不詳ですが、古くから同じ多地区に鎮座する「多坐彌志理都比古神社」と非常に関係が深く、同社の境外摂社となっています。『延喜式』神名帳の註に「大社皇子神」とあり、これは多社(=多坐彌志理都比古神社)の御子神を祀るものと考えられます。
久安五年(1149年)に「多坐彌志理都比古神社」の禰宜が国司に提出した『多神宮注進状』によれば、当社は「樹森神社」と表記され、「皇子神命神社」や「姫皇子命神社」、「屋就神命神社」と共に同社の若宮となっていることが記されています。
続いて同書によれば当社の神は「瓊玉戈神尊」であり、同書の裏書にはこの神は「春日部座神社」と同体で、これは『延喜式』神名帳の河内国讃良郡の「高宮大社(杜?)御祖神社」のこととしています。
さらに同書によれば、“私考”として高宮大杜御祖神社の神は「天児屋根命」であるとし、当社の神「瓊玉戈神命」も「天児屋根命」であると間接的に示しています。
式内社「高宮大杜御祖神社」については現在は大阪府寝屋川市高宮に「大杜御祖神社」として鎮座しています。
同社の由緒ははっきりしないものの高宮神主の祖を祀ると考えられており、現在はその祖「天萬魂命」を祀っています。一方で同社が「天児屋根命」を祀っていた記録は見えず(江戸時代以前も牛頭天王を祀る神社だった)、その地に中臣系の氏族が居住した痕跡も特に見当たりません。
また仮に当社が「天児屋根命」を祀るとしても、「多坐彌志理都比古神社」の御子神として同神が祀られる理由も全く不明です。『多神宮注進状』によれば「多坐彌志理都比古神社」の祭神は「天忍穂耳尊」と「天疎向津媛命」であるといい、中臣氏の祖である「天児屋根命」とは接点がありません。
記紀にはアメノオシホミミの子、ニニギの天孫降臨に随伴した五柱の神の一柱に「天児屋根命」が記されているため、或いはこれに関するものかもしれません。
しかしその一方で同書には当社の神は天照大日孁神の皇子神と言うべしともあり、当社の御祭神についてイマイチはっきりしません。
一方、室町時代の『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)によれば、当社は「屋就神命神社」と相殿となって祀られており「別宮」と称していたことが記されています。
「多坐彌志理都比古神社」の南二町の地にあったとあり、ほぼ現在地と合致していますが、「屋就神命神社」は現在は別の地(橿原市大垣町)に祀られています。
両社は『延喜式』神名帳に「多坐彌志理都比古神社」とは別に記載されていること、また『多神宮注進状』にも同社に合祀されていることは見えないことから、少なくとも別々に祀られていたのが本来の形態だったものと思われます。
一旦「屋就神命神社」が当社へ合祀されて相殿となった後に再び戻されたのかもしれません。
いずれにしてもかなり古くから(或いは創建当初から?)「多坐彌志理都比古神社」と関わりの深い神社であるのは間違いありません。
なお、現在の当社の御祭神は多氏から輩出し『古事記』を編纂したことで知られる「太安万侶」となっています。
当社に「太安万侶」が祀られるようになった経緯は不詳ながら、『古事記』が重視されるようになった江戸時代以降ではないかとも考えられます。少なくとも本来の御祭神ではなかったはずです。
とはいえ現在は『古事記』ゆかりの神社として信仰されており、『古事記』編纂1300年周年にあたる2012年には記念行事が行われ、これを記念する石碑も建っています。
境内の様子
当社は「多坐彌志理都比古神社」の南方に隣接する森に鎮座しています。小さな森でありまさに「小杜」の社名に相応しいと言えるかもしれません。
森の東西いずれからも当社へ参拝できますが、森の北東側に社号標が建っており、こちらが表参道のようです。
社号標から南へ進んでいくと、右側(西側)に一の鳥居が東向きに建っています。
一の鳥居をくぐると森を回り込むようにさらに右側(北側)へ曲がります。
当社の森は樹木がやや疎らで、あまり古い森であるとは感じられません。
正面奥へ進むと塀と生垣で囲まれた広い基壇があり、中央の石段上に朱塗りの二の鳥居が南向きに建っています。
二の鳥居をくぐると正面奥に当社の本殿が南向きに建っています。社殿は銅板葺の一間社春日造で朱塗りの施されたもの。
当社に拝殿はありません。一方で社殿前には盛り砂がしつらえてあります。
当社の森の南西側には、当社の御祭神である「太安万侶」および彼の業績である『古事記』編纂を讃える石碑が建っています。
これは2012年の『古事記』編纂1300周年を記念して建立したもので、『古事記』上巻の一頁目がそのまま刻まれた洒落たものになっています。
地図
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