社号 | 太田神社 |
読み | おおだ/おおた |
通称 | |
旧呼称 | 太神宮 等 |
鎮座地 | 大阪府茨木市太田3丁目 |
旧国郡 | 摂津国島下郡太田村 |
御祭神 | 天照皇大神、速素盞鳴尊、豊受皇大神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 12月10日 |
太田神社の概要
大阪府茨木市太田3丁目に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒については詳らかでありませんが、一説に中臣氏の一族「中臣大田氏」が当地に居住し祖神を祀ったと考えられています。『新撰姓氏録』摂津国神別に天児屋根命の十三世孫、御身宿祢の後裔であるという「中臣大田連」が登載されており、この氏族が当社を奉斎した可能性があります。
当地周辺は「阿為神社」や「須久久神社」といった中臣系氏族が奉斎したとされる式内社が多いこと、藤原鎌足の墓であるとする説のある「阿武山古墳」があること、藤原鎌足を祀る「大職冠神社」が鎮座することなどから、中臣氏・藤原氏と関係の深い地であることがわかります。当社もこれに関連して祀られたことが考えられます。
一方で当社の東方に隣接して巨大な前方後円墳の「太田茶臼山古墳」があり、当社の祭祀と関係があった可能性が指摘されています。
太田茶臼山古墳は宮内庁により継体天皇陵「三島藍野陵」に治定されていますが、『延喜式』諸陵寮などに島上郡とあること、古墳の築造年代(五世紀中葉)が継体天皇の崩御年代(527年or531年)と合わないことから、学説では東方1.5kmにある「今城塚古墳」こそが継体天皇陵であるとするのが有力です。
とすると太田茶臼山古墳の被葬者は謎と言わざるを得ませんが、当地付近では飛躍的に大きな古墳が突如として現れたこと、陪塚を伴っていること、後に近隣に今城塚古墳が築かれていることからして、淀川水系を掌握した極めて有力な王族だったことが考えられます。
当社が創建されたのは太田茶臼山古墳が築かれてかなり後のことと思われますが、太田茶臼山古墳の被葬者に付き従い墓守を任されていた人々が創建したことも一つの可能性として考えられましょう。
また当地に関連するものとして『播磨国風土記』揖保郡大田里の条に次のような記述があります。
『播磨国風土記』(大意)
大田里。土は中の上。大田というのは、昔呉の勝(すぐり)が韓国から渡ってきて、始め紀伊国名草郡大田村に至り、その後分かれて摂津国三嶋賀美郡(島上郡)の大田村に移り、そしてまた揖保郡の大田村に来た。これは元は紀伊国の大田の名である。
このように呉の勝なる渡来系の人々が朝鮮半島からやってきて、紀伊国名草郡大田村(現在の和歌山市太田。JR和歌山駅の東方一帯)にまず至り、その後摂津国の大田村に移ったとあります。当地と考えられますが、『風土記』には三嶋賀美郡(島上郡)とあるため、後に郡境の変更があったことが考えられます。
これにより当地に渡来系の人々がおり、当地付近に進出し定着した中臣系氏族と融合し「中臣大田氏」が成立したとする説も考えられています。
当社の伝承は殆ど何もありませんが、太田茶臼山古墳に隣接するという土地柄、重大な歴史を秘めているようにも感じられる神社です。
境内の様子
当社はややわかりにくい場所に鎮座していますが、境内の約250m南方の道路沿いに灯籠があり、境内への道であることを示しています。
なおこの南方は追手門学院のキャンパスがあり、2019年現在新キャンパス建設のため喧しく工事をしていました。
灯籠から道を真っすぐ北へ進んでいくと南向きの鳥居が建っており、ここが境内入口となります。
鳥居をくぐった様子。杉の木の生い茂る境内です。途中にちょっとした石段があり、奥の空間は若干高い土地になっています。
参道の途中、右側(東側)に手水舎があります。
正面に南向きの社殿が並んでいます。拝殿は瓦葺の平入入母屋造。
拝殿前の狛犬。花崗岩製の新しいものです。
拝殿の後方に塀に囲まれて本殿が建っています。ただ、覆屋に納められており本殿の様子はよくわかりません。覆屋は銅板葺の平入切妻造。
左側に境内社「天神社」も鎮座しているようです。
本社本殿の左奥(北西)の森の中には「稲荷神社」が鎮座しています。
太田茶臼山古墳
当社の東方に隣接して「太田茶臼山古墳」があります。墳丘長226m、五世紀中葉に築かれた大規模な前方後円墳です。
宮内庁により継体天皇陵の「三島藍野陵」に治定されているものの、築造年代や立地から学説では疑問が持たれ、1.5km東方にある「今城塚古墳」こそが継体天皇陵であるとする説が有力です。
当古墳の被葬者は謎に包まれていますが、突如登場した巨大古墳であること、それも当地では珍しく陪塚を伴っていることから、極めて有力な人物だったことが想定されます。
当古墳が築かれてかなり年代が下ってから当社が創建されたものと思われるものの、立地からして当古墳と関係のある可能性は十分考えられます。
由緒
『摂津名所図会』
太田神社
太田村にあり。延喜式出。俗伝云 相殿三座 内宮 外宮 天王を祭る。摂社天満宮。
地図
関係する寺社等
阿為神社 (大阪府茨木市安威)
社号 阿爲神社 読み あい 通称 旧呼称 苗森明神 等 鎮座地 大阪府茨木市安威3丁目 旧国郡 摂津国島下郡安威村 御祭神 天児屋根命、応神天皇、宇賀御魂神、菅原道真 社格 式内社、旧村社 例祭 5月 ...
続きを見る
須久久神社 (大阪府茨木市宿久庄)
社号 須久久神社/須久々神社 読み すくく 通称 旧呼称 春日神社 等 鎮座地 大阪府茨木市宿久庄4丁目 旧国郡 摂津国島下郡宿久庄村 御祭神 速素盞鳴命、稲田姫命 社格 式内社、旧村社 例祭 10月 ...
続きを見る
春日神社 (大阪府茨木市清水)
社号 春日神社 読み かすが 通称 元須久久神社 等 旧呼称 鎮座地 大阪府茨木市清水2丁目 旧国郡 摂津国島下郡清水村 御祭神 天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比売大神 社格 式内社 例祭 10月1 ...
続きを見る