社号 | 菅田比賣神社 |
読み | すがたひめ |
通称 | 北垣内神社 等 |
旧呼称 | 八幡宮、信田社 等 |
鎮座地 | 奈良県大和郡山市筒井町 |
旧国郡 | 大和国添下郡筒井村 |
御祭神 | 伊豆能売神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月12日 |
菅田比賣神社の概要
奈良県大和郡山市筒井町に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
社伝によれば、菅田比賣神社は元々は「信太社」と称し、現在地の500mほど北方、筒井小学校東側の北篠田と呼ばれる地に鎮座していたと伝えられています。
天正八年(1580年)に兵乱により焼失、さらに水害に遭ったと言われ、時代を経て江戸時代末期頃に八幡神社の鎮座していた当地に遷座・合祀されたとされています。
当地は室町時代に筒井氏が拠点とした「筒井城」の一画にあたり、境内の東側から南側にかけて引かれている水路はその名残とされています。
菅田比賣神社とは別に当地に鎮座していた八幡神社とは、恐らく筒井氏が武神として八幡神を祀ったものだったのでしょう。
さて当社の現在の御祭神は「伊豆能売神」となっており、八幡神は祀られていないようです(境内社に「八幡神社」あり)。
伊豆能売神とは『古事記』においてイザナギが黄泉国から戻った際に穢れを祓い禍(災厄)を直す際に生まれた神の一柱です(なお『日本書紀』には登場せず)。
この神を祀る神社は極めて珍しく、式内社では他に出雲国出雲郡に「神魂伊豆之賣神社」がある他、伊勢国安濃郡(三重県津市藤方)の式内社の「加良比乃神社」で伊豆能売神を祀っている程度です。
この神が何故当社で祀られているのかは全く不明です。旧地において「信太社」と称していた時代から祀られていたのかどうかもよくわかりません。
一方、式内社「菅田比賣神社」は社名からして「菅田比賣」なる神を祀っていたことは明白で、『延喜式』神名帳に二座とあることからもう一柱別の神も祀られていたことが考えられます。
式内社「菅田比賣神社」は同郡の式内社「菅田神社」(現在は八条町に鎮座)の対となる神社であるとする説が有力で、そうであるならば菅田氏が祖神を祀ったことが考えられます。
菅田氏は『新撰姓氏録』に「天久斯麻比止都命」の後裔であると記されており、その后か娘にあたる女神を「菅田比賣」として祀ったのかもしれません。
しかし「菅田」の地名を見ると、当地から2.5kmも南方に「二階堂北菅田町」「二階堂南菅田町」があるため、果たしてそこから離れた当地までも「菅田」に含めて良いかという疑問があります。
またそもそも式内社「菅田比賣神社」が「信太社」に比定された根拠もはっきりしません。
式内社「菅田比賣神社」については不明な部分がかなり多いのが実情です。
境内の様子
当社は住宅街の中に鎮座しており、鬱蒼とした森となっている一画が当社の境内となります。
境内入口は境内の北側にあり、鳥居も北向きに建っています。
鳥居をくぐり参道を進むと、その奥は薄暗い森の中に社殿などが建つ広い空間となっています。
参道からまっすぐ進んだところに手水舎があります。手水鉢は盃状穴のよく目立つもの。
手水舎の右側(西側)に社殿が東向きに建っています。
拝殿は桟瓦葺・平入切妻造の割拝殿。
拝殿前の狛犬は花崗岩製。
拝殿内の左右の部屋の様子。
割拝殿とはいえ左右の部屋は仕切が無く土間となっており、中央が通路状になっているわけでなく連続した内部空間となっています。
拝殿後方はやや高くなっており、玉垣や塀で囲われた空間になっています。
この空間の中心に銅板葺・三間社流造で彩色の施された本殿が建っています。
三間社であるからには扉も三つありますが、祀られているのが「伊豆能売神」ただ一柱というのは不審です。八幡宮として三柱祀られていた頃からの社殿をそのまま使用しているのでしょうか。
一方で本殿に張られている幕は六曜紋が描かれており当社の神紋と思われます。八幡宮ならば一般に巴紋なので、恐らく信太社のものだったのでしょう。
本殿の建つ空間の四隅にそれぞれ境内社が一社ずつ鎮座しています。左手前(南東側)から時計回りに見ていきましょう。
南東側には「加茂神社」が東向きに鎮座。社殿は銅板葺の春日見世棚造。
加茂神社の奥、本社本殿の左奥(南西側)に「高良神社」が東向きに鎮座。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
高良神社の右側、本社本殿の右奥(北西側)に「春日神社」が東向きに鎮座。
社殿は銅板葺の春日見世棚造。
春日神社の手前側、本社本殿の右手前(北東側)に「八幡神社」が鎮座。社殿は銅板葺の春日見世棚造。
この神社だけ南向きとなっており、社殿前に灯籠も配置されています。明らかに他の境内社と異なる扱いです。
邪推するならば、信太社が当地に遷座した際、元々当地に鎮座していた八幡宮の神をこちらに遷したのではないでしょうか。
本社本殿が三間社なのに一柱しか祀っていない点、神紋が巴紋でない点などから、「庇を貸して母屋を取られる」ような状態となったのかもしれません。
道を戻り、境内の南東隅に「稲荷大明神」が西向きに鎮座しています。社殿はトタン屋根の春日見世棚造で覆屋に納められています。
この神社だけ本社本殿の空間でない点からこの神社も異なる扱いと言えますが、恐らく八幡神社のような特殊な事情があるわけではないでしょう。
境内の北東側、参道に沿ってこのような宝形造の小さな建物が二棟建っています。
手前側の格子が設けられている建物は弘法大師と思われる石像が安置されていました。
奥の建物も恐らく仏教関係のものでしょう。当社の神宮寺的なものの名残でしょうか。
地図
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