社号 | 八幡神社 |
読み | はちまん |
通称 | 西大寺八幡神社 等 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県奈良市西大寺芝町2丁目 |
旧国郡 | 大和国添下郡西大寺村 |
御祭神 | 誉田別命、気長足姫命、玉依姫命 |
社格 | |
例祭 |
八幡神社の概要
奈良県奈良市西大寺芝町2丁目に鎮座する神社です。
当社の創建については詳らかでありませんが、古くから真言律宗の総本山「勝寶山西大寺」の鎮守として祀られていました。
恐らく平安時代後期以降、神仏混淆が盛んに行われるようになった頃に西大寺の鎮守神として八幡神が勧請されたものでしょう。(西大寺と別に存在した八幡神社が後に西大寺の鎮守となった可能性も考えられる)
奈良時代に孝謙上皇(後に重祚して称徳天皇)が発願して建立された「西大寺」は南都七大寺の一つとして壮大な伽藍を有したものの、平安時代には衰退することになります。
その後鎌倉時代に僧「叡尊」が真言密教に基づいて律宗を捉え直した「真言律宗」を興し、当時荒廃していた西大寺の復興に努めました。このため叡尊は西大寺の中興の祖とされています。
或いは西大寺の鎮守神として当社が創建されたのもこの頃かもしれません。
当社では古くは能が行われていたといい、江戸時代の火災により当社で伝えられていた能面が焼失したものの、その際に西大寺から古い能面を譲り受けています。
このように西大寺と一体的な関係にあったものの、明治年間には神仏分離により西大寺から独立しました。
ただ、西大寺で行われている大きな茶碗で湯茶をふるまう「大茶盛」が令和三年(2021年)には当社で献茶式が行われるなど、古式を復興させる試みも行われてきています。
この「大茶盛」は叡尊が当社の社頭で民衆に茶を振る舞ったことに始まるといい、本来は当社とも関わりの深い行事だったと言えます。
当社の本殿は室町時代中期に建立された貴重な建築で国指定重要文化財となっています。
境内の様子
当社は「西大寺」の境内南側入口から西方350mほどの地に鎮座しています。
境内入口には石橋が架かり、一の鳥居が東向きに建っています。
一の鳥居をくぐると参道がまっすぐ奥へ続き、こんもりとした森の中へ入っていきます。
この森に入る辺りで二の鳥居が東向きに建っています。
二の鳥居をくぐった様子。鬱蒼とした社叢となっています。
参道を進むと奥に石段があり、ここを上って左側(南側)に手水舎が建っています。
石段を上った先は広い空間となっており、この正面奥に社殿が東向きに建っています。
当社に拝殿はなく、中門(拝所)、瑞垣、塀が本殿を囲っています。中門と瑞垣には朱が施されています。
中門の奥に檜皮葺の三間社流造に朱塗りを施した本殿が建っています。
右殿には「気長足媛命」、中殿には「誉田別命」、左殿には「玉依姫命」が祀られています。
この本殿は建立年代ははっきりしないものの室町時代中期の建立と推定され、貴重な建築として国指定重要文化財となっています。
なお、当社本殿はそこそこ大規模とはいえ、中門、瑞垣、塀で囲った空間はさらに広く取られており、かなり余裕のある配置となっています。
この塀内の本社本殿の右奥(北西側)に境内社が東向きに鎮座。社名・祭神は不明。
社殿は本瓦葺の春日見世棚造に朱を施したもの。
境内社等
塀の外側にも多数の境内社が鎮座しています。
本社社殿の左側(南側)に鳥居が東向きに建ち、その奥に「住吉神社」が東向きに鎮座。
社殿は銅板葺の一間社春日造に朱塗りを施したもの。
本社社殿の右側(北側)にも鳥居が東向きに建ち、その奥に二社の境内社が東向きに並んでいます。
これらの内、左側(南側)に「善女龍王神社」が、右側(北側)に「嚴島神社」が鎮座。 社殿はいずれも桟瓦葺の流見世棚造に朱塗りを施したもの。 |
当社社殿前の左右に神事の際に詰所として用いられる建物がそれぞれ建っています。
これらは京都府南部から奈良県北部にかけてよく見られるもので、当サイトでは「座小屋」と分類しています。
この建物の呼び方は各神社で様々ですが、当社では公式HPの境内図によれば南側にあるものを「左座小屋」、北側にあるものを「右座小屋」と呼んでいるようです。
左座小屋の手前側(東側)に「杉高大明神」が東向きに鎮座。狐の置物が置かれており、稲荷系の神社のようです。
鳥居が建ち、柵に囲われて銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。
道を戻ります。参道の右側(北側)に「コ」の字形に道が分岐しており、この西側の入口には鳥居が建っています。
この道に沿って三社の境内社が南向きに間隔を空けて並んでいます。
これら三社の境内社は左側から次の順で祀られています。
- 「嚴島神社」
- 「戎神社」
- 「若宮神社」
これらはいずれも朱塗りの春日見世棚造。若宮神社のみ本瓦葺で他は桟瓦葺となっています。
当社には境内社として二社の「嚴島神社」があることになります。
勝寶山西大寺
当社の東方350mほどの地に真言律宗の総本山「勝寶山西大寺」があります。当社は長らくこの西大寺の鎮守社として祀られていました。
西大寺は文字通り奈良の「東大寺」に対する寺院で、奈良時代に孝謙上皇(後に重祚して称徳天皇)が発願して建立され、南都七大寺の一つとして壮大な伽藍を有しました。しかしその隆盛は長く続かず、平安時代には衰退することになります。
鎌倉時代に入ると僧「叡尊」が真言密教に基づいて律宗を捉え直した「真言律宗」を興し、当時荒廃していた当寺の復興に努めました。
本堂は文化五年頃(1808年)頃に完成したもので国指定重要文化財。本尊の「木造釈迦如来立像」や「木造文殊菩薩及び脇侍像」、愛染堂の「木造愛染明王坐像」も国指定重要文化財となっている他、当寺を復興した叡尊の像「木造興正菩薩坐像」は国宝に指定されています。
由緒
石碑
八幡神社
地図