社号 | 可美真手命神社 |
読み | うましまでのみこと |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県神戸市西区押部谷町細田 |
旧国郡 | 播磨国明石郡細田村 |
御祭神 | 可美真手命 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 2月27日 |
式内社
可美真手命神社の概要
兵庫県神戸市西区押部谷町細田に鎮座する神社です。伊川谷町上脇に鎮座する「惣社」と共に式内社「物部神社」の論社となっています。
社伝によれば当社は成務天皇十九年三月九日に創建されたと伝えられています。
当社の鎮座する丘は「元住吉山(宮山)」と称し、明石川の対岸に鎮座する「住吉神社」は天平勝宝六年(754年)にこの地に鎮座し、永禄二年(1559年)に現在地に遷座したとされています。
「住吉神社」が当地に鎮座していた頃の当社との関係ははっきりせず、或いは境内社として鎮座していたのが住吉神社の遷座の際に当社のみ当地にとどまっているのかもしれません。
なお現在も「住吉神社」が管理しているようです。(境外社なのか兼務社なのかは不明)
当社の社名であり御祭神でもある「可美真手命」とは物部氏の祖「饒速日命」の子にあたる人物で、『古事記』では「宇摩志麻遅(ウマシマジ)命」、物部系の史書『先代旧事本紀』では「味間見(ウマシマミ)命」と表記されています。
式内社「宇留神社」を上記「住吉神社」に比定する説があるようで、或いは「宇留」を「布留」の意として共に物部氏に関する神社であるとする解釈があるのかもしれません。
ただ、式内社「物部神社」を当社に比定する説は江戸時代~明治の文献には管見では見当たらず、どのような経緯で比定されたのかははっきりしません。
当社が古くから饒速日命の子「可美真手命」を祀っていたとするなら真っ先に当社が式内論社として候補に挙がるはずで、当社の経歴についてもやや疑問が伴うと言わざるを得ません。
ただ、当地の広域地名「押部谷」とは「忍海部」に因むといい、製鉄技術を持っていた新羅系の集団「忍海漢人」との関係から当地に物部氏が居住していたと推測する説もあります。
なお式内社「物部神社」について、江戸時代の国学者である度会延経は著書『神名帳考証』で藤江浦に鎮座する旨を記し、その後のいくつかの文献でもこれを踏襲しています。
「藤江」を物部系氏族「葛井氏」に因むものとする推測が根拠となっています。
しかし、現在明石市藤江には「青龍神社」および「御崎神社」が鎮座するものの、いずれも式内社とする主張は皆無であり、現在では完全に否定されているようです。
境内の様子
細田地区の「住吉神社」から見て明石川の対岸、神姫バスの「細田住吉前」停留所に丘の上へ登る坂道があり、ここを登っていきます。
舗装されているのは最初のみで、進んでいくと森の中のやや荒れた道となります。
この道を進んでいくと左側(北側)に当社の鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐりまっすぐ進むと正面奥に本殿が南向きに建っています。大規模な流見世棚造に朱塗りを施したもの。
当社には拝殿は無く、その他手水舎や灯籠などもありません。
当社の鎮座する元住吉山(宮山)を南方から見た様子。東西に長く低い丘が明石川に向かって突き出している様子がわかります。


由緒
貼紙
可美真手命神社 御案内
地図
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