社号 | 信達神社 |
読み | しんだち |
通称 | |
旧呼称 | 金熊大権現、金熊寺大権現宮 等 |
鎮座地 | 大阪府泉南市信達金熊寺 |
旧国郡 | 和泉国日根郡金熊寺村 |
御祭神 | 神倭磐毘古命、金山彦命、伊邪那美命 |
社格 | 旧村社 |
例祭 |
信達神社の概要
大阪府泉南市信達金熊寺に鎮座する神社です。
社伝によれば、樽井の海岸に神武天皇の像が漂着したのでこれを引き上げて樽井に祀ったのが創建であるといい、後に現在地に遷座したと伝えられています。
海岸に漂着した神武天皇の像を祀ったとする伝承は極めて珍しく、当社と同様に神武天皇を祀る近隣の「男神社」(男里)と関係があるのかもしれません。
特に樽井地区は「男之水門」とも関係のある可能性のある男里地区の浜と隣接しており、その地一帯は神武東征の舞台であるとする伝承が根強かったのかもしれません。
ただし当社における神武天皇の伝承は『和泉志』『和泉名所図会』等の江戸時代の地誌には見えず、神武天皇が称揚されるようになった近代以降に創出された可能性もあります。
また社伝によれば、天武天皇十年(682年)に役行者が金峯・熊野の両神を勧請して当社に合祀し、金熊寺の鎮守としたと伝えられています。
当社を鎮守とした「一乗山金熊寺(キンユウジ)」は真言宗御室派の寺院で、その寺号は当社に合祀された金峯と熊野それぞれの頭文字に由来しています。
その後当社は信達13ヶ村の鎮守となったものの、天正十三年(1585年)の織田信長の根来攻めにより社殿が焼失したと伝えられています。
江戸時代に入って正保四年(1647年)にようやく社殿が再建され、この時の本殿が現在も残っています。
当社は金熊時の鎮守社として同寺と一体的に祭祀されてきたものの、明治元年(1868年)の神仏分離により同寺から独立して信達神社と改称し、現在に至っています。
現在の御祭神は「神倭磐毘古命」「金山彦命」「伊邪那美命」の三柱。
神倭磐毘古命は神武天皇、金山彦命は金峯山の神、伊邪那美命は熊野の神です。
また当社境内に鎮座する「疫神社」は、『延喜式』臨時祭に記されている畿内の境界の十ヶ所に祀った疫神(畿内堺十処疫神祭)の内、和泉国と紀伊国の間に祀ったものとされています。
境内の様子
当地「信達金熊寺」は金熊寺川沿いの小さな盆地にあり、ここに集落を形成しています。
当社はこの小盆地の西端北側に鎮座しており、入口には鳥居が南向きに建っています。
社名や地名に見える「信達」とは荘園に因む広域地名で、その中心は下流の平地にある熊野街道沿いの旧・信達宿です。
当社はそこからやや離れているものの、かつて当社は信達一帯の鎮守だったようです。
鳥居前に配置されている狛犬。
鳥居をくぐって参道を進むと石製の反橋があり、この辺りから森の中へと入っていきます。
反橋を渡ってすぐ左側(西側)に手水舎が建っています。
さらに参道を進むと石段があり、その上には本瓦葺の平入入母屋造の割拝殿が南向きに建っています。
この割拝殿は桁行九間にもなる大規模なもの。
割拝殿を本殿側から見た様子と左右の部屋の様子。長床形式となっています。
長床は一般に修験道の寺社でよく見られ、当社は修験道の霊場である金峯山および熊野から神を勧請したことから、当社でも修験者がこの割拝殿に集ったのかもしれません。
割拝殿の正面奥に石垣が積まれ、その上に本瓦葺の平入切妻造の中門(拝所)、そしてその左右に瑞垣が設けられています。
拝所の奥には檜皮葺の五間社流造に千鳥破風と軒唐破風の付いた本殿が南向きに建っています。朱をはじめとする極彩色が全体に施された非常に鮮やかなもの。
この本殿は正保四年(1647年)に再建されたものとされています。貴重な建築であると言えますが、何故か指定文化財にはなっていません。
見たところ府指定相当ではないかと思われ、規模が大きいことから国重文でもおかしくない物件でしょう。
本社本殿の右側(東側)に「疫神社」が南向きに鎮座。御祭神は「久那戸之大神」。
『延喜式』臨時祭に記されている畿内の境界の十ヶ所に祀った疫神(畿内堺十処疫神祭)の内、和泉国と紀伊国の間に祀ったものがこちらに比定されています。
社殿は檜皮葺の一間社春日造に軒唐破風の付いたもの。
拝所前の右側(東側)に大きなナギの木が聳えており、大阪府指定天然記念物となっています。
一般にナギは熊野権現の神木であり、当社も熊野権現を祀っていたことからその縁で植えられたものと考えられます。
案内板
御神樹ナギ
割拝殿奥の空間は東側に広がっており、ここにいくつかの境内社が鎮座しています。
境内の東側へ進む途中に「琴平神社」が西向きに鎮座。御祭神は「大国主命」。
社殿は宝形造の石祠となっています。
この空間の東端に「市杵島神社」が西向きに鎮座。御祭神は「市杵島姫命」。
社殿は銅板葺の一間社流造で、覆屋が設けられています。
市杵島神社の手前左側(北西側)に境内社が南向きに鎮座。社名・祭神は不明。
社殿は妻入入母屋造の石祠で、正面は蓋状の石で閉ざされています。
一乗山金熊寺
当社の鳥居前の左側(西側)に真言宗御室派の寺院「一乗山金熊寺」があります。
当社を鎮守としていた寺院で、天武天皇十年(682年)に役行者が夢告により六寸の金銅像を土中から得て、自らも木像を刻み、堂宇を建立して像を安置したのが創建であると伝えられています。
本堂は本瓦葺の平入入母屋造に向拝の付いたもの。本尊は如意輪観音菩薩。
由緒
石碑
信達神社(元金熊寺大権現宮)由緒
地図
関係する寺社等
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