社号 | 菅生神社 |
読み | すごう |
通称 | |
旧呼称 | 天満天神、菅生天満宮 等 |
鎮座地 | 大阪府堺市美原区菅生 |
旧国郡 | 河内国丹南郡菅生村 |
御祭神 | 菅原道真、天児屋根命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 4月5日、10月10日 |
菅生神社の概要
大阪府堺市美原区菅生に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
当社の創建・由緒は詳らかではありませんが、当地に居住していた中臣氏の一族である「菅生氏」が祖神を祀ったと考えられています。
『新撰姓氏録』河内国神別に津速魂命の二世孫、天児屋根命の後裔であるという「菅生朝臣」が登載されており、この氏族が奉斎してきたものと思われます。
また『倭名類聚抄』河内国丹比郡に「菅生郷」が見え、菅生の地名も古くからあったことがわかります。菅生氏はこの地名に因んで名乗ったようです。
さらに『新抄格勅符』には天平宝字八年(764年)本国封一戸を充て奉るとあり、それ以前から当社が存在したことがわかると共に、朝廷から重視された神社の一つだったことも示されています。
一方で時代が下り、中世以降に庶民の間で天神信仰が広まるようになると当地の地名「菅生」は「菅原道真の生まれたところ」であるとする解釈が生じるようになったようです。
当社の神宮寺だった「天門寺」の僧により、当社の境内にある菅沢の畔から菅原道真が忽然と生まれたとする説が唱えられ、当社に天神が勧請されたといい、それ以来「天満天神」「菅生天満宮」と称して菅原道真公ゆかりの神社として厚く信仰されてきました。
当社を菅原道真公の誕生の地とする伝説は江戸時代中期の地誌『河内名所図会』でもはっきりと否定していますが、地元では熱心に語り継がれたようで、江戸時代からそれを顕彰した石碑が建てられたようです。
現在の御祭神は「菅原道真」「天児屋根命」で、中世以来の天神信仰を踏襲しつつ、本来の御祭神であろう「菅生氏」の祖神「天児屋根命」も改めて祀られています。
境内の様子
境内入口。境内は道路よりも高い土地にあり、石段上に南向きに本瓦葺・平入切妻造の神門が建っています。
神門の形式は神社としては珍しいやや薬医門。
神門をくぐると左側(西側)に手水舎があります。
神門をくぐると石畳が社殿までまっすぐ伸び、途中に鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐって正面奥に南向きに社殿が並んでいます。
拝殿は真新しい建築で、銅板葺の平入入母屋造に千鳥破風と唐破風付きの向拝が付いたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。桃色花崗岩製でしょうか。堂々とした出で立ちで、古めかしさも感じられます。
また、当社は長らく(或いは今でも)菅原道真公を祀る天満宮として信仰されたため牛の石像も置かれています。
拝殿後方、透塀に囲まれて建つ本殿は檜皮葺の一間社春日造に軒唐破風の付いたもの。
万治四年(1661年)の建立であることが擬宝珠の刻印や琵琶板の墨書から確かめられ、堺市指定有形文化財となっています。
貴重な建築ですが、後世の後補が多いように感じられ、文化財の昇格は難しいかもしれません。
本社社殿の左側(西側)に「余部神社」が東向きに鎮座。御祭神は「素浅鳴神社」「誉田別命」。
社殿は拝殿と本殿を備えた本格的なもので、拝殿は本瓦葺の平入入母屋造に千鳥破風の付いたもの。
後方の覆屋内に本殿が納められているようですが、立入ができないためよくわかりません。ただ彩色の跡が残っているのが見え、いかにも古そうな感じです。
また覆屋内に随身像が置かれてあり、畿内ではやや珍しいもののように思われます。
余部神社に隣接して「大歳神社」が東向きに鎮座。
鳥居が建ち、後方の覆屋内に檜皮葺の一間社流造の社殿が納められており重厚さが感じられます。
境内の左奥(北西側)に「琴平神社」が東向きに鎮座。
本瓦葺の妻入切妻造の社殿が建っています。
琴平神社の右側(東側)に隣接して、本社社殿の後方に「八幡神社」が南向きに鎮座。御祭神は「誉田別命」。
桟瓦葺の平入切妻造の社殿が建っています。
八幡神社の右側(東側)に隣接して「御霊神社」が南向きに鎮座。
鳥居が建ち、奥の覆屋内に銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。
境内の右奥(北東側)に、明らかに仏教建築とわかる本瓦葺・平入入母屋造の建築が南向きに建っています。
これはかつて当社の神宮寺だった「高松山天門寺」の本堂で、現在は「恵比須神社」の社殿として転用されています。
本社社殿の右側(東側)に「元宮菅生明神社」が南向きに鎮座。何の元宮なのかは不明。こちらで本来の御祭神を祀っていたのでしょうか?
塀に囲われ、拝所の奥の覆屋内に社殿が建っています。
境内の南東隅に「菅沢」と呼ばれる池があります。
当地の地名「菅生」は中世以降に菅原道真の誕生地だと解釈され、神宮寺の僧によってこの菅沢の畔で菅原道真が誕生したと唱えられました。
『河内名所図会』等では誤りであると否定していますが、地元では根強く信じられたようです。
菅沢の南側に「菅生稲荷神社」が西向きに鎮座。
十基の朱鳥居が並び、本瓦葺・平入切妻造の割拝殿、そして後方に本瓦葺・一間社流造の本殿が建つ本格的なもの。いずれの建物も朱塗りが施されています。
由緒
案内板
菅生神社 本殿
貼紙
堺市指定有形文化財(平成十八年四月指定)
菅生天満宮 本殿
『河内名所図会』
地図