社号 | 梛八幡神社 |
読み | なぎはちまん |
通称 | 澤田の宮、獅子の梛の宮 等 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県たつの市神岡町沢田 |
旧国郡 | 播磨国揖東郡沢田村 |
御祭神 | 足仲彦命、品陀和気命、息長足姫命 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 10月20日 |
梛八幡神社の概要
兵庫県たつの市神岡町沢田に鎮座する神社です。
社伝によれば、神功皇后の三韓征伐の凱旋の際(応神天皇の播磨巡幸の際とも)、北方に紫雲がたなびき霊香のただようのを感じ、霊地があるとして道主命に命じて求めさせたところ、獅子が現れて梛山の白檀の木の下に案内したので、霊香の発するこの白檀を霊木として神を祀ったのが当社の創建であると伝えられています。
現在も当社の秋祭で行われている獅子舞はこの伝承に因むもので、兵庫県指定無形民俗文化財となっています。
また中世の地誌『峯相記』は、天平宝字七年(763年)に新羅の軍勢が攻めて来たので藤原貞国が命を受けて出陣して見事大勝を得た旨を記し、出陣の際に祈願した寺社の中に当社が含まれています。
国史にはこの頃に新羅が侵攻した記録は無く、これは到底史実と見なすことは出来ません。
ただ、ここに登場する「藤原貞国」なる人物は太子町太田に鎮座する「黒岡神社」の祭神として祀られており(『峯相記』にもその旨の記述あり)、中世には当地でよく知られた伝説となっていたようです。
式内社「粒坐天照神社」を当社とする説があるものの、その根拠ははっきりしません。或いは林田町下伊勢の「梛神社」と混同して論じられたことがあったのかもしれません。
また当地付近は『播磨国風土記』に記される「上岡里」に比定されており、当該記事は次のように記しています。
『播磨国風土記』(大意)
上岡里。出雲国の阿菩大神は、大和国の畝火・香山・耳梨の三山が争っていると聞き、これを諫めるために大和へ上ろうとした。しかしここに至った時に争いは止み、乗っていた船を覆してその地に鎮座した。故に神阜(カムツヲカ)と名付けた。その丘は船を覆した形に似ている。
この神阜の場所ははっきりしないものの、一説に当社背後の山であるといい、当社境内にもこの記事に登場する「阿菩大神」を祀る「阿菩神社」が鎮座しています。
ただ、「阿菩大神」なる神は他の文献に見られず、『播磨国風土記』の存在が知られるようになったのは江戸時代末以降のため、この神が祀られたのはそう古くないものと思われます。
もし仮に背後の山が「神阜」だったとすれば、或いは当地に出雲系の人々が居住し、彼らの信仰した「阿菩大神」を祀ったのが当社の始めだったのかもしれません。
境内の様子
当社は沢田地区にある鍵形に伸びた丘(一説に『播磨国風土記』に見える「神阜」とも)の麓に鎮座しています。
一の鳥居は境内の東方250mほどの地に南向きに建っています。
一の鳥居の右側(東側)の傍らに「地神社」が南向きに鎮座。御祭神は「大地主命」。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
一の鳥居をくぐって左(西側)へ曲がると二の鳥居が東向きに建っています。
二の鳥居からしばらく西方へ道を進みます。
この道を進んでいくと右側(北側)に三の鳥居が建っており、ここが境内入口となっています。
三の鳥居の手前右側(東側)に手水舎が建っています。
三の鳥居の先にある石段を上ると広い空間となっています。
この正面奥に注連柱が建ち、そこから伸びる石段上に社殿が南向きに並んでいます。
手前側に建つ拝殿は銅板葺の平入入母屋造に軒唐破風の付いた割拝殿。
石段下の左右に配置されている狛犬。整った顔立ちで、比較的新しいものです。
石段上の割拝殿前に配置されている狛犬。こちらはユーモラスな顔つきで、やや古めかしさの感じられるものです。
割拝殿の天井裏には数多くの絵馬が掲げられています。
割拝殿の通路をくぐると、割拝殿とは別に拝殿が建っています。賽銭箱はこちらに設置されており、参拝客はこちらで参拝することになります。
こちらの拝殿は銅板葺の平入入母屋造に唐破風の向拝と千鳥破風の付いたもの。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の入母屋造。
本社拝殿の左側(西側)には廻廊が伸びており、この廻廊の後方(北側)に「淡嶋神社」が南向きに鎮座。御祭神は「豊玉姫命」。
社殿は銅板葺の一間社流造。廻廊の途中には妻入入母屋造の向拝があり、この神社の拝殿を兼ねたものとなっています。
また、その手前側には鳥居も建っています。
本社拝殿の右側(東側)には「厄神社」が南向きに鎮座。御祭神は「武内宿祢命」。
鳥居が建ち、その奥に本社拝殿に隣接して桟瓦葺の妻入入母屋造の社殿が建っています。
厄神社の右側(東側)に「松尾神社」が南西向きに鎮座。御祭神は「大山作命」。
社殿は銅板葺の一間社流造で、手前に鳥居が建っています。
松尾神社の右側(東側)にやや離れて「金刀比羅宮」が南向きに鎮座。御祭神は「大物主命」。
社殿は本瓦葺の三間社流造で、手前に鳥居が建っています。
松尾神社と金刀比羅宮の間には何故か多数の朱鳥居が並んでいました。
案内板によれば境内社に「梛山稲荷神社」があるといい、その鳥居なのかもしれません。(それらしき境内社は確認できず)
金刀比羅宮の右側(東側)に「阿菩神社」が南向きに鎮座。御祭神は「阿菩大神」。
概要に記した通り、『播磨国風土記』に登場する出雲の神を祀っています。
社殿は本瓦葺の一間社流造で、手前に鳥居が建っています。
本社拝殿と厄神社の手前側には白檀の木があり、御神木となっています。
当社社伝に白檀に神を祀ったと伝えているため当社の「元宮」ともされているようです。
ただ、この白檀は創建当初からあったものではないものと思われます。
石碑
御神木の社傳
由緒
案内板
梛八幡神社 御由緒
地図