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広峯神社 (兵庫県姫路市広嶺山)

社号廣峯神社
読みひろみね
通称
旧呼称
鎮座地兵庫県姫路市広嶺山
旧国郡播磨国飾東郡広嶺山
御祭神素戔嗚尊、五十猛命
社格式内論社、国史現在社、旧県社
例祭4月18日

 

廣峯神社の概要

兵庫県姫路市広嶺山に鎮座する神社です。

江戸時代の国学者・度会延経は著書『神名帳考証』で式内社「射楯兵主神社」を当社とする説を述べ、それ以降これを支持する見解もありましたが、現在はほぼ支持されておらず当社も式内社を主張していません。(現在は総社本町の「射楯兵主神社」および辻井の「行矢射楯兵主神社」が有力な論社)

一方で『三代実録』貞観八年(866年)七月十日条に「播磨國无位速素戔烏神・速風武雄神並授從五位下」とあり、この「速素戔烏神」が当社と考えられており国史現在社となっています。

 

当社の由緒について、江戸時代の地誌『播磨鑑』は崇神天皇の御代に広峯山に神籬を建てて「素戔嗚尊」「五十猛命」を祀ったのが始めで、後に天平五年(733年)に吉備真備に詔して社殿を造営し牛頭天王と名付けた旨を記しています。

崇神天皇の御代を創建とするのは『日本書紀』崇神天皇七年十一月十三日条に八十万の群神を祀ったとあるのを受けたもので、多くの神社が作為的にこの時期に創建を設定しており、これは明らかに後世の付会です。

これに対して当社を天平五年の吉備真備による創建とする説は古くから伝えられており、中世の地誌『峯相記』に陰陽道を極めた吉備真備が帰朝し広峯山の麓に一泊した際に夢告により牛頭天王を祀った旨が記されています。

牛頭天王は平安時代末期頃にスサノオと同一視されるようになったものと考えられ、当社も『三代実録』に記す通り当初はスサノオを祀っていたのが、後に牛頭天王へと変わっていったのでしょう。

牛頭天王は陰陽道で重視される神であり、その陰陽道を会得していた吉備真備が当地で牛頭天王を祀ったとするのが当社の由緒となっているものの、吉備真備の時代に牛頭天王なる神が成立していたかは疑問です。

当社の創建もしくは再興を吉備真備に求めるのも当社が陰陽道と関係が深い故に関連付けた仮託である可能性が拭えないのが正直なところでしょう。

 

一方、当社は牛頭天王(現在は「素盞嗚尊」)を信仰する祇園信仰の総本社であり、貞観十一年(869年)に当社から平安京の東方へ勧請したのが祇園感神院、すなわち現在の「八坂神社」(京都市東山区)であるとする説が知られています。

これは上記『峯相記』や平安時代末期の『伊呂波字類抄』、さらに当社が所有する社記『播磨国広峯社者祇園本社』(建保四年 / 1216年)、『祇園本社播磨国広峯者』(貞応二年 / 1223年)などにも記されており、古くからそのように伝えられていたようです。

これについて「八坂神社」は激しく反発しており、祇園信仰の本社争いの様相を呈しています。

「八坂神社」の創建についてははっきりしないものの、貞観十八年(876年)に(当社とは無関係に)南都の僧「円如」が創建したとする説が有力で、他にも斉明天皇二年(656年)に高麗より来朝した使節の「伊利之」が創建したとする説もあります。

「八坂神社」側は当社からの勧請説は当社の権威を高めるために吹聴したものに過ぎないとして、当社との関係を否定しています。

ただ、同じく京都の祇園信仰の神社である「岡崎神社」(京都市左京区)は八坂神社でなく当社からの勧請と伝えており、平安京においても当社の名声は高かったと想像され、当社から「八坂神社」への勧請説はあり得ない話ではないでしょう。

少なくとも「八坂神社」の有力な創建年である貞観十八年(876年)より前の貞観八年(866年)に当社と思しき記録があることは留意すべきでしょう。

 

当社で江戸時代以前に祀られていた神「牛頭天王」の神格や歴史についての詳細は「八坂神社」の記事をご参照ください。

なお一般に「牛頭天王」は疫病神として信仰されていましたが、当社では農耕神としての性格が強かったらしく、現在も当社で稲の豊作を願って行われる「御田植祭」や「祈穀祭」が行われています。(ただし一時絶えていたものを近年復興したものという)

こうした祭の参加者はかつては10万人を超えたとも言われるほど多くの人が訪れたものの、戦後に姫路の都市化に伴い農業従事者が減少したことで参加者は著しく減ったといい、これが一時絶えた原因になったようです。

このように産業構造の変化により農耕神としての性格は薄れつつあるものの、現在も山上というアクセスのやや難しい神社にもかかわらず姫路における代表的な神社の一つとして存在感を放ち続けています。

 

境内の様子

当社は姫路市街地の北方に聳える標高260mの広峰山の山頂に鎮座しています。

 

山上にあるためひたすら坂を上っていくことになりますが、神社への道は車道として完全に舗装されているので自動車ならば何の苦もないことでしょう。

徒歩ではやや苦労するものの、登山道ではないため特別な装備は特に必要ありません。

 

当社への道の途中は広く開けたところもあり、姫路の町並みを眼下に一望することができます。

 

しばらく登っていくと当社の鳥居が南向きに建っています。境内からやや離れているものの、当社の鳥居はこれが唯一です。

 

鳥居をくぐって参道を進むと途中で右側へ分岐する道があり、境内社へ通じています。

この境内社は後述することにして一旦は本社社殿へと向かいます。

 

道をさらに進んでいくと当社の境内入口へと至ります。

石段が伸び、左右に木製灯籠、そして注連柱が配置され、奥には随身門が見えます。

 

石段下の左傍ら(西側)には一丁と十八丁の丁石が配置されています。

丁石とは目的地までの距離を示したもので、一丁は約109mにあたります。当社の場合は麓からは約2kmあるため十八丁から始まります。

十八丁のものは本来は麓にあったものを移設したのでしょう。

江戸時代のもので、特に一丁のものは刻銘から備中国から奉納されたことがわかり、当社の信仰範囲の広さが窺われます。

なお現在は新しい丁石が麓から置かれています。

 

石段途中の左側(西側)に手水舎が建っています。

 

石段途中の右側(東側)には室町時代初期の作と考えられる古い宝篋印塔が配置されています。

当社背後の「吉備ツ様」と呼ばれる地に埋没していたといい、宝珠の一部を欠くものの保存状態が良く、貴重なものとして国指定重要文化財となっています。

案内板

宝篋印塔(国指定重要文化財)

 

石段上に随身門が南向きに建っています。形式は本瓦葺の平入入母屋造の八脚門で、通路部分が広く取られているのが特徴。

左右の部屋に安置されている随身像は互いを向き合う対面式。

元禄十年(1697年)の建立で、姫路市指定有形文化財となっています。

案内板

姫路市指定重要有形文化財

(昭和四十二年(一九六七)二月二十三日指定)

廣峯神社 表門(随神門)

 

随身門前に配置されている狛犬。

 

随身門をくぐって正面奥に非常に大規模な社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は本瓦葺の平入入母屋造に向拝の付いたもので、壁の無い開放的な構造。桁行十間もある巨大建築です。

寛永三年(1626年)に姫路城主の本田忠政が再建したもので、国指定重要文化財となっています。

 

拝殿内の様子。

 

拝殿内には享保二年(1717年)の作という神輿が安置されていました。

神輿とはいえ車輪のついた牛車となっており、牛の模型も付随しています。

案内板

神輿

 

拝殿後方の一段高い地に巨大な本殿が建っています。外見上は檜皮葺の十一間社入母屋造の正面に縋破風の庇の付いたもの。

この本殿は非常に変わっており、内部は外陣・内陣・内内陣に分かれ、この内内陣は三つに区画されています。

そしてそれぞれの内内陣には宮殿(板葺の一間社流造という)が設けられ、そこに御神体が安置されています。

また宮殿の横に間隙があり、ここに本地仏を安置していたといい、神仏混淆の思想を反映した構造となっています。

本殿左端には庁の間が、内内陣の右端には神饌所や納殿が、内陣の右端には供物所がある点も独特です。

この本殿は文安元年(1444年)に建立されたもので国指定重要文化財となっています。その古さや状態、特殊な構造からして国宝でもおかしくない極めて貴重な物件と言えるでしょう。

なお、現在それぞれの宮殿に祀っている神は次の通り。

  • 正殿:「素戔嗚尊」「五十猛尊
  • 右殿:「八王子神(=「正哉吾勝々速日天忍穗耳尊」「天穂日命」「天津彦根命」「活津彦根命」「熊野櫲樟日命」「田心姫命」「瑞津姫命」「市杵嶋姫命」)」「大年神」「御歳神」「若年神」「久々年神」「雅産霊神」「級長津彦神」「級長津姫神」「久那斗神」「八衢彦神」「八衢姫神
  • 左殿:「奇稲田媛命」「足摩乳命」「手摩乳命

 

さらに特徴的なのは、本殿の背面に一間ごと(右側(西側)二間を除く)に一つずつ、計九つの穴が穿たれており、それぞれ陰陽道における九星を祀っています。

九星とは五行・方位・八卦を割り当てて九つに分類した概念で、これにより吉凶の判断を行うものです。

九星は概念であり神ではありませんが、本殿の背面にこうした信仰装置を設けることは珍しく、いわゆる「後戸神」(御神体・本尊の背後に祀られる守護神)との関係からも注目されています。

案内板

 

拝殿周辺の境内社等

当社には非常に多くの境内社が鎮座しています。まずは本社拝殿の周辺から見ていきましょう。

 

本社拝殿の左側(西側)に「地養社」が南向きに鎮座。御祭神は「蘇民将来」。

玉垣に囲まれて鎮座し、社殿は本瓦葺の一間社流造。貞享四年(1687年)に建立されたもので姫路市指定有形文化財

案内板

蘇民将来をまつる社

 

地養社の左側(西側)に「蛭子社」が南向きに鎮座。御祭神は「蛭子命」。

社殿は檜皮葺の一間社隅木入春日造。嘉永元年(1848年)の建立で姫路市指定有形文化財

 

翻って、本社拝殿の右側(東側)に「軍殿八幡社」が南向きに鎮座。御祭神は「応神天皇」「神功皇后」。

玉垣に囲まれて鎮座し、社殿は銅板葺の一間社流造。正徳元年(1711年)の建立で姫路市指定有形文化財

 

軍殿八幡社の右側(東側)、境内東端に「千年松」と呼ばれる非常に大きな松の神木が聳えています。

出典

霊木の由来

 

本殿後方の境内社等

本社本殿のすぐ後方には七社の境内社が鎮座していきます。南東側から時計回りに見ていきましょう。

 

本社本殿後方の境内社群の内、南東隅に「稲荷社」が南向きに鎮座。御祭神は「倉稲魂命」。

社殿は本瓦葺の妻入切妻造。当社において妻入切妻造の社殿を持つ境内社はこの稲荷社が唯一です。宝暦十一年(1761年)の建立で姫路市指定有形文化財

 

稲荷社の左側(西側)に隣接して「天神社」が南向きに鎮座。御祭神は「菅原道真」。

社殿は本瓦葺の一間社流造。享保九年(1724年)に建立されたもので姫路市指定有形文化財

 

天神社から少し隔てて左側(西側)に「庚申社」が南向きに鎮座。御祭神は「猿田彦命」「天うすめ」。

社殿は本瓦葺の一間社流造。寛延四年(1751年)に建立されたもので姫路市指定有形文化財

 

庚申社の左側(西側)に隣接して「山王権現社」が南向きに鎮座。御祭神は「金山毘古神」。

社殿は本瓦葺の一間社流造。安永六年(1777年)に建立されたもので姫路市指定有形文化財

 

庚申社・山王権現社の後方(北側)に「大鬼社」が東向きに鎮座。御祭神は「伊弉諾尊」。

社殿は本瓦葺の一間社流造。享保二十年(1735年)の建立で姫路市指定有形文化財

 

大鬼社の手前右側(北東側)、境内社群の最も後方に「冠者殿社」が南向きに鎮座。御祭神は「神皇産霊神」「高皇産霊神」「木花咲哉姫神」。

社殿は本瓦葺の一間社流造。年代は不詳ながら十九世紀初頭の建立で姫路市指定有形文化財

 

冠者殿社の手前右側(南東側)、稲荷社の後方(北側)に「熊野権現社」が西向きに鎮座。大鬼社と向き合う形となっています。御祭神は「菊理姫命」「速玉男命」「瀬織津姫命」。

社殿は本瓦葺の三間社流造。慶応四年(1868年)の建立で姫路市指定有形文化財

 

案内板

姫路市指定有形文化財(昭和五十八年(一九八三)二月三日指定)

広峯神社摂社・末社 十一棟

 

白幣山へ

本社社殿後方からさらに道が伸びており、ここから白幣山(ハクヘイザン)と呼ばれる峰へ行くことができます。

白幣山にも境内社が鎮座しています。

 

白幣山へ向かう道の途中に「薬師堂」が建っています。当社のかつての神「牛頭天王」の本地仏だった「薬師如来」を安置しています。

本瓦葺の妻入入母屋造に軒唐破風の付いたもの。近年になり新たに建てられたもののようです。

 

薬師堂から少し進んだところに民家(魚住家)があります。このような場所に民家があるのは不思議に思えますが、江戸時代には当社に三十前後の社家がいたといい、その内の若干の家がこのように残っています。

 

ただし大半の社家は近代以降に神職の世襲制が禁じられてから山を下りたため、ほとんどは跡地が残るのみとなっています。廃墟と化している家もあります。

現在も山上に残っているのは魚住家と肥塚家(社前に立地)のみとなっています。

 

さらに道を進んでいきます。途中で階段となっており、山上へ向かっていってることがわかります。

 

この階段を上っていくと平らな地があり、ここが白幣山の山頂となっています。

この空間には二社の境内社が左右に並んでいます。

 

この二社の内、右側に「荒神社」が鎮座。

社殿は杮葺の一間社隅木入春日造で、覆屋に納められています。建立年代は不明ながら十七世紀前半といい、当社の境内社群では最も古いと見られ、姫路市指定有形文化財となっています。

 

荒神社の左側に「吉備社」が鎮座。御祭神は「吉備真備」。

社殿は檜皮葺の一間社流造で覆屋の中に納められています。

 

荒神社と吉備社の間には「吉備神社仮宮」が鎮座。吉備社との違いは不明。

覆屋の中に小祠が納められています。

 

吉備仮宮の後方に岩石があり、注連縄が掛けられています。磐座として信仰の対象になっているようです。

 

旧参道沿いの境内社

道を戻ります。

鳥居をくぐってすぐのところに右側へ分岐する道がありました。これは当社の旧参道にあたり、ここも紹介しておきます。旧参道はこのようにちょっとした山道となっています。

 

この旧参道を進んでいくと平らな空間があり、ここに「天祖父(アマサイ)社」が鎮座しています。御祭神は左側から順に「伊弉冉尊」「天照大御神」「伊弉諾尊」。

社殿は銅板葺の四間社流見世棚造。覆屋かもしれません。

かつては神輿の渡御がここまであったといい、上述のようにその神輿が本社拝殿内に置かれています。

 

天祖父社の社殿の傍らに「夫婦石」と呼ばれる二つの岩石があり、小さな鳥居が設けられ注連縄が掛けられています。

 

天祖父社からさらに進むとかつての社家の屋敷跡である練塀が続き、本社境内へと至ります。

 

タマヨリ姫
山の上だけどむっちゃデカい神社だね!すごい!
京都の「八坂神社」の元宮という説もあって、古くはかなり広くから崇敬を集めたみたいよ。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

国の重要文化財 廣峯神社

 

地図

兵庫県姫路市広嶺山

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