社号 | 咸古神社 |
読み | かんこ |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王 等 |
鎮座地 | 大阪府富田林市龍泉 |
旧国郡 | 河内国石川郡龍泉村 |
御祭神 | 神八井耳尊 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月17日 |
咸古神社の概要
大阪府富田林市龍泉に鎮座する式内社です。隣接する「龍泉寺」と境内を共有しています。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、龍泉寺の縁起では当社の創建を弘仁十四年(823年)としています。
当地付近は「紺口県(コムクノアガタ)」と呼ばれていました。『新撰姓氏録』河内国皇別に神八井耳命の後裔であるという「紺口県主」が登載されており、この氏族が紺口県を支配したようです。
当社についてもこの「紺口氏」が祖である「神八井耳尊」を祀ったのが創建とする説が有力です。
なお、『倭名類聚抄』河内国石川郡に「紺口郷」が記載されており、紺口県は郷として引き継がれたようです。
当社は隣接する高野山真言宗の寺院「龍泉寺」の鎮守でもありました。龍泉寺は推古天皇二年(594年)に蘇我馬子が創建したとされており、次のような縁起が伝えられています。
この地の池に悪龍が住み、人々に害をなしていたので、蘇我馬子が呪を誦して法を修すると龍は仏法の威により飛び去った。しかしその後は水が涸れて寺も里も衰退してしまった。
その後、弘仁十四年(823年)に弘法大師が当地を訪れ加持祈祷したところ、仏法によって改心した龍が戻り水も再び豊かに湧いた。そこで池の三島に聖天・弁財天・叱天を祀り、牛頭天王を鎮守とした。
この「牛頭天王」を当社としており、事実、当社は近世以前は「牛頭天王」と称していました。龍泉寺は薬師如来を本尊とする一方、山号を「牛頭山」と称し、牛頭天王もまた極めて重要な地位にあったことが偲ばれます。
しかし当社の御祭神は紺口氏の祖「神八井耳尊」となっており、牛頭天王(もしくはスサノオ)が今どうなっているのかは不明です。
龍泉寺は天長五年(828年)に本格的に伽藍が整備され、23もの僧房もあったようですが、南北朝時代に楠木正成が当地に城を築き兵火に罹ったため、殆どが消失したと伝えられています。
しかし鎌倉時代の仁王門(国指定重要文化財)および金剛力士立像(府指定有形文化財)が残っている他、同じく鎌倉時代頃の庭園(国指定名勝)も残っており、歴史ある名刹としての風格を今に伝えています。
咸古佐備神社
咸古神社に合祀されている式内社です。
元は甘南備村(現・甘南備地区)に鎮座していましたが、明治四十二年(1909年)に神社合祀政策により咸古神社に合祀されました。旧地は痕跡が残っておらず、どこに鎮座していたのかすらもはっきりしないようです。
御祭神は「天太玉命」。当社の創建・由緒は詳らかでありません。
「佐備神社」と同様に天太玉命が祀られていますが、奉斎氏族は忌部氏なのか、佐味朝臣なのか、それとも紺口県主なのか、はっきりしません。勿論いずれでもない可能性もあります。
旧地の地名「甘南備(カンナビ)」とは「神奈備」の意で、神の宿る依代、神域のことを指します。
当社の鎮座地が「神奈備」として古くから神聖視されてきたのでしょうか。当社は古い素朴な信仰から始まったのかもしれません。
境内の様子
境内入口。五月にはツツジが咲き誇りとても綺麗です。
当社は「龍泉寺」の境内にあるため、参拝するには龍泉寺の拝観料として300円を納める必要があります。
寺務所で拝観料を納め、まっすぐに進んでいくと朱の施された美しい本瓦葺の八脚門の仁王門が南向きに建っています。
鎌倉時代に建立されたもので、大阪府内でも特に古い建築であり、国指定重要文化財となっています。
また仁王門に納められている金剛力士像も鎌倉時代の彫像で、大阪府指定有形文化財となっています。非常に迫力あり躍動感あふれる像です。
案内板
普通ならば仁王門をくぐり龍泉寺へ参拝という流れですが、ここでは先に咸古神社へ参拝します。
仁王門の右側(東側)に鳥居が南向きに建っており、こちらが当社の一の鳥居となります。
龍泉寺の東に伸びる参道を進んでいくと二の鳥居が南向きに建っています。二の鳥居は朱塗りの施された両部鳥居。
周囲も木々が剪定され綺麗に整備された空間だったのが、鬱蒼とした社叢の広がる空間へと変わってきます。
二の鳥居をくぐって奥へ進むと左側(西側)に手水舎があります。
さらに進んで正面奥に瑞垣の廻らされた石垣・石段があり、その奥に社殿が南向きに並んでいます。赤い銅板屋根が印象的。
この地は龍泉寺が主で当社が従といった構成で、当社は奥へ追いやられたようにひっそりと鎮座しています。龍泉寺への参拝客もここまで足を運ぶことは殆ど無いようです。
社殿前に配置されている狛犬。花崗岩製で整った顔つきです。
瑞垣との間が非常に狭いので写真が難しいのですが、瑞垣の中門をくぐると拝殿が建っています。銅板葺の平入入母屋造で小さな向拝の付いた簡素な建築。
拝殿背後に建つ本殿は大型の銅板葺の一間社春日造。本殿と拝殿は屋根付きの廊下で接続しています。
本殿両脇に配置されている狛犬。砂岩製で、こちらの方がやや古そうです。
本社本殿の左側(西側)に境内社が南向きに鎮座。社名・祭神等は不明。
社殿は銅板葺の一間社春日造。
そして本社本殿の右側(東側)に謎の石積みがあります。これは一体何なのでしょう。
牛頭山龍泉寺
さて仁王門に戻り、「龍泉寺」の方も見ていきます。
仁王門をくぐってすぐ右側(東側)のところにある鐘堂と礎石。礎石はどうも奈良時代のものらしく、当寺の歴史の古さが窺われます。
仁王門から真っすぐ正面奥に南向きの本堂が建っています。本堂は本瓦葺の平入入母屋造に向拝の付いたもの。
本尊として「薬師如来」が安置されています。
咸古神社と龍泉寺のように、境内を共有する神社と寺院が同じ向きで建つ場合、当サイトでは「並行型」と分類しています。ただし横に並んでいるわけでなく咸古神社は奥に鎮座するので「前後型」とするのが良いのかもしれません。
本堂手前の左側(西側)にある東向きのお堂。「大日如来」が安置されていますが、案内板には「聖天堂」とあります。
本瓦葺の宝形造に向拝の付いたもの。
当寺の特徴はやはり何と言っても境内西側にある池です。「龍泉寺」の号の由来にもなりました。
池の前に鳥居が東向きに建ち、池の中には三つの島があってそれぞれに社殿が建っています。鎌倉時代の庭園として貴重なもので、国指定名勝となっています。
この池の由来については上記「概要」もしくは下記「由緒」をご覧ください。
池の中央の島には石橋が架かり、「弁財天」を祀っています。社殿は銅板葺の一間社春日造で、この建築は桃山時代のもののようですが、建造物としては特に文化財指定はされていないようです。
池の左側の島には「叱天」、右側の島には「聖天」を祀っています。
社殿は前者が檜皮葺(?)の平入切妻造、後者が檜皮葺の一間社春日造で、いずれも朱塗りが施されています。
案内板
龍泉庭園 国指定名勝
池の北側には春日造のような建物があり、ここに「雨井戸」があります。「龍王井戸」とも呼ばれているようです。
雨井戸とは別に池の西側に「閼伽」がありました。
花の季節はやはりなかなか美しいものです。
当寺は嶽山の中腹にあり、西側の墓地からは葛城山や金剛山が見渡せます。
また当社・当寺の入口付近からも果樹園や棚田の広がる美しい丘陵地帯の風景を眺めることができます。
由緒
案内板
龍泉寺
『河内名所図会』
地図