社号 | 友呂岐神社 |
読み | ともろぎ |
通称 | |
旧呼称 | 八幡社 等 |
鎮座地 | 大阪府寝屋川市香里本通町 |
旧国郡 | 河内国茨田郡郡村 |
御祭神 | 応神天皇 |
社格 | 旧村社 |
例祭 | 10月16日 |
友呂岐神社の概要
大阪府寝屋川市香里本通町に鎮座する神社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
江戸時代以前は八幡社と称し、現在も八幡神である「応神天皇」を御祭神としています。
近隣の木屋地区に類似する社名の「鞆呂岐神社」が鎮座するものの、祭神は全く異なっており関連性は無いものと思われます。
鞆呂岐(トモロギ)とは皇室領だった当地の荘園に因む広域地名です。明治二十二年(1889年)には当地(旧・郡村)を含む周辺の村が合併し、荘園名に因んで友呂岐村と称しました。
当社の社名もこの荘園名もしくは村名に基づき明治以降に改称したものでしょう。
なお当社の鎮座地は小字を「御所山」といい、皇室の荘園だったことに因むとも言われています。
境内の様子
当社は京阪香里園駅の近く、大規模に宅地開発された丘陵地に鎮座しています。
現在は香里本通町と称する地名ですが江戸時代以前は郡(コオリ)村と称しました。
当社の西方から北方にかけてが郡村の旧集落で、その南方に三井村があり、往時はその周辺は田圃と丘陵が広がるのみでした。
京阪電鉄の開通に伴う駅の開業、また当地に建設された遊園地の開業にあたり、ブランドイメージ向上を図って郡(コオリ)に香里の字が充てられました。
1912年に遊園地が枚方市へ移転(現在のひらかたパーク)してからは宅地造成が進み、戦後すぐの頃には既に一面が宅地と化していたようです。
その中にある当社は丘陵の西麓に入口があり、一の鳥居が西向きに建っています。
丘陵の斜面上に参道となる石段が伸びており、途中に二の鳥居が西向きに建っています。
参道途中、右側(南側)には小さな池があり、二基の小祠が鎮座しています。
左側の小祠には蛇の置物が置かれており、恐らく池の主たる龍蛇の類を祀っているのでしょう。
当社境内には寝屋川市指定保存樹が三本あります。 その内の一本は記録失念。樹齢は看板設置時点でそれぞれ150年、100年、80年。 |
二の鳥居をくぐって右側(南側)に手水舎が建っています。
手水舎の傍らに布袋像が配置されており、その後ろに井戸があります。この井戸の水は「御所水」と呼ばれているようです。
さらに石段を上ると三の鳥居が西向きに建っています。
三の鳥居をくぐるとちょっとした広場になっており、正面奥に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造に向拝の付いたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿の右側(南側)に舞台のような建築が縁に接続しています。舞や神楽等の神事がここで行われるのでしょうか?かなり珍しい構造です
拝殿後方に本殿を納める覆屋が建っています。本殿の様子は全く見えません。
本殿覆屋の傍らにも手水舎が建っています。
丘陵上の住民は裏側の参道から参拝するのが一般的と思われ、そのための便宜を図って設置されたものでしょう。
本社本殿の手前左側(北側)に「成願稲荷大明神」が南向きに鎮座。
朱鳥居が建ち、奥に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
社殿を囲うようにして提灯台が設けられており、正面上部に山型の意匠が施されているのが印象的。
由緒
ポイント
友呂岐神社御由緒
地図