社号 | 御机神社 |
読み | みつくえ |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王社 等 |
鎮座地 | 大阪府四条畷市南野 |
旧国郡 | 河内国讃良郡南野村(中野村?) |
御祭神 | 素盞嗚尊 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 10月10日 |
式内社
御机神社の概要
大阪府四条畷市南野に鎮座する式内社です。
当社の創建、由緒は詳らかでありません。
当社は元は現在地の東方、権現川を500mほど遡った地(具体的な場所は不明)に鎮座していたと伝えられています。
その後何度か移転して現在地に収まったようですが、その時期や場所、回数は文献によって異なっており、かなり錯綜があるようです。
当社の社名「御机」とは一説に「ツフエ」であり、『新撰姓氏録』に登載されている河内国神別、天津彦根命の後裔であるという「津夫江連」が祖神を祀ったのが当社であるとする説もあります。
一方でミツクエのミツとは水の意とする説もあり、旧地は川を遡った地であることから確かに水神を祀るに相応しい地と言えそうです。
しかしいずれも苦しい説と言わざるを得ず、推測の域を出るものではありません。ただ、旧地の立地からすれば当社の神が水神的な性格を帯びていた可能性は考えてみても良いかもしれません。
当社は江戸時代には「牛頭天王」を祀っており、明治年間の神仏分離により牛頭天王と同格の神道の神である「素盞嗚尊」を祭神としたようです。
資料によって異なるものの現在地へは江戸時代初めもしくは中期頃に遷座したとされています。とはいえ現在の当社は鬱蒼とした森に包まれており、風格を感じさせる境内となっています。
境内の様子
境内入口。生駒山地の北西、飯盛山の北側の崖の上に当社は鎮座しています。参道の石段は北向きとなっています。
石段に設けられた手摺と提灯台は赤く塗装されておりアクセントになっています。
石段上は境内を回り込むように参道が伸び、この奥の突き当りに手水舎が建っています。
手水舎の左側(東側)に西向きの鳥居が建っており、これをくぐると社殿の建つ空間が広がっています。
社殿の前に大きな楓の木があり、初夏の頃は新緑が見事です。
社殿は一段高い石垣の上に建っており、石段を上って正面に西向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に向拝の付いたもの。正面には絵馬や提灯などが掲げられています。
拝殿前には端正な顔立ちの狛犬が一対。
拝殿後方に建つ本殿は覆屋の中に納められており、格子越しに檜皮葺の流造で彩色も施されていることがわかります。
本社社殿左側(北側)に鎮座する「神明社」・「稲田社」。相殿となっているようで、それぞれ「天照皇大神」「稲田姫命」を祀っています。
覆屋は地車(だんじり)を改造したもので、唐破風の屋根に豪勢な彫刻が飾られています。
この中に社殿が納められているものの柵で囲われていてよく見えません。どうやら石祠として祀られているようです。
さらに左側(北側)に「藤木社」が西向きに鎮座。御祭神は「天津辨財天」。
覆屋の中に社殿が納められています。
本社社殿の右側(南側)には「水神社」が西向きに鎮座。御祭神は「水波能売命」。権現川の水神を祀ってるのでしょうか。
社殿はRC造の銅板葺・一間社流造。或いはこれも覆屋かもしれません。
当社は数度移転し、300年~400年ほど前に当地に鎮座したと伝えられますが、鬱蒼とした社叢に苔むした境内は厳かさが感じられます。
当初からの鎮座地と言われてもおかしくないような場所です。
社殿前の楓は秋の紅葉も美しいです。
ただ、境内の南側が木々で覆われた崖となっており、秋の低い太陽では一日中光が差し込まないのが少し惜しいところ。しかし一見の価値ありです。
由緒
案内板
御机神社 由緒
『河内名所図会』
地図