社号 | 加太春日神社 |
読み | かだかすが |
通称 | |
旧呼称 | 住吉社 等 |
鎮座地 | 和歌山県和歌山市加太 |
旧国郡 | 紀伊国海部郡加太浦 |
御祭神 | 天児屋根命、武甕槌神、経津主神 / 配祀:天照大神、住吉大神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 5月20日 |
式内社
加太春日神社の概要
和歌山県和歌山市加太に鎮座する神社です。同じ加太地区に鎮座する「淡嶋神社」と共に式内社「加太神社」の論社の一つとなっています。
江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』が引く『国造家旧記』によれば、神武東征の際に二種の神宝を託された天道根命はまず加太浦に至り、そのときの頓宮が当社であるとしています。
天道根命とは紀伊国造の祖で、この氏族は秋月地区に鎮座する「日前神宮・國懸神宮」を代々奉斎しています。
同神宮の社記では天道根命は加太浦から木本、毛見郷へと移り、琴浦の海中の岩上に二つの神宝を祀り、その後毛見の「浜宮」、そして「日前神宮・國懸神宮」へと遷座したとしています。(詳細は「日前神宮・國懸神宮」の記事を参照)
つまり当社は神武東征以降で最初に「日前神宮・國懸神宮」の神が祀られたことになります。
現在でも配祀神として「天照大神」を祀っており、「日前神宮・國懸神宮」との関係性を物語っています。
また『紀伊続風土記』によれば、嘉元年間(1303年~1317年)に日野左衛門藤原光福なる人物が地頭として当地を支配し、この時に自身の祖神である春日神を勧請して「春日社」としたとしています。
一方、年代は不詳ながら住吉神も勧請され、「住吉社」と称することもあったようです。
大阪湾と紀伊水道の間という要衝にある加太は天然の良港でもあり、古くから海運の拠点として、また漁村として大いに栄えたため、いつしか航海の神である住吉神が勧請されたものと想像されます。
現在も配祀神として「住吉大神」を祀っています。
また、江戸時代後期の地誌『紀伊国名所図会』によれば当社は元は加太の東の山腹に鎮座していたものの、天正年間(1573年~1592年)に豊臣秀長の家臣だった桑山重晴によって現在地に遷したとしています。
その直後の慶長元年(1596年)に建立された本殿が現存しており、貴重な建築として国指定重要文化財となっています。
さらに、当社は古く「淡嶋神社」の摂社だった一方、神主を置かず宮座によって運営していました。
江戸時代以降全国的な信仰を集めた「淡嶋神社」に対し、当社は加太地区の鎮守であり住民のための神社といった位置付けだったのでしょう。
当地は古くから海部郡に属していましたが、『延喜式』神名帳では「加太神社」は何故か名草郡に記されています。
これについて、海部郡は名草郡を分割して成立したもので、海部郡がまだ成立していなかった頃に作成された神名帳が『延喜式』にそのまま援用されているとする説があります。
ただ、海部郡の初見は『続日本紀』神亀元年(724年)十月八日条とそれなりに古く、それから200年を経て成立した『延喜式』でもそのまま修正されなかったとすれば不自然です。
また紀伊国の国内神名帳である『紀伊国神名帳』には海部郡に「従四位上 粟島大神」が記載される一方で、名草郡の天神に「従四位上 加七七神」が記載されています。「七七」は縦書きで「多」を誤ったものと見られ、そうすると海部郡の「粟島大神」とは別に名草郡に「加多神」が鎮座していたことになります。
こうしたことから式内社「加太神社」は当社でも「淡嶋神社」でもない名草郡内の別の神社だったとする説もあります。
しかし他にそれらしい神社は存在せず、また「加太」はやはり当地(或いは海南市下津町方 / こちらも海部郡に属し「粟嶋神社」が鎮座する)と見るのが自然な解釈でしょう。
なお、『紀伊国神名帳』の名草郡の天神に記載される「正一位 春日大神」を当社に比定する説があり、もしそうだとすれば当地は後世まで名草郡だったのがいつしか海部郡に編入された可能性も考えられるかもしれません。
境内の様子
当社は加太地区の集落内に鎮座しています。
境内は玉垣と塀で囲われ、その南西隅が境内入口となっており、一の鳥居が西向きに建っています。
一の鳥居からまっすぐ正面に進むと手水舎が建っています。
一の鳥居から伸びる石畳の参道は手水舎の手前で左に折れ、その先に二の鳥居と注連柱、そして社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造の割拝殿。ただし通路の奥には格子があり通り抜けることはできません。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製の立派なものです。
割拝殿の通路を通り抜けることはできませんが、割拝殿の左側(西側)に鳥居が建っており、ここから拝殿後方の空間へ行くことができます。
拝殿後方に建つ本殿は檜皮葺の一間社流造で千鳥破風と軒唐破風が付き、保護のためか身舎の外側に壁が設けられています。
この本殿は慶長元年(1596年)に建立された貴重な建築で国指定重要文化財となっています。
本社本殿のすぐ左側(西側)に隣接して「稲荷大神」が南向きに鎮座しています。
朱鳥居が建ち、奥の覆屋内に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
稲荷大神の左側(西側)に隣接して五社の神社が相殿となった境内社が南向きに鎮座。
覆屋内に社殿が納められており、覆屋は銅板葺の寄棟造に妻入切妻造の向拝の付いたものと仏教建築のようなものとなっています。
ここに祀られている神社は左側(西側)から順に次の通り。
- 「八王子神社」
- 「八幡神社」
- 「蛭子神社」
- 「須佐神社」
- 「賽神神社」
五社の相殿の覆屋前に配置されている狛犬。丸っこい砂岩製のもので古めかしさが感じられます。
或いは本社に配置されていたものをこちらに転用したのかもしれません。
五社の相殿の左側(西側)に境内社が東向きに鎮座。社名・祭神は不明ですが、榊立に鱗文があること、蛇の置物があることから龍蛇の類が祀られているのでしょう。
朱鳥居が建ち、奥に簡略化した銅板葺の一間社春日造の社殿が建っています。
上記境内社の右側(北側)に境内社が東向きに鎮座。社名・祭神は不明で、こちらは推測も不可能です。
社殿は同様の簡略化した銅板葺の一間社春日造で、その前に小さな鳥居も建っています。
境内の隅に「麿王璽(?)」と刻まれた丸石が置かれていました。詳細不明。
当社周辺の様子。漁村らしい道路の入り組んだ集落ですが、大きく立派な家も多い印象。
海運の重要な拠点としても栄えたことから往時は大いに賑わったことでしょう。
加太港の様子。現在は湯浅、下津等と並ぶ紀北地域の重要な漁業拠点となっています。


地図
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