社号 | 和歌浦天満宮 |
読み | わかうらてんまんぐう |
通称 | |
旧呼称 | 綱引天神 等 |
鎮座地 | 和歌山県和歌山市和歌浦西2丁目 |
旧国郡 | 紀伊国海部郡和歌村 |
御祭神 | 菅原道真 |
社格 | |
例祭 | 3月25日 |
和歌浦天満宮の由緒
和歌山県和歌山市和歌浦西2丁目に鎮座する神社です。
当社の創建・由緒について、社伝によれば次のように伝えています。
- 延喜元年(901年)に菅原道真が大宰府へ向かう際、風波を避けるために和歌浦に船を停泊し、和歌浦の地に立ち寄った。
- その際、敷物が無かったので当地の漁民たちが船の艫綱を用いて円座を作って迎えた。「綱引天神」とも称するのはこれに因む。
- 風波が静まって出立する際に「老を積む 身は浮船に 誘はれて 遠ざかり行く 和歌の浦波」「見ざりつる 古しべまでも 悔しきは 和歌吹上の 浦の曙」の二首を詠んだ。
- その後、村上天皇の康保年間(964年~968年)に参議の橘直幹なる人物が大宰府から帰京する際に当地へ立ち寄り、社殿を造営して菅原道真の神霊を勧請し祀った。
このように伝えられているものの、菅原道真公の左遷の経路は概ね山陽道沿いに船を進めたものと推測され、当地を訪れたとは到底考えられにくく付会と思われます。
また「北野天満宮」(京都市上京区に鎮座)の創建が天暦元年(947年)であることを考えれば当社を康保年間の創建とするのは早すぎるように思えるものの、古くからこの地に菅原道真を祀っていたのは確かなようです。
なお、太宰府へ向かう菅原道真を漁民が艫綱で円座を作って迎えたとする伝承は瀬戸内海の各地で伝わっており、大阪市北区神山町の鎮座する「綱敷天神社」、神戸市須磨区天神町に鎮座する「綱敷天満宮」などをはじめ多数の例があります。
当社は元々は小さな神社だったといい、天正十三年(1585年)の豊臣秀吉による紀州攻めの兵火に遭った後、和歌山城主となった桑山重晴や浅野幸長らによって再建されたと伝えられています。
特に浅野幸長が慶長九年(1604年)から慶長十一年(1606年)にかけて境内の整備および社殿の造営を行い、この時に建立された本殿、楼門、境内社二棟(多賀神社本殿、天照皇太神宮豊受大神宮本殿)が現存しいずれも国指定重要文化財となっています。
紀州徳川藩の時代にも厚く崇敬され、「紀州東照宮」「玉津島神社」と共に風光明媚な和歌浦における名所として多くの人で賑わったようです。
和歌浦は近代以降も都市近郊の行楽地として大規模に開発され大いに賑わったものの、60年代には早くも衰退しバブル期ですらも殆ど投資がなされず大きく寂れてしまいました。
しかし当地が風光明媚な歌枕の地であることは確かであり、当社や「紀州東照宮」「玉津島神社」等の名所も多くあることから、近年その価値が見直され再び盛り返しつつある兆しも見え始めています。
今はまだ「隠れた名所」といった位置付けではあるものの、歴史ある当地に再び脚光を浴びる日が来ることを願うばかりです。
境内の様子
当社は風光明媚な和歌浦にある天神山の中腹に鎮座しています。
天神山の南麓に境内入口があり鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐった様子。かなり急な斜面上に鎮座しており、正面奥にはまるで壁のような石段が続いています。
参道途中の左側(西側)に手水舎が建っています。こちらは水が張られておらず使用されていないようです。
石段上には一間一戸の本瓦葺・平入入母屋造の楼門が堂々と建っています。
この楼門は慶長十年(1605年)に建立された貴重な建築で国指定重要文化財となっています。
案内板
重要文化財
天満神社楼門
楼門に至る石段や楼門前に聳える石垣には全て結晶片岩が用いられています。
結晶片岩は中央構造線の外帯に接する三波川変成帯に多く分布しており、和歌山県下では概ね紀ノ川の左岸側でよく見かけるものです。
当地の地質をよく表したものと言えます。
楼門をくぐって社殿側から楼門を見た様子。楼門の左右には廻廊が接続しています。
楼門をくぐって左側(西側)に手水鉢が配置されています。
先に見た麓の手水舎が古いと思われるものの、現在ではこちらが使用されています。天満宮らしく牛の像も置かれています。
楼門をくぐって正面奥に本殿が南向きに建っています。
本殿前には檜皮葺の平唐門の拝所(中門)が建ち、本殿の周囲を瑞垣が囲っています。
本殿は檜皮葺の三間社入母屋造に向拝と大きな千鳥破風を設けたもの。
この本殿は楼門の翌年である慶長十一年(1606年)に建立されたもので、こちらも国指定重要文化財となっています。
案内板
重要文化財 天満神社本殿(附 棟札八枚)
境内西側の様子
本社本殿の左側(西側)には筆塚があります。
筆塚の左側(西側)に「白鳥大明神」が東向きに鎮座。
鳥居が建ち、春日造状の覆屋の内部に銅板葺の流見世棚造の社殿が納められています。
本社本殿東側の境内社
反対側、本社本殿の右側(東側)には一つの覆屋に三社の境内社が納められ南向きに鎮座しています。
これらの内、最も左側(西側)に「多賀神社」が鎮座。
社殿は檜皮葺の一間社春日造で朱等の極彩色の施されたもの。
楼門や本殿とほぼ同時期に建立されたと推定され、国指定重要文化財となっています。
多賀神社の右側(東側)に「天照皇大神宮」と「豊受大神宮」の相殿が鎮座。
社殿は檜皮葺の二間社流造でやはり朱等の極彩色の施されたもの。
多賀神社と同様の手法が見られ、同じく楼門や本殿とほぼ同時期に建立されたと推定され、国指定重要文化財となっています。
相殿の右側(東側)に「白山比賣神社」が鎮座。
社殿は檜皮葺の一間社流造。こちらの社殿は新しいもので、文化財指定はなされていません。
境内東側の様子
上記の三社のさらに右側(東側)の空間に多くの境内社が鎮座しています。
この空間の入口となる南側には五基の朱鳥居が西向きに並んでいます。
これら朱鳥居の左側(北側)の傍らに境内社が西向きに鎮座。社名・祭神は不明。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
五基の鳥居の正面奥に稲荷系の神社が西向きに鎮座しています。社号標から推して神名は恐らく「白高大神」。
覆屋の中に朱塗りの社殿が納められています。
先の境内社(白高大神?)の左側(北側)に「住吉神社」が西向きに鎮座。
社殿は鉄板葺の春日見世棚造に朱を施したもの。
住吉神社の左側(北側)に一つの覆屋に九社の境内社が納められ、西向きに鎮座しています。
これらの境内社は左側(北側)から順に次の通り。
- 「白太夫神社」
- 「神集神社」
- 「香取神社」「鹿島神社」の相殿
- 「柿本神社」
- 「春日神社」
- 「八幡神社」
- 「産霊神社」
- 「天穂日神社」
- 「三宝竈神社」
社殿はいずれも同規格の板葺の春日見世棚造。
上の九社の向かい(西側)に「白藤龍大神」が東向きに鎮座。
鳥居が建ち、奥の基壇上に建つ春日造状の覆屋の中に社殿が納められています。
その他
戻る際、楼門をくぐると鳥居の先に御手洗池公園や海を見渡すことができます。
現在は住宅が建ち並んでいるものの、風光明媚な和歌浦の光景が広がっています。


由緒
案内板
和歌浦天満宮略記御案内
地図
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