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顕国神社 (和歌山県有田郡湯浅町湯浅)

社号顯國神社
読みけんこく
通称大宮さん 等
旧呼称
鎮座地和歌山県有田郡湯浅町湯浅
旧国郡紀伊国有田郡湯浅村
御祭神大己貴命、須佐男命、櫛名田姫命、建御名方命、沼川姫命
社格旧村社
例祭10月18日

 

顯國神社の概要

和歌山県有田郡湯浅町湯浅に鎮座する神社です。

社伝によれば、延暦二十年(801年)に坂上田村麻呂が霧崎菖蒲の里(詳細不明)に至って神々を祀り、社殿を造営して「大國主大明神」と称して祀ったのが始めと伝えられています。

そしてその後、当地の土豪だった湯浅権守藤原宗重なる人物の信仰が厚かったことから天養元年(1144年)に当地へ遷座し「顯國明神」と改称したと伝えられています。

 

一方、江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』や『紀伊国名所図会』等は、現在地の北西4km弱の田地区(旧:田村)に鎮座する「國津神社」からいつの頃か勧請したものと記しています。

社伝では坂上田村麻呂に関連付けていますが、これは当社の勧請元とされる「國津神社」の鎮座地「田村」からの付会であることが考えられます。

田地区の「國津神社」は元正天皇の御代の神託および天暦二年(948年)の神託で祭祀されたと伝えられ、紀伊国の国内神名帳『紀伊国神名帳』の在田郡に見える「従四位上 國津神」もこの神社とされていることから古い神社であることが窺えます。

当地・湯浅の発展に伴い近隣の古社である田地区の「國津神社」から勧請されたのが当社だったのかもしれません。

 

湯浅は醤油醸造の発祥の地とされ、中世から醤油が生産されていました。

江戸時代には特産品として醤油醸造が行われたのはもちろん、当地が良港であることを生かして漁業や海運の基地としても発展し、さらには熊野街道が近隣を通ることもあり交通の要衝としても大いに栄えました。

当社はこの湯浅の鎮守の一つとして醤油醸造家や漁民、海運業者など湯浅の人々から厚く崇敬を受け、また有田郡内でも有数の神社として「大宮さん」とも呼ばれたようです。

寛文八年(1668年)には紀州藩の初代藩主である徳川頼宣より「顯國大明神」の社号を授かったといい、その後は藩主の江戸への往来で湯浅を訪れた際に当社への参拝があったことが幾度も記録に残っています。

一方で『紀伊続風土記』によれば、湯浅の中町に鎮座していた「諏訪大明神社」は当社よりも古くから「当所に鎮座ましましける」故に湯浅の氏神である、とも記しています。

この神社はかつて御射山(ミサヤマ / 詳細不明)に鎮座していたのを後に遷座したといい、当社より先に「諏訪大明神社」が湯浅へ遷座していたために、湯浅の鎮守は「諏訪大明神社」の方であるとの意識もあったようです。

なお、この神社は明治年間の合祀政策により当社に合祀されています。恐らく神社の規模としては当社の方が大きかったのでしょう。

 

湯浅では現在も醤油醸造が続けられており、その町並みは江戸時代以来のものが良好に残っていることから重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

今なお昔ながらの風情が残る湯浅の一画に当社があり、当社もまた「三面獅子」と呼ばれる獅子舞の神事(和歌山県指定文化財)など古くからの習わしを守り伝えています。

湯浅の発展と共に当社があり、今も湯浅の人々の拠所となっている神社と言えることでしょう。

 

境内の様子

顕国神社 顯國神社

当社は湯浅の中心街の北東に鎮座しています。

道路に面して鳥居が南向きに建ち、その奥はコンクリートで舗装された駐車場になっています。

 

鳥居をくぐって正面奥に手水舎が建っています。

手水鉢は上総国(現在の千葉県中部~南部)へ移った当社の氏子が寛延元年(1748年)に奉納したもの。恐らく湯浅出身の漁民が房総半島の漁場を求めて移動していったのでしょう。

移動先でも故郷を忘れず当社を崇敬していた様子が窺えます。

案内板

顯國神社 手水鉢

 

手水舎の右側(東側)に神門が南向きに建っています。

かなり変わった形式の門で、本瓦葺の四脚門を基本とし、側面や上部は漆喰で壁を作り、前後には庇を設けたものとなっています。

また鳥居からは大きく右側(東側)へずれた動線となっているのも珍しい点です。

 

顕国神社 顯國神社

神門をくぐった様子。社殿までまっすぐ石畳が伸び、奥には鬱蒼とした森が繁り、神社らしい空間となっています。

当社の森は「一夜の森」「暁の楓」などと呼ばれているようです。

 

顕国神社 顯國神社

参道の正面奥に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は本瓦葺の妻入入母屋造。ただし背面は切妻造となっており、妻入切妻造の祝詞殿(幣殿)が接続した構造になっています。

祝詞殿のさらに後方に銅板葺の一間社隅木入春日造の本殿が建っているものの、木々に遮られて殆ど見えません。

本殿は江戸時代中期、拝殿は元文二年(1737年)、祝詞殿は明治二十一年(1888年)の建立で、いずれも湯浅町指定文化財となっています。

案内板

湯浅町指定文化財

 

本社拝殿の右側(東側)にまっすぐ瑞垣が伸びており、その奥に四社の境内社がそれぞれ南向きに並んで鎮座しています。

 

これら境内社群の内、最も左側(西側)、本社社殿に近い側に「若恵比須神社」が鎮座。御祭神は「事代主命」「豊玉彦命」「豊玉姫命」「大山祇命」。

社殿は銅板葺の一間社隅木入春日造。

 

若恵比須神社の右側(東側)に隣接して「神明神社」が鎮座。御祭神は「天照皇大神」「豊受大神」「蛭子神」「水波能女神」。

社殿は銅板葺の神明造に庇の付いたもの。

 

神明神社の右側(東側)に「稲荷神社」が鎮座。御祭神は「宇賀魂命」「祓戸神」「瀬織津姫命」「速開津姫命」「息吹戸主命」「速須佐良姫命」。

社殿は銅板葺の一間社流造に朱塗りを施したもの。

 

稲荷神社の右側(東側)に「若宮神社」が鎮座。御祭神は「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」。

社殿は銅板葺の一間社春日造で、手前側には銅板葺の妻入切妻造の拝殿が設けられており、他の境内社とは一線を画するものとなっています。

 

当社の鎮座する湯浅は醤油発祥の地とされ、中世以降は盛んに醤油醸造が行われました。

江戸時代には醤油醸造に加えて漁業や海運の拠点として、さらには交通の要衝としても大いに栄えました。

現在も江戸時代以来の町並みが良好に残っており、そして醤油醸造も行われ続けています。古い町並みと古くからの産業が今に伝わる数少ない一帯となっています。

こうした湯浅の町並みは貴重なものとして評価されており、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

 

タマ姫
湯浅の町並みって江戸時代みたい!なんか独特の匂いも漂ってくるね!
昔ながらの町並みが残る貴重なところよ。そしてここは醤油発祥の地と言われていて、今でも醤油の醸造が行われているわ。
トヨ姫

 

由緒

案内板

顯國神社

案内板

顯國神社祭礼

案内板

和歌山県指定文化財

 

地図

和歌山県有田郡湯浅町湯浅

 

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