社号 | 山口神社 |
読み | やまぐち |
通称 | 日吉神社 等 |
旧呼称 | 山王権現社・春日明神社 等 |
鎮座地 | 和歌山県和歌山市谷 |
旧国郡 | 紀伊国名草郡谷村 |
御祭神 | 伊久津姫命 / 配祀:国常立命、国狭槌命、惶根命、大己貴命、伊弉册命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天津彦彦火瓊々杵命、弥照命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月17日 |
山口神社の概要
和歌山県和歌山市谷に鎮座する神社です。市小路地区に鎮座する「伊久比売神社」と共に式内社「伊久比賣神社」の論社となっています。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、延暦年間(782年~806年)に桓武天皇の紀伊国玉出島への行幸に先立ち、坂上田村麻呂が行宮を建てたのが当社であるとも伝えられています。
当社は「坂上田村麻呂」との関連が深く、田村麻呂の墓や、田村麻呂五世孫であるという坂上五郎の居城跡が当社のすぐ近くにあるようです。
また当地に田村麻呂が訪れた際に、その送迎にあたった者が「十番頭人」と称して神社の祭礼に重要な地位を占めたといい、この体制が江戸時代まで続いたと言われています。
他にも平城天皇の熊野行幸の際に勅使を立てて当社の神殿を拡大したとも伝えられ、伝承の上では平安時代初期には当社が所在していたとされています。
当社は「日吉神社」と「春日神社」が並立して鎮座しており、両社を併せて「山口神社」とし、形式的には前者を本社としています。
しかしどういうわけか本社である日吉神社には一般的な山王信仰の神とされる「大山咋神」を祀っていないようです。(「大己貴命」は配祀神として祀られている)
代わりに主祭神として祀られているのは「伊久津比売命」なる神で、古くから安産の神として信仰されたようです。
江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』はこの神は式内社「伊久比賣神社」ではないかとしており、「イクヒメ」の神名に助詞「ツ」を加えて「イクツヒメ」として後世まで伝えられていたことが考えられます。
当社より前から式内論社とされた市小路地区の「伊久比売神社」は論拠が弱いことからも、式内社「伊久比賣神社」が当社であった可能性は高いと言えそうです。
後世に山王権現や春日明神が勧請されて本社となっても尚「イク(ツ)ヒメ」の神名を伝えていたとすれば驚くべきことです。
ただ、この神は記紀などの資料に登場せず、如何なる神であるかは全く不明となっています。
ちなみに『紀伊続風土記』は当時は伊久津比売命と弥照命(桓武天皇)を相殿として祀っていたと記しており、この時期には当社における山王権現の信仰は名ばかりで既に衰えていたのかもしれません。
古く当社には二羽の霊烏(れいう)がいたといい、当社に神饌を供えると食べに来て他の鳥は近寄ることはないとされていました。
毎年朔日には氏子で集まって祭礼を行い神饌を供え、その際に凶事があれば霊烏は食べに来なかったといい、これによって吉凶を判断したと伝えられています。
また神に祈願する際も神饌を供えて霊烏が食べに来るかどうかで占ったとも言われています。
いわゆる「御鳥喰神事」の一種で、同様の神事は現在も広島県廿日市市宮島町の「厳島神社」等でも行われていますが、現在の当社では「霊烏」は姿を見せなくなっているようです。
境内の様子
当社は谷地区の集落の北方、和泉山脈の南麓に鎮座しています。
集落から北へ伸びる道の先に境内入口があり、鳥居が南向きに建っています。
鳥居の傍らに配置されている狛犬。花崗岩製の比較的新しいものです。
鳥居をくぐった先に本瓦葺の平入入母屋造の割拝殿が南向きに建っています。
左側(西側)の部屋は壁で囲われている一方で、右側(東側)の部屋は壁の無い開放的な構造になっています。
割拝殿の通路をくぐると鬱蒼とした森の中に長い参道が続いています。
これほど本殿と離れていると割拝殿はもはや拝殿とは言えず、機能的には神門に近いものと見るべきでしょう。
同様の建築は和歌山県内には殊に多く、和歌山県神社庁HPではこれを「庁舎」「庁殿」などと表記しています。(当社の場合は「廳殿」)
確かに拝殿とは別の範疇の建築と捉える方が良いのかもしれません。
参道の先は開けた広い空間となっており、その奥に社殿が南向きに建っています。
後述のように社殿は左側(西側)に「日吉神社」、右側(東側)に「春日神社」の二社が並んでおり、瑞垣の左右にそれぞれ鳥居と拝所が設けられています。
この空間へ入ってすぐ左側(西側)に簡素な手水舎が建っています。
参道から見て奥側(西側)の方から参拝していきます。
上述のように左側(西側)に鎮座しているのは「日吉神社」で、こちらが当社の本社にあたります。
鳥居が建ち、奥に銅板葺の平入切妻造の中門(拝所)が建っています。(和歌山県神社庁HPではこれを「拝殿」と表記)
後方に日吉神社の本殿が建っています。形式は銅板葺の三間社流造。
続いて、右側(東側)に鎮座する「春日神社」へ。二社の並ぶ神社ですが、形式的にはこちらは境内社という扱いのようです。
こちらも同様に鳥居が建ち、奥に平入切妻造の中門(拝所)が建っています。(和歌山県神社庁HPでは「春日社拝殿」と表記)
後方に春日神社の本殿が建っています。形式は銅板葺の三間社(?)流造。
本社社殿の瑞垣の手前左端(西側)に「布魂神社」が東向きに鎮座。和歌山県神社庁HPには「布部之魂神社」とあります。物部系の神社でしょうか?
鳥居が建ち、銅板葺の春日見世棚造の社殿が建っています。
本社社殿の瑞垣の手前右側(東側)に「八幡神社」が南向きに鎮座。
鳥居と拝所が設けられ、塀に囲まれた中に覆屋が建ち、そこに社殿が納められています。
地図
関係する寺社等
伊久比売神社 (和歌山県和歌山市市小路)
社号 伊久比売神社 読み いくひめ 通称 旧呼称 市姫大明神 等 鎮座地 和歌山県和歌山市市小路 旧国郡 紀伊国名草郡市小路村 御祭神 伊久比売命 社格 式内社、旧村社 例祭 10月13日 式内社 紀 ...
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