社号 | 新屋坐天照御魂神社 |
読み | にいやにますあまてるみたま |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 大阪府茨木市西河原3丁目 |
旧国郡 | 摂津国島下郡西河原村 |
御祭神 | 天照御魂神、天児屋根命、建御名方命 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 10月15日 |
新屋坐天照御魂神社の概要
大阪府茨木市西河原3丁目に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社とあり、古くは有力な神社だったようです。
「新屋坐天照御魂神社」を名乗る神社は三社あり、西河原地区の当社と、西福井地区、宿久庄地区それぞれに鎮座しています。これらは『延喜式』神名帳にある三座がそれぞれ一座ずつ祀られたとも、西福井地区の新屋坐天照御魂神社からそれぞれ勧請されたとも言われています。
現状、西福井の新屋坐天照御魂神社が三社の中で中心的な地位を占めており、社伝も西福井の新屋坐天照御魂神社の背後にある「日降丘」に神が降臨したのが創建とされ、その後神功皇后が幸魂を当地に勧請したと伝えられています。
一方、『倭名類聚抄』に記される郷に照らし合わせると西福井は「安威郷」、宿久庄は「宿久郷」であり、「新屋郷」に属していたのは当地のみだったと考えられます。この点から当社が新屋坐天照御魂神社の原点であるとする説もあります。
当社も古くは七ヶ村を氏子とする大規模な神社だったと伝えられていますが、中世に戦乱により衰微し、寛文九年(1669年)にかつての境内の北西隅にあたる現在地に遷座して社殿が新しく造営されたと伝えられています。
西河原交差点の斜向かいに鎮座する「疣水磯良神社」はかつての当社の境内でしたが、境内の「玉の井(別名:よるべの水/疣水)」が有名になって人々の信仰を集め、当社から切り離されて独立し別々の神社となったようです。現在は疣水磯良神社は立派な社殿を構え、多くの人が訪れる神社となっているのに対し、本来そこに鎮座していた当社は訪れる人も少なくひっそりと鎮座しており、当地の信仰の複雑な歴史が窺えます。
当社の御祭神「天照御魂神」についての詳細は西福井の新屋坐天照御魂神社の記事をご参照ください。
境内の様子
境内入口。境内は鬱蒼とした森に覆われており、南向きの入口に灯籠と注連柱が配置されています。
入口にはかつて鳥居が建てられていましたが、2018年の地震もしくは台風で倒壊してしまったようで、2019年現在は基部のみが残っている状態です。
参道途中にささやかな石段があり、奥へ進むほど土地が高くなっている様子がわかります。
参道途中の右側(東側)には小さな手水鉢があります。
正面の基壇上に南向きの社殿が並んでいます。拝殿は瓦葺・平入入母屋造。
拝殿前の狛犬。砂岩製で古めかしさが感じられます。
また、拝殿前に「新屋坐天照御魂神社一座」と刻まれた石碑が建っています。これは江戸時代中期の学者、並河誠所が当時多くが所在不明となっていた畿内の式内社を研究し、比定した神社に目印として建立したものです。摂津国の式内社でよく見かけるものです。
後方の本殿は塀に囲まれ、さらに覆屋に納められているためよく見えません。形式は三間社流造のようです。
拝殿前の左側(西側)に「須佐神社」が鎮座しています。御祭神は「速素戔嗚尊」。
本社社殿の左奥(北西)には「稲荷神社」が鎮座しています。御祭神は「宇賀御魂神」。
案内板によれば当社は他に「東之神社」(御祭神「八幡神」「住吉神」「磯良神」)が鎮座するようですが、境内には他に境内社は見えません。本殿の建つ塀の内側にあるのかもしれません。


由緒
案内板
新屋坐天照御魂神社
『摂津名所図会』
地図
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