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梛神社・隼神社 (京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町)

社号 梛神社・隼神社
読み なぎ・はやぶさ
通称 元祇園社(梛神社) 等
旧呼称
鎮座地 京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町
旧国郡 山城国葛野郡壬生村
御祭神 梛神社:素盞嗚尊
隼神社:建甕槌神、経津主神
社格 隼神社:式内社
例祭 梛神社:5月第3日曜
隼神社:11月17日

 

梛神社・隼神社の概要

京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町に鎮座する神社です。

一つの境内に梛神社と隼神社二社が並立する神社で、厳密には梛神社を本社とし、隼神社を境内社としています。

 

梛神社

素盞嗚尊」を主祭神とし、「宇賀御魂命」「伊弉冉命」「誉田別尊」を配祀しています。

社伝によれば貞観十一年(869年)に京の都において疫病が流行した際、これを鎮めるために播磨国飾磨郡(兵庫県姫路市)の「広峯神社」から牛頭天王を勧請し、この時に神輿を梛の林の中に置いて祀ったのが当社の始めであると伝えられています。

その後、神霊は八坂へ遷座して「祇園感神院」(現在の「八坂神社」)となったと言われ、このため当社は八坂神社の旧跡にあたり「元祇園社」と呼ばれています。

祇園感神院への遷座の際に住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏でて神輿を遷したとされ、これが祇園祭の起源であると言われています。

ただしこれは御霊会を起源とする祇園祭そのものでなく、祇園祭の中の「山鉾巡行」に関する伝説的な起源説話と言うべきものです。山鉾巡行の原型は鎌倉時代末期に初めて記録が見えるので、山鉾巡行が実際にどのように成立したかはよくわかっていません。

また、貞観十一年(869年)に広峰神社から八坂神社へ勧請されたことは古くは鎌倉時代の資料にも見え、このために広峰神社が祇園社・八坂社の元宮であるとも言われていますが、当の八坂神社ではその説を採用していません。

この説は広峰神社が権威を高めるために鎌倉時代に主張しだしたものであるとも言われ、もしそうならば当社の社伝も根本から覆ることになってしまいます。

とはいえ当社は古くから祇園信仰の神社として知られていたようです。

 

隼神社

御祭神は「建甕槌神」「経津主神」。

式内社で、『延喜式』神名帳の京中坐神に記載される三座の内、唯一現存する神社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。一説に奈良に鎮座する同名の「隼神社」から勧請したとする説もありますが、そちらは式内社ではありません。

『三代実録』に度々当社に神階が授与された記事が記載されており、そこでは「後院隼神」の名で登場します。『延喜式』神名帳には「四條坐神」とあり、四条にある後院とは「朱雀院」であるから当社は朱雀院に祀られていたと考えられています。

当初の場所は現在の京都市中京区壬生花井町の南西隅、株式会社NISSHAの敷地内にあたると推定されています。

その後いつの頃か遷座されたようで、京都市中京区壬生御所ノ内に鎮座していました。この地には現在も当社の旧地であることを示す石碑が建っています。

大正七年(1918年)に梛神社の境内へ遷座され現在に至っています。

なお当社は江戸時代に「隼(はやぶさ)」が「はやくさ」と訛り、皮膚病の瘡(くさ)に通じることから皮膚病の治癒に験があるとして信仰されました。

 

境内の様子

当社境内は京都市中の雑居ビルに挟まれた一画にあります。入口は東側と北側にあり、当サイトでは東側の入口から紹介します。

東側入口に東向きの鳥居が建っています。

 

鳥居をくぐった様子。方形の境内に石畳が敷かれています。

 

鳥居をくぐって左右両側に狛犬が配置されています。砂岩製でどっしりとした風格。

 

石畳は途中で二ヶ所右側(北側)への分岐があり、手前側の分岐は手水鉢に、奥側の分岐は北側入口へ続いています。

 

手前側の分岐の先にある手水鉢。

 

梛神社

梛神社

鳥居から石畳をまっすぐに進むと正面に「梛神社」が東向きに鎮座しています。

拝殿は銅板葺・平入切妻造に唐破風の付いたもの。拝殿というより拝所としての中門と呼ぶべきかもしれません。

本殿はよく見えませんが銅板葺の流造のようです。

 

隼神社

隼神社

梛神社の右側(北側)に隣接して「隼神社」が東向きに鎮座。

拝殿は銅板葺・平入入母屋造に軒唐破風の付いたもの。やはり拝所としての中門に近い構造です。

本殿はこちらも見えにくいですが銅板葺の流造。

 

梛神社と隼神社の間には当社の象徴であるナギの木が植えられています。ナギは針葉樹でありながら広葉樹のように大きな葉を持ち、引っ張っても切れにくいので縁結びに験があるとも言われ、各地で御神木とされています。

また、当社ではナギの実を模した丸い木の玉が供えられています。この木の玉にはお御籤が入っており、願い事を書いて供えると叶うと言われています。

 

手水舎の右側(東側)に「田中神社」が南向きに鎮座。地主神を祀っています。

 

田中神社の右側(東側)に「稲荷社」が西向きに鎮座。御祭神は「川上稲荷大神」。

 

当社北側の入口。北向きの鳥居が建っています。先述の通り石畳の奥側の分岐へと続いています。

 

北側入口に配置されている狛犬。砂岩製で、こちらは穏やかな風格です。

 

北側入口の左側(東側)に「御供石(ごくいし)」と呼ばれるものがあります。祇園祭の山鉾巡行のときにこの石の上に神饌を置き神に供えたもの。

元は京都市下京区御供石町にあったものを昭和七年(1932年)に当地に移されました。

 

当社から約300m北方に隼神社の旧地があり、「式内 隼神社舊蹟」と刻まれた小さな石碑が建っています。

現在は駐車場や民家となっており、旧地を偲べるものは石碑以外に何もありません。

 

タマヨリ姫
八坂神社ってここから遷ったの?だから元祇園って呼ばれてるんだね!
そのように伝えられてるわね。でも八坂神社ではそのような伝承は伝えられてないみたいよ。
トヨタマ姫

 

御朱印

梛神社

 

隼神社

 

由緒

案内板「梛神社(元祇園社)」

+ 開く

梛神社(元祇園社)

素盞嗚尊を主神とし、宇賀御魂命、伊弉冉命、誉田別尊などを配祀する。

社伝によれば貞観十一年(八六九)京の都に疫病が流行したとき、牛頭天王(素盞嗚尊)の神霊を播磨国広峰(現在の兵庫県姫路市)から勧請して鎮疫祭を行った。この時その神輿を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるという。

後に神霊を八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を八坂に送った。これが後の「祇園会(祇園祭)」の起源と伝えられる。また、当社は八坂神社の古址にあたり、元祇園社と呼ばれる。

維新の頃は田んぼの中の一小祠であったが、明治七年(一八七四)と昭和四年(一九二九)の復興を経て現在に至る。

境内の隼神社は、建甕槌神、経津主神を祀り、「延喜式 神名帳」にも載る大社であり、大正七年(一九一八)蛸薬師坊城からこの地に移された。梛神社とともに厄除け、疫病払いの神である。

例祭は梛神社が五月の第三日曜日。隼神社が十一月十七日である。

京都市

 

地図

京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町

 

隼神社旧地

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