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賀茂別雷神社境内社 (京都府京都市北区上賀茂本山)

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賀茂別雷神社の境内社

社殿付近の境内社

片山御子神社

片岡社」とも呼ばれています。楼門の対岸、玉橋のすぐ側に鎮座する摂社です。

御祭神は「玉依比売命」。妻入切妻造の拝殿は中央に通路が設けられており、舞殿風拝殿と割拝殿の中間のようなものとなっています。本殿は一間社流造。拝殿と本殿は国指定重要文化財

式内社で、『延喜式』神名帳には大社に列せられていることから古くは有力な神社だったようです。

タマヨリヒメといえば、賀茂建角身命の娘であり賀茂別雷神の母であるので賀茂氏にとって非常に重要な神です。が、当社の説明では「賀茂縣主族の祭祀の権を握って居られた最高の女性」としています。どうやら賀茂別雷神の母であるタマヨリヒメでなく、神の霊の依り憑く巫女を神格化した神としての玉依比売命を祀っているようです。

賀茂別雷神社の第一の摂社であり、本社の祭祀においてはまず当社に祭を行うのが例となっています。

案内板「片山御子神社」

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賀茂別雷神社 第一攝社

片山御子神社

祭神

玉依比賣命 一柱一座

延喜式内の古社である。『延喜式』には、「片山御子神社(大 月次 相嘗 新嘗)」と載せている。賀茂縣主族の祭祀の権を握って居られた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得せられた神で、常に別雷神の御側に侍ってお仕え申し上げておられたのである。よって現在にあっても本宮恒例の祭祀には、先づ当神社に祭を行う例となっている。それは只今より御奉仕申し上げる本宮のお祭は、御祭神の御名によって、お仕え申し上げる由を、予め奏上せんとする意味から行うのである。

古来第一攝社と崇められている。事情かくの如くであるので、皇室の御崇敬も厚く、本宮へ行幸、御幸等の場合は当社へも奉幣あらせられることが屡々あった。天正十九年六月十一日正一位を奉られている。古く当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が三個あったが、天正年中汚穢の禍を懼れて地下に埋没したという。

 

須波神社

片山御子神社の右側(南側)に鎮座する摂社です。

御祭神は「阿須波神」「波比祇神」「生井神」「福井神」「綱長井神」。宮中の神祇官西院に祀られていた、いわゆる「坐摩神」の五柱を祀っています。

当社は式内社「須波神社」の論社ですが、本来は「諏訪社」と呼ばれていました。当社を式内社とする論拠は音韻の他に無く、また当社以外にも論社が多いことから、どこが「須波神社」なのか決定が難しいのが実情です。

小規模な一間社流造で国指定重要文化財

 

棚尾神社

幣殿の拝所の右脇に鎮座する末社です。

御祭神は「櫛石窓神」「豊石窓神」。

門を守る随身的な神として信仰されてきたようです。

一間社流造で国指定重要文化財

 

土師尾神社

幣殿の奥、本殿の建つ空間内の右側(東側)に鎮座する末社です。見学はできますが写真を撮影することはできません。

御祭神は「賀茂玉依比古命」。

『新撰姓氏録』山城国神別に鴨県主と同祖、鴨建玉依彦命の後裔である「西泥土部」が登載されており、この氏族が祖神を祀った神社とされています。賀茂氏の中でも土器の製作に携わったのが西泥土部で、賀茂社の祭祀に用いる神具としての土器も多く製作してきたことと思われます。

式内社「賀茂波爾神社」を当社に比定する説があります。

 

杉尾神社

幣殿の奥、本殿の建つ空間内の左側(西側)に、土師尾神社と対になるように鎮座する末社です。見学はできますが写真を撮影することはできません。

御祭神は「杉尾神」。

詳細は不明ですが、林業の神として信仰されているようです。

 

若宮神社

本殿の右奥(北東側)に鎮座する摂社です。本殿のさらに奥の空間に鎮座するため見学することはできません。

御祭神は「若宮神」。

詳細は不明。拝殿と本殿は国指定重要文化財

 

楼門前から東側へ。こちらには「御物忌川」が流れ注いでいます。

 

川尾神社

御物忌川を背にして鎮座する末社です。

御祭神は「罔象女神」。

本社前を流れる御物忌川はその名の通り神聖で、穢れを祓う清浄な川であり、また神域への境界となる川です。この川の水神を祀っているのが当社であると言えます。

 

新宮神社

御物忌川沿いの最奥部、「新宮門」と呼ばれる薬医門をくぐったところに鎮座する摂社です。「貴布祢神社」或いは「貴布祢新宮」とも呼ばれています。

御祭神は「高龗神」。

賀茂川の上流に鎮座する貴船神社は賀茂別雷神社と関係が深く、平安時代以降から貴船神社は賀茂別雷神社の摂社とされてきましたが、貴船神社はそれを不服として江戸時代以降何度も独立を訴えており、明治になってようやく独立を果たしたという因縁があります。当社の詳細は不明ですが、恐らく貴船神社が摂社だった頃に境内に分霊を勧請したものと考えられます。

拝殿は妻入切妻造の舞殿風拝殿、本殿は一間社流造です。拝殿、本殿ともに国指定重要文化財

 

山尾神社

新宮神社の左側(西側)に鎮座する末社ですが、入れない区画にあり写真を撮影することもできません。

御祭神は「大山津見神」。

詳細は不明です。素朴な山岳信仰が元になっているのかもしれません。

 

一旦細殿方面へ戻ります。本社の東側は先述のように御物忌川が流れていますが、西側には「御手洗川」が流れており、細殿の後方で合流しています。この二つの川に挟まれた区画が特に重要な神域だと言えます。

 

橋本神社

細殿の左奥(北側)、御手洗川に沿って鎮座する末社です。

御祭神は「衣通姫」。

詳細不明です。

 

境内東側の境内社

御物忌川と御手洗川の合流した先の川は「ならの小川」と呼ばれています。ならの小川からは「沢田川」と呼ばれる川が分かれており、東側に広がる森へと流れています。こちらに二社の境内社が鎮座しています。

 

岩本神社

沢田川を背にして岩の上に鎮座する末社です。

御祭神は「底筒男神」「中筒男神」「表筒男神」。いわゆる住吉三神です。

岩の上に鎮座するからにはいわくありげですが、詳細は不明です。

 

賀茂山口神社

岩本神社からさらに東方へ進んだところに鎮座する摂社です。

御祭神は「御歳神」。拝殿は妻入入母屋造の舞殿風拝殿、本殿は一間社流造です。拝殿と本殿の間には道が横切っており、道に沿って柵が設けられているのでどういうわけか拝殿側から本殿側へ、また本殿側から拝殿側へ行くことができない構造になっています。

式内社「賀茂山口神社」の論社ですが、当社は本来は「澤田社」と呼ばれており、当社が式内社に比定された論拠は不明です。後述の山森神社も同様に「賀茂山口神社」の論社となっています。

なお、式内社には14社の「○○山口神社」が記載されており、これらは恐らく水源たる山を国家的に祀ったものと考えられます。当社は「○○山口神社」の中で唯一山城国に鎮座する神社で、他は全て大和国に鎮座しています。また他の「○○山口神社」の多くが大山祇神を祀るのに対して当社は御歳神を祀っているのも特徴です。

当社は新宮神社と並んで専用の広い境内を有しており、境内社の中でも存在感があります。この空間は「渉渓園」と呼ばれる庭園となっており、昭和三十五年にかつて本社で行われていた曲水宴を復活させるために整備されたものです。

社殿の右側(東側)には注連縄の掛けられた石があり、「願い石」または「陰陽石」と呼ばれています。かつて渉渓園に龍の住む池があり、その池の底から出土したものであると言われています。

 

境内南東部の境内社

境内の南東部、すなわち参道の東側にあたる空間には「ならの小川」が流れており、せせらぎの音が響き渡る憩いの空間となっています。こちらには三社の境内社が鎮座しています。

 

奈良神社

外幣殿からならの小川を挟んだ向かい側に鎮座する摂社です。

御祭神は「奈良刀自神」。

この神は記紀に登場しませんが、社伝では神饌を盛るのに楢の葉を綴じ合わせたものを使用したことから神饌を司る神として祀られているようです。しかし、この神名における「刀自」とは恐らく古代における中年女性の敬称でしょう。「ならの小川」にもある通り「ナラ」とはこの辺りの森を指したものと思われます。すると「奈良刀自神」とは小川の流れるこの場所で祭祀を行っていた女性を神格化したものなのかもしれません。

奈良神社に隣接して「北神饌所」があります。「庁屋」とも呼ばれています。本来は神に供える神饌を調進したところで、奈良神社が神饌の神とされたことと関係すると思われますが、後に政庁としても使用されたようです。現代では能舞台としても使用されています。寛永五年(1628年)の造営で国指定重要文化財

案内板「北神饌所(庁屋)」

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北神饌所(庁屋)

往古の神饌調進所中古政庁として兼用した 五月競馬会神事又能舞台として使用する 寛永五年(一六二八年)造

重要文化財

 

山森神社

ならの小川の左岸(東側)に二社並んで鎮座する境内社の内、北側に鎮座する末社です。

御祭神は「素盞鳴神」「奇稲田姫神」「田心姫神」。

元々は当社の北西1kmほどの西賀茂山ノ森町に鎮座していたと言われており、いつの頃か賀茂別雷神社の境内に遷ったようですが、詳細は不明です。

先述の賀茂山口神社と共に式内社「賀茂山口神社」を当社に比定する説があるものの、根拠としては弱いと言わざるを得ません。また式内社「鴨岡太神社」を当社に比定する説がありますが、こちらも根拠不明です。

 

梶田神社

ならの小川の左岸(東側)に二社並んで鎮座する境内社の内、南側に鎮座する末社です。

御祭神は「瀬織津姫神」。

祓戸の神として祀られた神社で、夏越大祓には当社へ奉饌が行われるようです。

 

なお、ならの小川に沿って多くの楓があり、秋にはこの一帯でとても美しい紅葉を眺めることができます。広い境内なので混雑することもなく、紅葉狩りにはオススメです!

 

境内周辺の様子

当社では「やきもち」が名物となっています。境内入口付近ではいくつかの店があり、いずれも大変美味なやきもちを味わうことができます。参拝の際は是非どうぞ。

 

一の鳥居の東方には非常に趣ある町並みがあります。室町時代以降、この地域に上賀茂神社に奉仕した神官が住み、現在もかつての様子そのままに社家町が残っています。明神川に沿って屋敷が構えられており、そこに架かる石橋や土塀、門などは素晴らしい景観です。この一帯は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

案内板「上賀茂伝統的建造物群保存地区」

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上賀茂伝統的建造物群保存地区

このあたりは、室町時代から上賀茂神社の神官の屋敷町として町並みが形成されてきました。

明神川に架かる土橋、川沿いの土塀や門、独特の妻飾り持った社家、土塀越しの庭の緑、これらが一体となって貴重な社家の景観を今に伝えています。

京都市では、昭和六十三年に当地区を上賀茂伝統的建造物群保存地区に指定し、風趣ある町並みの保存を図っています。

平成十年三月 京都市

 

この社家町の東端には大きなクスノキと「藤木神社」があります。御祭神は「瀬織津姫神」。

詳細は不明。クスノキの神を祀ったもののようにも思えますが、そのような信仰で瀬織津姫神を祀るのは珍しいです。或いは社家町の入口で悪霊や災厄を防ぐために賽ノ神的に祀られたものかもしれません。

 

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