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藤森神社 (京都府京都市伏見区深草鳥居崎町)

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社号 藤森神社
読み ふじのもり
通称
旧呼称 藤森天王社 等
鎮座地 京都府京都市伏見区深草鳥居崎町
旧国郡 山城国紀伊郡深草村
御祭神 中座:素盞嗚命 他/東座:舎人親王、天武天皇/西座:早良親王、伊予親王、井上内親王
社格 旧府社
例祭 5月5日

 

藤森神社の概要

京都府京都市伏見区深草鳥居崎町に鎮座する神社です。

当社は本殿に「中座」「東座」「西座」が分かれており、別々の由緒を持つ三社の神社が合祀されて成立しています。

中座

御祭神は「素盞鳴命」「別雷命」「日本武尊」「応神天皇」「仁徳天皇」「神功皇后」「武内宿禰」。

創建は古く、社伝によれば神功皇后の摂政三年(203年)、神功皇后が朝鮮半島からの凱旋の後、当地を神の聖地として纛旗(軍陣に用いる旗)を立て、兵具を収めて塚を築き神を祀ったのが当社であると伝えられています。平安遷都の行われた延暦十三年(794年)には桓武天皇から「弓兵政所(ゆづえまんどころ)」の称が授けられ奉幣の儀式が行われたと言われています。

このように神功皇后の伝承に基いて創建された神社となっています。神功皇后の伝承は瀬戸内海や紀伊、九州の沿岸に鎮座する神社で広く見られますが、当社のように旧・山城国の神社では非常に珍しいと言えます。記紀の描写を見ても神功皇后が山城と結びつくとは考えにくく、当地で神功皇后の伝承があるのは唐突な印象があります。

ただ、神功皇后の出自である息長氏は近江国坂田郡(現在の滋賀県米原市付近)を拠点にしており、河内や播磨、吉備などにも息長氏に関する痕跡があることから、琵琶湖と淀川を結び瀬戸内海へ通じる水運を掌握していたことが考えられるかもしれません。それならば、宇治川にほど近い当地に息長氏の縁故の者が当社を祀った可能性も無くはないのでしょう。

しかし、このように神功皇后の伝承を持っていながら、何故か主祭神は「素盞嗚命」になっています。史料によっては神功皇后を主祭神とするものもあり、また別の史料では現在東座に祀られる「舎人親王」を中座に祀るとするものもあります。史料ごとに錯綜がありますが、近世には藤森神社は「藤森天王社」とも呼ばれ、いつの頃か牛頭天王(素盞嗚尊)を祀る神社と認識されるようになっていったのかもしれません。

東座

御祭神は「舎人親王」「天武天皇」。

社伝によれば、天平宝字三年(759年)に現在の伏見稲荷大社の地に「藤尾社」として鎮座し、永享十年(1438年)に後花園天皇の勅により将軍の足利義教が稲荷山の山頂に鎮座していた稲荷社の社殿を麓に遷し、そこに鎮座していた藤尾社は当地に遷座したと伝えられています。

このように伏見稲荷大社の遷座の関係で、玉突き的に藤尾社が移転したとされています。このためか、伏見稲荷大社近辺は今でも当社の氏子となっており、当社の祭礼では神輿が伏見稲荷大社の境内まで入って我が物顔で練り歩きます。また、伏見稲荷大社の参道左側(北側)に末社の「藤尾社」が鎮座しており、当社から勧請したことが考えられます。

さらに当地では元々式内社の「真幡寸神社」が鎮座していたとも一説に言われており、藤尾社が当地に遷座したことに伴い真幡寸神社は城南宮の地に遷座したとも言われています。これが正しければ、「稲荷社→藤尾社」と「藤尾社→真幡寸神社」の二重の玉突きがあったことになります。

御祭神の「舎人親王」は天武天皇の第六皇子で、日本書紀を編纂したことで有名です。元正天皇・聖武天皇に仕え、藤原氏を擁立した政治家である一方、歌人としても知られています。しかし何故現在の伏見稲荷大社の地に祀られたのかは不明です。

西座

御祭神は「早良親王」「伊予親王」「井上内親王」。

この三人はいずれも朝廷の政争に巻き込まれて冤罪を被せられ、非業の死を遂げています。平安時代以降、非業の死を遂げた者の怨念が天災や疫病などをもたらすとして、この怨念を鎮めるべく祭祀を行う御霊信仰が盛んになりますが、この三人は御霊信仰の対象として祀られることの多い人物です。(早良親王は「崇道神社」の記事を参照)

西座の神はそうした中で御霊信仰の神社として祀られ始めたものです。延暦十九年(800年)に桓武天皇の勅により現在の京都市東山区本町(東福寺近辺)に「塚本の宮」として早良親王が祀られ、天長三年(826年)に淳和天皇の勅により伊予親王と井上内親王を合祀したと伝えられています。

その後、東福寺の創建に際して京都市伏見区深草西出町(京阪の龍谷大前深草駅の南東/藤森駅の北東)へ遷りましたが、応仁の乱で焼失し藤森神社へ合祀されました。

藤森神社

このように当社は三社が合祀した神社であることがわかります。伝承の通りならば元々この地は中座の神が祀られていたことになりますが、一方で先述の通り式内社の「真幡寸神社」が鎮座していたとも言われ、この二社の関係はよくわかりません。現在のような三社の合祀した体制になったのは伝承からして応仁の乱以降、早くとも15世紀後半以降となりましょう。

先述の通り近世には「藤森天王社」と呼ばれましたが、これは牛頭天王に基くと考えられる一方で、早良親王の追諡である「崇道天皇」に因むものかもしれません。

今、当社で5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭とも言われ、また境内にある紫陽花苑は非常に有名です。現在でこそ伏見稲荷大社が圧倒的に人気ですが、かの大社の付近を含むこの一帯の氏神として今なお存在感のある神社です。

 

境内の様子

境内入口。境内は京都教育大学の西方に隣接しており、南向きの鳥居が建っています。この鳥居は正徳元年(1711年)の建立。なお、当社の最寄り駅は京阪電車の藤森駅ではなく墨染駅なので注意。

案内板「石造鳥居」

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石造鳥居

正徳元年(一七一一年)の銘有り。この鳥居には額が無いが、むかし後水尾天皇宸筆の額がかゝげて有り、江戸時代前の道が西国大名参勤交代の道筋にあたっていたので各大名は神社前を通る時駕籠からおり拝礼をして槍などをたおして通行しなければならなかった。しかし幕末動乱の時代となりこのような悠長なことでは時代に即しないと新撰組の近藤勇がはずしたと云われている。

社務所

 

鳥居をくぐると200mほど続く長い参道が社殿まで延びています。当社の例祭である「藤森祭」ではこの長い参道で「駈馬神事」が行われます。

 

参道の奥へ進んでいくと正面に南向きの社殿が並んでいます。

 

社殿前の左側(西側)に手水舎があります。

 

拝殿は銅板葺・平入切妻造で軒唐破風が付いており、壁の無い吹き放ちの構造。現在は床が一面に張られていますが、本来は中央に通路があり、当地では珍しい割拝殿でした。近隣では「御香宮神社」にも割拝殿があります。

正徳二年(1712年)に中御門天皇より御所の建物を下賜されたもので京都市指定文化財

 

拝殿の後方、中門と透塀に囲われて本殿が建っています。拝所となっている中門は妻入切妻屋根と向唐破風の組み合わせとなっており、やや左側に寄っています。

本殿は檜皮葺・平入入母屋造。正徳二年(1712年)に中御門天皇より御所の賢所(※)を下賜されたもので京都市指定文化財。現存最古の賢所と言われています。

(※賢所とは、御所内で三種の神器の一つである八咫鏡を安置する建物のこと。)

 

本社本殿の後方、境内の北西側に「霊験天満宮」が鎮座。御祭神は「菅原道真公」。

 

霊験天満宮の右側(東側)に隣接して「大将軍社」が鎮座。御祭神は「磐長姫命」。

桓武天皇による平安遷都の際に王城守護のため四方に大将軍社が祀られ、当社はその南方の大将軍社であると伝えられています。

社殿は杮葺の一間社流造であり、永享十年(1438年)に足利義教により造営された貴重な建築で、国指定重要文化財。永享十年は本社の東座(藤尾社)が当地へ遷座したとされる年であり、この時期に当社で大規模な整備が行われたことが伺われます。

案内板「大将軍社 重要文化財」

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大将軍社 重要文化財

御祭神

磐長姫命

桓武天皇が平安遷都をされた時に、都の四方に大将軍社が祀られ、その内の南方の守護神として祀られたのがこの社である。古来より方除けの神として崇敬を集めている。現在の社殿は、室町時代永享十(一四三八)年、時の将軍足利義教の造営で、造りは一間社流造りのこけら葺の建物である。

 

大将軍社の右側(東側)に隣接して「七宮社」が鎮座。七社の神社の相殿であり、左側から「天満宮社」「熊野神社」「厳島神社」「住吉神社」「諏訪神社」「廣田神社」「吉野神社」を祀っています。

 

七宮殿の右側(東側)に隣接して「祖霊社」が鎮座。当社に功績のあった者を祀っています。

 

祖霊社の右側(東側)に隣接して、境内北東側に「八幡宮」が鎮座。御祭神は「応神天皇」。

こちらも大将軍社と同じく杮葺の一間社流造であり、永享十年(1438年)に足利義教により造営された貴重な建築で、国指定重要文化財

 

本社社殿の右側(東側)に「藤森稲荷神社」が鎮座。

 

本社社殿の右側(東側)の傍らに「不二(ふじ)の水」と呼ばれる御神水が勢いよく湧き出ています。文字通り二つとない美味な水と言われ、「伏水」を語源とすると言われる伏見の有名な湧水の一つです。

そのままで飲用可能で、冷たく清らかでおいしい水です。

伏見の名水としては近隣の御香宮神社の「御香水」や城南宮の「菊水若水」も有名です。

 

藤森稲荷神社と不二の水の傍らに石仏の祀られた祠があります。神仏習合時代に祀られていたものを掘り出して祀ったものと言われ、「大日如来社」と呼ばれていますが、涎掛けが付けられており地蔵菩薩のように祀られています。

 

本社本殿の右側(東側)に「神功皇后御旗塚」があります。社伝によれば神功皇后が当地に旗を立て兵具を収めて塚を築いたとされ、この塚がその伝承の地とされています。

塚の上にはイチイガシの切株があり注連縄がかけられています。古くは御神木だったのでしょう。

 

一旦参道方面へ。参道途中の左側(西側)に平入切妻造の絵馬殿兼休憩所が建っています。内外に多くの絵馬が掲げられており、慶長年間の絵馬など古いものもあります。現在の拝殿が建てられるまではこの建物が拝殿だったようです。

現在は内部に灰皿が配置されて実質的に喫煙所となっており、火災が心配。

 

参道の右側(東側)には参集殿兼宝物殿があります。宝物殿は見学することが可能で当社に伝わる神宝を拝観できます。

 

参道半ばほどの左側(西側)に「蒙古塚」があります。社伝によれば、光仁天皇の御代、蒙古が襲来するとの知らせがあり、早良親王を大将軍として出陣したところ見事撃退したと伝えられています。

蒙古塚の由緒は不詳ですが、昔は七つの塚があり、蒙古軍の首や兵器を埋めたとも言われています。

ただし、史実ではその時代に蒙古なる国は存在せず、海外からの攻撃も記録されていません。早良親王が大将軍に任命された記録もありません。

 

紫陽花苑

藤森神社の紫陽花

藤森神社の紫陽花

藤森神社の紫陽花

藤森神社の紫陽花

当社は紫陽花でも非常に有名です。境内には二ヶ所の紫陽花苑があり、梅雨時には満開の花が参拝客の目を楽しませてくれます。こちらは参道西側にある「第一紫陽花苑」。

 

藤森神社の紫陽花

藤森神社の紫陽花

藤森神社の紫陽花

藤森神社の紫陽花

こちらは境内北側の「第二紫陽花苑」。本社社殿や境内社のすぐ側にあるので、神社の建物と併せて花を楽しめるのが魅力的。

 

藤森神社の紫陽花

紫陽花苑以外にもところどころで紫陽花の花が咲いていました。

 

タマヨリ姫
わー、アジサイが綺麗だね!考えてみればアジサイで有名な神社って意外に少ないかも。
そうね。勿論アジサイだけじゃなくて、ここは古い歴史のある神社でもあるのよ。重要文化財の建物とアジサイの組み合わせはなかなか貴重ね。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板「藤森神社」

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藤森神社

素盞嗚命を主神とし、あわせて神功皇后、日本武尊など十二柱に及ぶ神々を奉祀し、洛南深草の産土神として崇敬されている古社である。

本殿は、正徳2年(1712)中御門天皇より賜った宮中内侍所(賢所)の建物といわれ、京都市指定文化財に指定されている。

また、本殿背後東にある八幡宮は応神天皇を祀り、西にある大将軍社は磐長姫命を祀る。とくに、大将軍社は平安遷都のとき、王城守護のため京都の四方に祀られた一つであるといわれ、古来、方除けの神として信仰されている。社殿は、永享10年(1438)足利義教の造営と伝えられ、重要文化財に指定されている。

なお、毎年5月5日に行われる当社の例祭、藤森祭には、甲冑鎧に身を固めた武者が供奉し、また境内では「駈馬神事」が行われる。これは、当社の祭神が、武神と称されることに因むものである。

京都市

案内板「藤森神社」

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藤森神社

当社は、勝運の神様「素盞嗚命」と学問の神様「舎人親王」をお祀りしている、平安遷都以前からこの深草の里に創建された古い神社です。

神功皇后ゆかりの御旗と兵器を埋めたのが起こりと伝えられ、今も境内にある旗塚は埋納した所といわれています。皇族や公家、武家等の信仰をあつめ、古くから信仰された深草一帯の産土神です。

当社は、”菖蒲の節句”発祥の地として武神をお祀りすることから、昔より勝運の神様として有名でした。毎年五月五日に行われる藤森祭は名高く、代々の天皇、上皇もしばしば訪れたほどです。

また当社は、お祭りしている舎人親王(日本書紀の編者で、一般には「トネリシンノウ」当社では「イエヒトシンノウ」とお呼びします)という日本最初の歴史書を作られた方に因み、学問の神様としても有名です。

一七一二年(正徳二年)に中御門天皇より賜った本殿は、切妻桧皮葺で宮中内侍所(賢所)であったもの。現存する賢所としては最も古く、よく原形を留めています。

洛南保勝会

『都名所図会』

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藤杜の社 は墨染の北にあり。本殿の中央は舎人親王ひがしは早良親王西は伊豫親王を祭る。(又本朝武功の神を配祀し奉る。神武天皇神功皇后日本武尊武内宿祢等なり。故に弓兵政所と號す。)舎人親王は天武天皇の皇子にして天平寶字三年に追尊あり崇道盡敬皇帝と號す。(養老年中に勅をうけて日本記を撰し給へり。)例祭は五月五日にして産子は武具を着して走馬する事は光仁帝の御宇天應元年に異国の蒙古日本へ攻来るよし聞へければ天皇第二の皇子早良親王を大将軍として退治あるべきよし宣旨を賜る。親王當社に祈誓して五月五日に出陣し給ふ。神威いちじるく忽暴風大に吹来り蒙古の軍船浪にたゞよひ悉亡びうせけり。此吉例によりて毎歳軍陣の行粧をなし天下平安の祷とし給ふ。當社を弓兵政所といふは此所謂によるともいふ。

旗塚 本社のひがしにあり。神功皇后三韓退治の後旗をこゝに埋め給ふとなり。

蒙古塚 当社森の中に七ツありとぞ。今詳ならず。夷賊退治の後軍将の首をこゝに埋て神威を現し給ふなり。

力石 祭日には産砂の人集りて此石を打かへしちからをためしけるなり。

 

地図

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