社号 | 石座神社 |
読み | いわくら |
通称 | |
旧呼称 | 八所明神社・十二所明神社 等 |
鎮座地 | 京都府京都市左京区岩倉上蔵町 |
旧国郡 | 山城国愛宕郡岩倉村 |
御祭神 | 十二所明神、八所明神 |
社格 | 国史現在社、旧村社 |
例祭 | 10月23日 |
石座神社の概要
京都府京都市左京区岩倉上蔵町に鎮座する神社です。
当社は式内社でありませんが、『三代実録』元慶四年(880年)十月十三日条に「山城国正六位上石坐神(略)並授従五位下」と見える「石坐神」は当社に比定され、国史現在社です。
当社は元は南南東600mほどの地、岩倉西河原町に鎮座していたとされ、現在その旧地は「山住神社」となっています。
旧地である「山住神社」は社殿を持たず岩石が御神体となっています。この岩石を磐座として神を祀ったのが当社だったと考えられ、当社の社名および当地の地名(岩倉)の由来ともなっています。
創建年代ははっきりしないものの、岩倉川沿いにある岩石に神性を見出して祭祀を行う自然信仰に基づくものとも考えられ、恐らく相当古くから祭祀が行われていたものと思われます。
社伝によれば、平安時代以降の当社について次のように伝えています。
- 天禄二年(971年)に真覚上人を開祖として創建した天台宗の寺院「大雲寺」の鎮守として当社の神を勧請した。
- 長徳三年(997年)に社殿が新築され、既存の「石座神」に加えて「新羅神」「八幡神」「山王神」「春日神」「住吉神」「松尾神」「賀茂神」の七神を勧請して合祀し、「八所明神」と称するようになった。また、この時本来の「石座神社」(現在の「山住神社」)は「八所明神」(当社)の御旅所となった。
- その後、「伊勢神」「平野神」「貴船神」「稲荷神」の四神が加えられ「十二所明神」と称するようになった。
このように元は現在の「山住神社」の地に鎮座していたのが、勧請先である大雲寺の「八所明神」の方が本社となり、元の地は御旅所になってしまったようです。
さらに天文十五年(1546年)に兵火により大雲寺および当社の社殿や古記録が焼失。その後天文二十二年(1553年)に再興、天正二年(1574年)に社殿が再建、そして明和三年(1766年)に社殿が改築され、現在の社殿はこの時のものが残っています。
明治年間に「八所明神」「十二所明神」と呼ばれた当社は現在の社名に変更し、御旅所である旧地は「山住神社」として独立した神社となりました。
現在は岩倉地域の北西部、旧・岩倉村における鎮守神として信仰されています。
一方で旧地である「山住神社」は昔のままに岩石を磐座とする祭祀がひっそりと続いているようです。
また、当社の例祭として「岩倉火祭(松明の神事)」が行われ、まだ日も明けない早朝に雌雄の大蛇を象った松明が燃やされます。
伝承によれば、かつて当地に二匹の大蛇がいて人々に危害を加えていたので、石座大明神に訴えたところ、夢枕に尼が現れて「神火で以て向かえよ」と教えたので、これに従って神前の灯火を大蛇に受けると大蛇は逃げ去ったと伝えられ、「岩倉火祭」はこれを再現したものであると言われています。
この「岩倉火祭」は京都市指定無形民俗文化財となっています。
境内の様子
当社は岩倉地域の平野部の西端、大雲寺の西方、実相院の北方に鎮座しています。
入口に鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐると石段が続きます。森を抜けた先は開けた空間となっています。
石段の右側(東側)に手水舎が建っていますが、何故か参道の左右にロープが張られていたため近づけませんでした。
石段を上ると正面奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の妻入入母屋造の舞殿風拝殿。
拝殿前の左右に配置されている狛犬。かなりずんぐりとした体形が特徴的。
拝殿後方の石段を上ると正面に二棟の本殿が並んでいます。
これらはいずれも銅板葺の一間社流造で、明和三年(1766年)に改築したもの。京都市登録有形文化財となっています。
これらの内、右側(東側)に建つ「東殿」に祀られているのが「八所明神」で、「石座神」「新羅神」「八幡神」「山王神」「春日神」「住吉神」「松尾神」「賀茂神」の八神が祀られています。
一方、左側(西側)の西殿に祀られているのが「十二所明神」で、八所明神の八神と「伊勢神」「平野神」「貴船神」「稲荷神」の四神を合わせた十二神を祀っています。
十二神の内の八神が両方共に祀られている理由は不明。
二棟の本殿の両脇には盛り砂が設けられています。
十二所明神の左側(西側)に「愛宕神社」「猿田彦神社」の相殿が南向きに鎮座。
社殿は檜皮葺の一間社流造で覆屋に納められています。
二社相殿の手前左側(南西側)に「香取神社」「鹿島神社」「稲荷神社」の三社の相殿が東向きに鎮座。
社殿は檜皮葺の三間社流造で覆屋に納められています。
一方、八所明神の右側(東側)に「一言神社」が南向きに鎮座。
社殿は檜皮葺の一間社流造で覆屋に納められています。
案内板
一言神社
一言神社の右手前(南東側)に「熊野神社」「貴船神社」「出雲神社」の三社の相殿が西向きに鎮座。
社殿は檜皮葺の三間社流造で覆屋に納められています。
境内社の内、一言神社のみ独自の鳥居(扁額に「一言神社」とある)が建っています。
一言神社は元は北方約1kmの岩倉村松町に鎮座していたのを明治十一年(1878年)に遷座したといい、この鳥居は恐らく旧地から持ってきたものなのでしょう。
本社拝殿の左側(西側)に桟瓦葺の平入切妻造の立派な神輿庫が建っています。例祭に出される神輿が納められているようです。
神庫の右側(北側)に神饌所が建っています。こちらは桟瓦葺・入母屋造の建物。
道を戻ります。参道途中の左右それぞれに神事の際に用いられる詰所が建っています。
当サイトではこの類の建物を「座小屋」と称して分類しています。これを何と呼ぶかは神社によって異なっており(「庁舎」「仮屋」などと呼ばれる)、当社ではそれぞれ「西宮座」「東宮座」と呼んでいるようです。
こうした「座小屋」は京都府では南山城地域によく見られるもので、静原など京都北郊でもしばしば見られます。恐らく京都から南北に伝わったものと思われ、当社ではこの京都北郊のものの一例と言えるかもしれません。
山住神社
石座神社の南南東600mほどの地(岩倉西河原町)、岩倉川を渡ったところに「山住神社」が鎮座しています。
これは石座神社の旧地で、勧請後は御旅所とされていました。現在も石座神社の例祭で当社への神輿の渡御があります。
鳥居が東向きに建ち、奥の境内は山の斜面となっています。
鳥居をくぐって石段を上ると桟瓦葺の妻入切妻造の拝殿が東向きに建っています。
土間となっており、貫はあるものの壁は設けられておらず簡素な建物です。
拝殿後方の崖上に岩石があり、これを磐座として祀ったのが「石座神社」の始めであったと考えられます。この岩石は恐らくチャートでしょう。
岩石の前に祠のような妻入切妻造の建物があるものの、御神体を安置するような構造にはなっておらず、恐らく拝所的なものと思われます。
由緒
案内板
石座神社
石碑
石座神社由緒
案内板
山住神社由緒(石座神社旧地)
地図
山住神社