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岩屋神社 (京都府京都市山科区大宅中小路町)

社号岩屋神社
読みいわや
通称
旧呼称
鎮座地京都府京都市山科区大宅中小路町
旧国郡山城国宇治郡大宅村
御祭神天忍穂耳命、栲幡千々姫命、饒速日命
社格旧郷社
例祭4月29日

 

岩屋神社の概要

京都府京都市山科区大宅中小路町に鎮座する神社です。

当社背後の山の中腹に「陽岩(陽巌)」「陰岩(陰巌)」の二つの巨岩があり、社伝によればこれを磐座として神を祀ったのが当社の始まりで、その創建は仁徳天皇三十一年と伝えられています。

また社伝によれば、その後寛平年間(889年~898年)に陽岩に「天忍穂耳命」、陰岩に「栲幡千千姫命」の夫婦を、そして岩前の小祠に物部氏の祖「饒速日命」を祀ったと伝えています。

『新撰姓氏録』左京神別および右京神別に大閇蘇杵命の孫、建新川命の後であるという「大宅首」が登載されており、当地の地名「大宅」から推してこの氏族が当地に居住していたことが考えられます。

この大宅氏の祖「大閇蘇杵(オオヘソキ)命」は「大綜麻杵命」とも表記し、物部系の史書『先代旧事本紀』天孫本紀によればこの人物はニギハヤヒの五世孫であり欝色雄命の弟であると記しています。

つまり当地に居住した「大宅氏」は物部氏の一族であり、彼らが岩石を磐座として物部氏の祖を祀って奉斎したのが当社であると考えられます。

なお、案内板は「天忍穂耳命」および「栲幡千千姫命」を「饒速日命」の親としており、これは『先代旧事本紀』の記述に基づくものです。

同紀は物部氏の祖「饒速日命」と尾張氏らの祖「天火明命」を同一の神「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」としており、これは物部氏と尾張氏の密接な関係を背景として政治的に作為したものと見られます。

一般的には「天忍穂耳命」および「栲幡千千姫命」は「天火明命」の親とされており、「饒速日命」の親として祀られる例はあまり見られません。推測するならば、「陽岩」「陰岩」に宿る神を固定化するにあたりニギハヤヒを生んだ親神として『先代旧事本紀』より援用したのかもしれません。

或いは上述の社伝は、これまで社殿を建てず素朴な磐座信仰に基づいて祭祀していたものを、寛平年間になって社殿を造営し「神社」としての体裁を整えたものとする可能性も考えられそうです。

 

中世には治承年間(1177年~1181年)に園城寺の僧によって社殿や記録が焼かれたといい、弘長二年(1262年)に再建されたと伝えられています。

また中世には山科地域に「岩屋社」を名乗る神社が三社あったといい、「東・西・上の岩屋三社」と呼ばれていました。この内の「東」は当社、「西」は山科盆地の向かい側の麓、西野山岩ケ谷町に鎮座する「山科神社」だった一方、「上」がどこを指すかは不明となっています。

いずれにせよ当社は「山科神社」、「諸羽神社」(四ノ宮中在寺町に鎮座)等と共に山科盆地における有力な神社の一つとなっています。

なお、式内社「山科神社」を当社に比定する説があるものの、現在はほぼ認められていないようです。(一般的には「山科神社」に比定)

 

境内の様子

当社は山科盆地の東にある牛尾山の西麓に鎮座しています。

境内の西方450mほどの地に朱塗りの一の鳥居が西向きに建っています。

 

岩屋神社 京都 山科

岩屋神社 京都 山科

一の鳥居から坂道を上っていくと当社境内に至ります。入口周辺は桜の木が植えられており、春には花が綺麗に咲き乱れます。

境内は塀で囲われており、入口には二の鳥居が西向きに建っています。

 

鳥居の両脇に配置されている狛犬。花崗岩製の新しいもの。

 

二の鳥居をくぐって石段を上ると神門が西向きに建っています。

神門は銅板葺の平入切妻造の四脚門形式。

 

神門をくぐって右側(南側)に手水舎が建っています。

 

岩屋神社 京都 山科

神門をくぐって正面に社殿が南向きに並んでいます。

神門のすぐ奥に建っているのは桟瓦葺の平入入母屋造の割拝殿

割拝殿とはいえ桁行方向がかなり短く、京都府に多い舞殿風拝殿の中央の床を抜いて通路にしたものといった印象。

 

割拝殿の奥に、割拝殿とはまた別に拝殿が建っています。

こちらは銅板葺の平入入母屋造に向拝の付いた標準的な拝殿。参拝者はこちらで参拝することになります。

 

拝殿の背後に建つ本殿は銅板葺の三間社流造で中央の一間分の向拝が伸びたもの。

 

本社拝殿の右側(南側)にはかなり大きな神庫が建っています。神輿か何かが納められているのでしょう。

 

境内社等

本社本殿の右奥(南東側)に「蛭子宮」が西向きに鎮座。御祭神は「蛭子大神」。

社殿は銅板葺の流見世棚造。

 

対して、本社本殿の左奥(北東側)に「大神宮」が西向きに鎮座。御祭神は「天照坐皇大御神」「豊受大御神」。

社殿は銅板葺の流見世棚造。

 

本社本殿の左側(北側)の空間に道が伸びており、これに沿って三社ほどの境内社が鎮座しています。

 

この道の右側(東側)に面して朱鳥居が建っており、これをくぐった先に「稲荷宮」が西向きに鎮座。御祭神は「宇迦之御魂神」。

社殿は銅板葺の流見世棚造。

 

稲荷宮の左側(北側)に「八幡宮」が西向きに鎮座。御祭神は「応神天皇」「神功皇后」。

社殿は桟瓦葺の流見世棚造。

 

この道の突き当りに三社の相殿が南向きに鎮座。祀られている神社は左側(西側)から順にそれぞれ次の通り。

  • 住吉宮」(御祭神「底筒男命」「中筒男命」「表筒男命」)
  • 山王宮」(御祭神「大山祇神」)
  • 天満宮」(御祭神「菅原道真公」)

社殿は桟瓦葺の三間社流見世棚造。

 

この右側(東側)の空間も進めるようになっており、この森には勧請縄らしき縄も掛けられています。詳細不明。

 

奥の院(磐座)

当社背後の山の中腹に「奥の院」と称して二つの巨岩が磐座として祀られています。

当社境内の南側の道を東へ進んでいくと「奥の院」への入口が見えるので、ここを進んでいきます。

 

しばらく山道を進んでいくと多くの朱鳥居が並んでいるのが見えてきます。この鳥居をくぐりつつ引き続き進んでいきます。

 

道を進んでいくと一つ目の磐座である「陰岩(陰巌)」が見えてきます。恐らくチャートでしょう。

崖から迫り出すように佇んであり、注連縄が掛けられています。

 

陰岩の根元に銅板葺の流見世棚造の祠が建っており、こちらに「栲幡千々姫命」を祀っています。

本来は陰岩に臨時に神が宿るものとして祭祀されたものと思われますが、いつしか祠を設けて常駐の神を祀るようになったのでしょう。

 

陰岩から先も道はまだ続いているので引き続き進んでいきます。

 

この道の最奥部に二つ目の磐座である「陽岩(陽巌)」があります。恐らくこちらもチャートでしょう。

木々が生い茂っていることに加え、下から見上げる形になるので全体像がわからないものの、巨大な岩が屹立している様子がわかります。

 

陽岩の根元にも銅板葺の流見世棚造の祠が建っており、こちらには「天忍穂耳命」を祀っています。

岩石の前に祠を建てるようになった事情は陰岩と同様でしょう。

 

タマヨリ姫
すごい!神社の後ろの山にでっかい岩が二つもある!
この岩を磐座として神様を祀ったのがこの神社の始めだと伝えられているわ。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

岩屋神社

 

地図

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