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住吉大伴神社 (京都府京都市右京区龍安寺住吉町)

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社号 住吉大伴神社
読み すみよしおおとも
通称
旧呼称
鎮座地 京都府京都市右京区龍安寺住吉町
旧国郡 山城国葛野郡谷口村
御祭神 住吉三神、大伴祖神、天押日命、道臣命
社格 式内論社
例祭 10月16日

 

住吉大伴神社の概要

京都府京都市右京区龍安寺住吉町に鎮座する神社です。式内社「伴氏神社」の論社の一つです。

当社は当地に移転してきた「大伴氏」が祖神を祀ったとされています。大伴氏は物部氏と共に古代において軍事を司った有力氏族で、高皇産霊尊の子(もしくは五世孫)の「天押日命」、またその後裔の「道臣命」を祖としています。

『日本書紀』の天孫降臨の段では「天忍日命」は瓊々杵尊の先払いをしたとあり、また神武東征の段では「道臣命」は先導を務めたことが記されています。このことからも大伴氏の軍事氏族としての性格が表れています。

大伴氏の本拠地は摂津国・河内国であり、特に河内国志紀郡(大阪府藤井寺市林)には大伴氏の氏神である「伴林氏神社」が鎮座しています。そのような大伴氏が当地に居を構えた事情は『続日本後紀』に記されてあり、承和元年(834年)正月、葛野郡上林郷地方一町を伴宿祢等に賜り氏神を祀るところとするとあります。この時に祀った氏神が式内社「伴氏神社」だったと考えられます。

ただし、式内社「伴氏神社」は中世以降所在不明となりました。江戸時代中期に「伴氏神社」を当社に比定する説が現れましたが、当社が伴氏神社・大伴神社などと呼ばれたことはなく、その論拠ははっきりしません。また、当地は『倭名類聚抄』に見える「上林郷」でなく「綿代郷」だったとする説があり、先の大伴氏が上林郷の土地を与えられ氏神を祀った記事と矛盾することになります。

とはいえ式内社「伴氏神社」のもう一つの論社である北野天満宮境内社の「伴氏社」も論拠としては弱く、他に論社となりそうな神社も見当たりません。

当社で大伴氏の神を祀っていたのかは不明ですが、現在では大伴氏の神と共に「住吉三神」を祀っています。社伝によれば、住吉三神が祀られるようになったのはかつて当地を領有した徳大寺家が和歌の神として勧請したからとしています。現在のように住吉神と大伴氏の祖神が合祀されたのは昭和十七年(1942年)になってからのことです。

大伴氏の神社というのもやや珍しいですが、京都において境内の整えられた住吉神社も珍しく、その意味で貴重な一社と言えるかもしれません。

 

境内の様子

境内入口。鳥居をくぐると御神木の大きな杉が聳え立っています。

 

社殿の手前、参道の左側(西側)に手水舎があります。

 

参道の先の石段上に南向きの社殿が建ち並んでいます。拝殿は平入の切妻造。床の無い土間の拝殿で、屋根は反りの無いものとなっています。

 

拝殿前の狛犬。桃色花崗岩製です。

 

本殿は変わった形式で、こちらも反りの無い屋根を載せた妻入の切妻造。奥の一間にのみ壁があり、手前側は吹き放ちで幣殿のような機能を持たせているのでしょうか。当社の掲示板には「柱間 間口一間、奥行一間半の縮少型住吉造にて全国唯一の建物」とあり、住吉造の一種のようです。

 

本殿の右側(東側)に「斎明神社」「小松尾神社」を併せ祀っている境内社が鎮座しています。

 

社殿の左側(西側)には「十禅師社」が鎮座しています。

 

タマヨリ姫
大伴氏の神様と住吉の神様が一緒に祀られてるんだ!なんだか珍しいね。
式内論社ではあるけれど、ここで大伴氏の神が祀られていたって記録は無いみたいよ。でも住吉神社にしても京都では少ないし、珍しいことは確かね。
トヨタマ姫

 

由緒

掲示板「住吉大伴神社略誌」

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住吉大伴神社略誌

一、御祭神

住吉三神、底筒男命、中筒男命、表筒男命
大伴祖神、天押日命、道臣命

一、例祭日

十月十六日

一、神幸祭

十月第三日旺日

一、由緒

住吉大伴とは古代の豪族大伴氏を祭る伴氏神社に住吉大神を合せ祭った事による。

大伴氏ははじめ大和国にあってその勢力を振っていたが、平安遷都によりこの地に移住しその祖先の神天押日命を祭ったのである。「續日本後記」には「承和元年正月賜葛野郡上林郷地方一町於伴宿祢等爲氏神之所」(八三四)、又「嘉永二年十二月授從五位下伴氏神社」(八四九)とあり、大伴氏は上代の武門の家として、物部氏と共に皇居を警衛し禍乱を鎮圧して功を立てた一族であり、後に淳和天皇(第五十三代)の御諱の大伴親王をはばかり伴氏と改めたのである。応天門の変(貞観八年、八六六)によって伴善男が伊豆に流されてから衰退し伴氏神社の名も世に疎くなっていったものと思はれる。

並河永編するところの「山城誌」(享保十九年刊、一七三四)に「伴氏神社(中略)在龍安寺村今称住吉」とあり、又伴信友(嘉永元年没、一八四八)の「神名帳考證」には「伴氏神社(中略)「今龍安寺村にありて住吉という」とあり、両書とも古伝によるものであるが、当社が伴氏神社と同じ地にありながらいつの世にか住吉神社と称せられるに至ったのは伴氏の衰微と共に葛野郡に山荘を営む徳大寺家の領するところとなり、その徳大寺家が和歌の神として崇めた住吉三神を祭ったことにより伴氏神社は住吉神社として祭られ、それ以降永く龍安寺、谷口地区の氏神として崇敬されていたが、昭和十七年八月二十一日許しを得て、住吉三神及び大伴祖神を合祀、社名を住吉大伴神社と変更して今日に至る。

住吉の神の和と、大伴の神の武、それぞれ和武合体中庸を保ちて和平の神と崇められている。

一、社殿

現在の本殿は昭和のはじめの建築にして、柱間 間口一間、奥行一間半の縮少型住吉造にて全国唯一の建物である。昭和五十三年拝殿、神饌所新築と同時に萱葺の本殿屋根を銅板に変えた。(因みに住吉造りの本殿は全国にて大阪、福岡の住吉神社の二社に見るのみなり)

一、境内社

往古より境内外に十禅師権現社、斎ノ宮社、小松尾明神社が奉斎されていたが、何時の世にか末社小松尾明神社のみが残り合祀されて今日に至る。祭神は天照皇大神、大己貴命を祀る。

一、「海ゆかば」の碑

祭神の子孫で歌人の大伴家持が作歌(天平感宝元年五月十二日、七四九)した。

「海ゆかはみつく屍山ゆかは草むす屍
大君のへにこそ死なめかへりみはせし」

は昭和十七年国民の歌に選定され、家持ゆかりの当社にて昭和十八年七月五日大政翼賛会京都府、市支部主催にて国民の歌「海ゆかば」選定奉告祭を行い、翌昭和十九年八月五日住吉大伴神社顕彰奉賛会によって建碑され、現在境内外苑にて保存されている。

以上宮司謹書

 

地図

京都府京都市右京区龍安寺住吉町

 

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